りゅうちぇるさんのタトゥーの問題に対して、脳学者の茂木健一郎さんやロンブーの淳さんなどが、タトゥーを否定するのは日本の恥であり、個人の自由という内容の投稿をして話題になっています。

私も、りゅうちぇるさんのタトゥーに関して先日書いたのですが、やっぱり日本に住んでいる以上、タトゥーに対して「いいんじゃん、個人の自由じゃん」とは思えないのです。

もちろん、タトゥーというのが一般的になってきて、こういった有名人の言葉が少しずつ社会を変えていくのも分かります。

が、日本においての任侠道というのもまた「文化」。

ドラマでも映画でも、ヤクザ=タトゥー(刺青)というのもエンタテインメントとしての文化になっています。

となると、完全にこの両者は「矛盾」しているということになりますよね。

映画やドラマは人に影響を与えるからこそ存在します。

例えば、ヤクザ映画を映画館で見終わったあと、映画館から出てくる人はどこかそのキャラを引きずって出てきます。

歩き方やしゃべりも似せてきます。

人は影響されたいからメディアにふれ、それを吸収するのです。

つまり、タトゥーを当たり前でおしゃれ、ファッションに完全にしたいのであるならば、そういったヤクザ映画やドラマを無くさないといけないということになります。

遠山の金さんも、北野武さんの映画も規制する必要もでてきます。

また、タトゥーを認めないのは日本の恥と茂木さんは言っておられますが、逆に言えばこういった任侠道も日本の文化であり、誇りでもあるんです。

ただ単に「絵」としての問題ではないんです。

首長族でも身体中に針をさすお祭りでも、日本人からするとトマトが無駄に見えてしまうトマト祭り、犬食、クジラ食、他も単体で見れば違和感ですが、実はその国が育ってきた過程で生まれたものであり、生活と密接している存在なんです。

それを「絵」として、「恥」と判断するのはちょっと違う。

別に世界の強い国に日本の文化を寄せることがすべてではないですし、タトゥーを認めないというのも逆に1つの文化だと思う。

タトゥーだけを世界の大きな国の基準に寄せるのだったら、他にも受け入れなければいけないものが出てくるでしょう。

そして、都会の若い人ならともかく、日本は高齢の方々もたくさんいて、考え方をすぐに変えることができない方々もたくさんいます。

そういった方々が驚いてしまうようなことはやはり避けるべきだと思います。
だって、別になくてもいいものじゃないですか? 

指輪だって、ネックレスだって、化粧だって別になくても死ぬわけじゃない。

人を怖がらせるものなのは間違いなく、別になくても誰も困らないものがなぜ必要なのかどうしてもわかりません。

ファッションよりそれを怖がる人たちが一人でも少ないほうが素敵な世界です。

 

 

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