最近のブログでオスカーの子の未成年水着は児童ポルノでは? やアイドルを擁護するようなものを書いたので結構思われているらしいのが、私がいわゆる「フェミニスト」、もしくはそれに近い思想の持ち主なのでは? というものです。

まず、これはあくまでも自分で思っていることなのですが、むしろフェミニズムとは真逆の感性を持っています。

フェミニストの歴史や、現代のフェミニスト政治家、弁護士等のことは可能な限り調べましたが、どうしても理解することはできませんでした。

私は、男女にはまず、どうやっても越えることができない(超える必要がない)肉体的な差というものが基本になっていて、この先どんなにテクノロジーが進化してもその差は埋めることはできないと考えています。

つまり、男性は外に狩り(仕事)に行って、女性は家を守る。

これは絶対に変わりませんし、その方が確実に効率が良い。

女性の社会進出というのはこの基本があってこそ成り立つ、土地の上に家を建てるようなものなんです。

なのにフェミニストの方はその肉体的体力も度外視して女性の社会進出の怨みを晴らしたいかのように訴える。

それがなんだかズレてるなあ、と思います。

18歳未満の水着等のものを児童ポルノだ! と書いた意図は、正直、児童ポルノが世の中にあっても良いと思っていまして(世界は結局、需要と供給に行き着くから)、ただ、その境界線が明確でないと堂々とエンタテインメントとして成り立たないからなんです。

話はフェミニストのことに戻りますが、正直、女性は十分に「得」をしている面もあると思います。

結婚相談所をみれば、確実に女性は有利な立場ですし、ちやほやされます。

それに対して「軽く見られている」「道具みたいに見られている」というフェミニスト思想はあまりに多くを女性に求めようとしすぎだとも感じます。

世の中って自然にしていれば勝手に役割は見えてくるんです。

無人島に男女二人が遭難すれば、自ずと男女の差は明確になります。

フェミニストの女性達は正直、モテなかった思春期の記憶の恨みを晴らそうとしているように見えてしまうのは私だけでしょうか?

 

 

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