日本人は白黒はっきりつけることが好きな民族です。
どんなことにも明確な答えを求めようとします。
その良い例で、先日、人気番組である「なんでも鑑定団」において、
実は中国で作られた数百円〜数千円のお皿が鑑定されて、2000万となったのだそうです。
単純に考えれば確実に番組側の鑑定ミスですが、
番組サイドは「あくまでもバラエティとして番組独自の判断」だと言っています。
私も昔のおもちゃや、セーラームーンのグッズのコレクターなのですが、
正直価値というのはどうでもいいんです。
モノの価値なんて個人個人違うもので、自由でいい。
これは具体的にどういうことかといいますと、
例えば私が一番大事にしている昔のセーラームーンのおもちゃがあったとします。
もちろん自分の中では値段はつけられません。
でも、それをセーラームーンを知らない、例えばドイツのシュワルツさん(仮)が見たら、
道に「ご自由にお持ちください」という紙切れと共に置いてあっても持っていかないと思うんです。
そのおもちゃに知識のないおばちゃん、ヨシエ(仮)さんは押入れにあったらゴミとして普通に燃えないゴミの日に捨てるでしょう。
モノの価値ってそんなもんなんです。
つまりは、タイミングと知識と年代=価値 になる。
世界で最も高価であるともいわれるモナ・リザの絵画のオリジナルであっても、
その絵を知らない国の子供が見たら普通に落書きをしたり、お盆の代わりに使うでしょう。
そんなものなんです。
これは芸術の価値観にも似ていて、
今や高価な絵画は金やダイヤモンドのように「投資」に利用されています。
よく、なんでも鑑定団さんで、数百万とかの値段が付くものがありますが、
これはあくまでも「現時点で買う人がいれば」という見落としやすい条件付なんです。
需要と供給が成り立って初めて金額が決まります。
それは八百屋の人参でも年に一度の高級メロン数万円でも同じことなんです。
なのですべてに値段をつけるのはバラエティーとしては「面白い」ですが、
逆に言えばモノの価値なんて0円でもあり数十億でもあると知っておくことはすごく大事だと思います。
自分が好きで欲しくてそのお金を払えるならば出せばいい。
それだけの話で、実はそれほど鑑定金額になんか意味はないんです。