前回も書いたのですが、日本の児童ポルノの「定義」「境界線」は非常に曖昧にできています。

まず、それはどうしてか? について考えてみたいと思います。


簡単に言えば、「さじ加減一つで逮捕できる」からです。


そもそも、わいせつか芸術か? のような論争は人間の数だけ価値観があり、人間が絶滅するまで続く論争なんです。

例えば、女性がバナナを食べている写真、動画があったとします。

すると、それを美味しそうでいいね! かわいいね! と思う人もいれば、わいせつだ! という人もいるわけです。

表情によるだろ、という方もいるかと思いますが、その表情にだって人それぞれの取り方があるわけです。

では、最後にその判断を下すのは誰か? となると、日本は法治国家です。

つまりは、国家権力が、わいせつ! といえばわいせつなんです。

そこに表現の自由は無力。

でも考えてみてください。これってものすごい恐ろしい事ですよ?!

定義が非常に曖昧な以上、これは続きます。

例えば、オスカーの恒例の興行になっている、国民的美少女コンテストですが、

最近は12、3歳くらいの子が優勝などをすることが多いんです。

そして、審査の中に水着コンテストがあるのもご存知の通り。

でも、これは児童ポルノにはならないんですよね、不思議なことに。
じゃあ仮に、私が、それくらいの子たちを集めて、同じように水着にして、動画を撮ってその映像を販売したらどうなるでしょう?

まあ、確実にアウトですよね。
これって変ですよね? やっていることは何も変わらないんです。

でも、大手か個人かマイナーかで国家権力のやり方も変わってくる。

本当に不思議。

前回も書きましたが、少年漫画誌のグラビアとかも同じで、

15歳くらいの未成年アイドルがいくらでも水着で登場していますよね。

でもそれは児童ポルノには該当しない? じゃあ、私が募集して同じ事をしたら?

これも同じようにアウトって言われますよね。

この差はどこにあるのか? と考えていくと、大手の事務所や出版社は弁護士を抱えて警察とやり取りをしていたり、一種のワイロを払っているとしか思えないんです。

逆に、そうでなかったとしたら国民的アイドル、グラビアアイドル、雑誌もアウトじゃないとおかしいってなってしまうんです。

きっと皆様は、自分は大丈夫! と思っていらっしゃるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?

国民的アイドルの未成年の水着の写真集、データ、動画を持っていませんか?

おそらくは、ほとんどの人がノーとは言えないと思うんです。

そして、それらについても、みんな持ってるから大丈夫では済まない場合もある可能性が、日本の児童ポルノの境界線の曖昧さにはあります。

警察の人のさじ加減一つなので。

私は今後、規制するならば、自動車の車検のように、衣装をミリ単位での定義も必要な場合もあると思います。

そうでもしないと、賄賂だらけの世界の温床になる。