私はセーラームーンのマニアだ‥。
自分で自分をマニアというのはちょっと引ける部分もあるのですが、でもきっとマニアです。
90年代に発売されたあらゆるセーラームーングッズを集め、
今はインスタなどで海外のセーラームーンのファンの方と交流しています。
ちなみに、そのセーラームーングッズの量は、お部屋一つを丸ごと使っているレベル‥。
ということで、おそらくは客観的に見ても私はマニアなのだと思う。
と、今回はマニアとにわかのお話。
よく聞くジャンルですと、サッカーがあります。
サッカーのファンの方は、それこそ、そのチームの運営にも口を出すようなマニアが一杯います。
漫画、ジャイアントキリングのように本当に深いファンが一杯なんです。
が、W杯の時期等になると街にはフェイスペイントをしたにわかファンが溢れかえります。
ここで、濃いファンはどう思うか?
ここが大事なポイントなんです。
1、にわかファンをバカにして追い出そうとする。
2、にわかファンもファンの一人、と大事にする。
この差は非常に大きい。
もちろん、どちらでも自由だと思うのですが、
1をやってしまうと結局はその業界が盛り上がらなくなり、衰退していく。
そして、結果、自分たちの好きなものがなくなってしまうということにもつながるんですね。
友人から聞いたお話なのですが、プロレスの世界でもこの、にわか問題が頻発するのだそうです。
プロレスというのはとんでもなく鍛えられた方々が見せてくれるエンタテインメントショーです。
が、最近のガチの格闘技を見慣れている人にとっては、それが違和感に見えてしまう。
どうして今の避けないんだ? なんでいちいちコーナーポストに登るんだ? 等。
で、結果的に「やらせじゃん」となるわけです。
が、そこが分かれ道で、次第にじわじわとその魅力に気が付きハマっていく人と、
そのまま、やらせじゃん! といい続ける人もいる。
これは難しい問題ですよね。
マニアによっては、お前らは見なくていい! となりますから。
しかし、開催する側、提供する側からすると、それじゃ困るんです。
どんなお客様だろうとお客様はお客様なんですね。
それを深いマニアがにわかを排除しようとすることで逃してしまう。
マニアの存在は嬉しいのですが、場合によっては困った存在になる‥。
アニメ、ゲームでも同じで、マニアの人は、たとえば若い女子が好きというと、
「どうせにわかだろ!」とその違和感を排除しようとするんです。(全ての方ではないです)
本当は、「じゃあ教えてあげるね」という気持ちになった方が、
誰もが幸せになる選択肢なんですよね。
誰もが最初は自転車に乗れなかったのですから‥。