みなさん


冊封と言う言葉を知ってますか?


奈良時代、平安時代の歴史を勉強しています。


なぜ、天皇や貴族の争いは、起こったのか?


なぜ、都を遷都しなければならなかったのか?


なぜ、日本書紀は、漢文で書かれていたのか?


空海が、3ヶ月で、恵果阿闍梨から


真言密教の秘儀を日本にもたらせることが


できたのか?


なぜ、楊貴妃が、日本に来ていたか?


などなど、疑問と謎が湧き上がってきます。




そこで、連休中に


安部龍太郎著『ふりさけ見れば』上、下刊を


読んでみました。


遣唐使として、唐の玄宗皇帝や楊貴妃に


近侍した阿倍仲麻呂を主人公として


吉備真備などと唐との


奈良時代や平安時代における日本の朝廷の


外交や国づくりがその内幕が、書かれています。


日本が東南アジアで生き残るための


仏教など先端技術や知識を得る為に


外交手段として、当時の大国、唐の国との


関係を密にして行くことが、必須でした。


冊封とは、唐の皇帝と周辺諸国の君主が、


君臣関係を結ぶことを言います。


君臣関係を結ぶには、定期的に使者を送って


貢ぎ物をするだけでは、足りず、


唐の制度を学び、それを国の方針として実行


することが求められます。


そのために、


1.律令制度の導入


1.長安にならった都の造営


1.仏教の教えに基づく政治


1.王権の来歴を、示す史書の編纂


などです。


そう言われてみると


694年 藤原京


701年 大宝律令


710年 平城京


712年 古事記


720年 日本書記


とあわただしく新しい国づくりが


なされています。


唐との関係で


歴史が動いたことが


垣間見える。


日本の成り立ちの中での


一番の問題が、主権の来歴


つまり、天皇は、どこから来たのか?


その歴史が、はっきりしないと


唐との関係が、確立せず、認めてもらえなかった。


中国には、唐までの2000年の歴史書が


正式に保管され、そこには、日本の記述


がたくさんあり、それに合致した、


歴史書を編纂する必要があった。


これまでの歴史感を新たにする


きり口でした。


天皇は、どこからきたのか?


新たな謎が、湧いてきました。❓