天神橋筋六丁目に住んでいた時は毎晩のようにまだ3歳の息子とお散歩を楽しんでいた。
阪急電車が大好きな息子は小豆色カラーの阪急電車に乗りたいが為にシルバーの地下鉄に乗るのを拒否し、小豆色の阪急電車を待ち、それに乗って一つ向こうの扇町駅から天神橋筋商店街を通って天神橋筋六丁目の自宅まで毎日のように散歩して帰ったもんだった。
だから、そこの商店の人々には有名な親子で、まだまだ3歳で愛くるしい彼に手を振ってくれたり、声をかけてくれたりしてくれた。
たまには天満駅前のゲームセンターでキックやパンチのゲームをやるように言われた。私に最高点数を出して欲しかったようだが、なんとそのゲームセンターには正道会館の選手が来ていたようで、とんでもない記録がハイスコアに表示されていて、少しでも近い数字が出せるように必死でトライしたものでした。
ある日なんて扇町キッズプラザの帰りに扇町公園に寄り、園内を散歩していたら、大きな滑り台の上に乳母車が置いてあってその中には忘れ物と思われる25kgのダンベルが二つ。当時の息子よりは重い(笑)。
“誰が使うんやこれ!”
と思いつつ、正道会館の選手の忘れ物やろなぁーと普通に感じていた。
商店街を散歩していると、よく当時のK-1ヘビー級チャンピオンであったアンディーフグ選手に遭遇した。ベルナルド選手もグレコ選手も武蔵選手も佐竹選手も天野選手もゲッソンリット選手も角田師範にも普通によくすれ違ったが、アンディー選手と一番よくすれ違った。
私も目立つ方のルックスなんで、アンディーも時々会釈したり、手のひらを見せて挨拶をしたりしてくれていた。
彼の息子セイヤ君と同い年だった息子にいつも笑顔で手を振ってくれたり、頭をなでなでしてくれたりしてくれた。だから親子でいつもアンディー選手を応援していた。
ある日、散歩がてら電車に乗って大阪城ホールに行った時のことですが、K-1の大会が開催されていたのですが、すでに数試合始まっていたので、ダフ屋のニイちゃんからタダ同然の値段でチケットを買い入場。ラッキーだった。初めて2人でアンディーの試合を見ることができた。
息子は大きな声でアンディーを応援していたなぁ。本当に声援を送っていた。
アンヂーって。
精一杯の大きな声だった。
ある時なんてレンタルビデオ屋さんの入り口で何かビデオを探していたアンディーがそれを中断して息子に手を振っているにも関わらず
アンヂー、チャンピオン、キック!
こともあろうことかアンディーのスネあたりにローキックを入れてしまった。。
私は頭を下げて謝りましたがアンディーはにっこり笑って頭をナデナデ。
息子はそのまま、しまじろうのビデオを探しに店内に走り去った(笑)
その2年後に彼は闘病の末、日本で帰らぬ人になった。本当に悲しかったけどあれから18年。私と同じ年だったアンディー。
いつも入場の時に流していた『We will rock you』を歌っていたフレディーとは2日違いの誕生日でね、娘がフレディーかアンディーかどちらかと同じ誕生日になりそうだったのを覚えている。結局はフレディと同じく9月5日に産まれた。アンディーと同じ9月7日ではなかった。
そんなこと息子は覚えているかなぁ。私の凄く大事な想い出の一部だったりする。
R.I.P. Super Heavy Weight Champion
"Mr.Blue eyed Samurai" Andy “鉄人”Hug
