4/12(金)  京都の四条烏丸の東横インで迎えた5日目。

9時過ぎに出発。地下鉄に乗って鞍馬口駅で下車し、南西方向へ歩いて行きました。この日は市内北西部を歩いて周遊します。

 

目的地の手前に 妙覺寺 というお寺があり、八重桜が満開でした。

織田信長の定宿であり、信長が京都に来た20数回のうち18回は妙覺寺に宿泊

本能寺の変の際は、長男信忠が宿泊していたとのこと

但し、当時は二条衣棚にあり、1583年に現在地に移転

青天によく映えていた

 

 

妙覺寺から徒歩1分程度で目的地に到着。本法寺 です。

本堂前の桜

 

本法寺は日蓮宗京都八本山の一つで、本阿弥家 の菩提寺であり、長谷川等伯 が能登から京都に出て来た時に頼ったお寺でもあります。

能登から上洛した時の姿の等伯像

 

本堂に掲げられている扁額は光悦筆


このお寺には息子の久蔵の七回忌に合せて等伯が描いた縦10m・横6mにも及ぶ大作《佛涅槃図》(重文)があり、毎年春季特別寺宝展の間(約一ヶ月)のみ真筆が展示されます(他の時期は複製展示)。今回はこれを観るためにやって来ました。

[画像は拝借]

 

1599年、等伯61歳時の作(関ケ原の戦の一年前ですね)。

巨大であることは知っていましたが、実物は想像以上の大きさで圧倒されました。

ガラス無しでジカ見できることも存在感を増幅させます。

ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂にある ミケランジェロ《最後の審判》を連想しました。《最後の審判》は上方を見上げ続けると首が痛くなりますが、こちらは↓にある写真のように2Fからも観ることができるので(正面も)、親切です。2Fからは釈迦よりも少し高い位置から見渡すことができます。

 

表具の裏には日蓮聖人以下の諸師や本法寺歴代住職、祖父母・養父母・子息久蔵などの供養銘が記されています。久蔵が亡くなる3年前には自らを引き立ててくれた千利休も秀吉の命によって自刃しました。
《佛涅槃図》には釈迦の周りに死を嘆き悲しむ弟子や動物たちが描かれています。自分をのこして先立って行った人々を哀悼し、供養する等伯の強い想いが伝わってきます。その表れの一つとして、釈迦の左方(頭の先の左隅の木の下)には自画像と伝わる男の姿もあります。憔悴し、嘆き悲しむ姿が印象的でした。

赤□の青っぽいに服(実物は緑に近い)を着た禿げたおじさんが等伯自身
 

直木賞を受賞した 安部龍太郎『等伯』では《松林図屏風》を久蔵を亡くした悲しみの中で描かれた彼岸の情景と解釈していましたが、《佛涅槃図》もまた等伯の悲しみがダイレクトに伝わってくる大作です。

等伯は本法寺本堂の天井画や客殿の障壁画も描いたそうですが、天明8年(1788)の大火で焼失したそうです。《佛涅槃図》が焼失しなかったのは、等伯の強い想いで描かれたからかもしれません。

 

下方には動物たちも悲しんでいる姿が描かれていますが、中央にはこの時代には珍しいコリー犬もいます。南蛮人が堺に持ち込んだようです。

[画像は拝借]

 

また、等伯が自作に「自雪舟五代」との署名を入れたのは本作が初めてであるそうです。豊臣秀吉の死没を機に、狩野派に対抗するために自らの画系の正当性を主張するためのアピールとして始めたとされているようです。
《佛涅槃図》は追悼の想いだけではなく、そうしたアピールも兼ねている点に戦国時代の絵師の逞しさ・強かさも感じさせます。

 

その「自雪舟五代」については、等伯の世話をした本法寺の日通上人がその系図を『等伯画説』(重文)に書き残していて、それも《佛涅槃図》の右下に展示されていました。


[画像は拝借]

 

↑によると、等伯の先々代(等伯が養子として入った仏具絵師の家の先々代当主)が雪舟の弟子等春の弟子であったとしています。
等伯が上京した時の本法寺住職の肖像画
《日堯上人像》(重文)も展示されていました。まだ等伯ではなく、信春と名乗っていた時期の作品。

      [画像は拝借]        

私が観覧していた時、本法寺のお坊さんが壇家と思しきオジサンに展示物の説明をしていたのですが、「この絵を見た日堯上人が等伯に「おまえは絵が下手だなあ」と言って、等伯が激怒した」「海外から貸し出し要請があった時には8千万円の保険をかけた」といった話が聞こえてきました。
他にも、
等伯《波龍図屏風》伝本阿弥光悦《赤樂茶碗(馬上杯)》もあり、《佛涅槃図》以外にも貴重な品をいくつも観ることができました。

[画像は拝借]

 
本法寺には 
本阿弥光悦 が作庭した唯一の庭園という『巴の庭』(国指定名勝)もあります。三箇所の築山で巴紋を表現することから「三巴の庭」とも呼ばれているそうです。書院の縁側前にある半円を2つ組み合わせた円形石と、切石による十角形の蓮池で「日」「蓮」を表現しています。

↓日・蓮

 

 

↓は 十(つなし)の庭(光悦による作庭ではない)

庭には九つの石が置かれているが、見る人の心の中にはもう一つの石(意思)があることから名付けられたとか。また、十を「つなし」と読ませるのは、一(ひとつ)から九(ここのつ)までは後尾に「つ」がつくが、十にはつかないので「十(つなし)」になるとのこと。

 


丁度、桜も満開であったし、見所豊富なお寺でした。

以前から鑑賞したいと思っていた 等伯《佛涅槃図》は圧巻でした。
嵐山・祇園・清水寺と違って空いていたし(外国人客もゼロ)、ノーストレスで満喫できました♪

 

↓ZEPのロック殿堂入りセレモニーでの Herat によるカバー

 ドラマーは亡くなったジョン・ボーナムの息子のジェイソン

 ジミー・ペイジやロバート・プラント(目がうるうる状態)の前での演奏

 オバマ夫妻の姿も見える