宝塚記念、リスがアタマとは・・・びっくり  レーンにやられた!

1, 2着が逆ならば3連単的中だったのに、ガミってしまったわ。えーん

キセキは昨秋の酷使の影響で、状態が元に戻っていないようですね。

これで、競馬は一段落。夏競馬はボチボチ、やりますわ。ニヤリ

 

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北京旅行の最終日。

最後の観光をした後、夕方の便で帰国です。

 

出発前、ガイドさんから、パスポート・財布・携帯等、忘れ物はありませんね? との念押しがあった後、8:30 にホテルを出発しました。

 

そして、最後の観光の前に、最後のショッピング。チーン

ラテックス寝具店に連れこまれました。以前、別の中国ツアーに参加した時も、ラテックス寝具店が組み込まれていた事がありました。

 

当然、私は何も買いませんでしたが、アラ環の美容師夫妻が約10万円のシングルベッド用マットを2個お買い上げ。ニヤリ この夫婦、海外ツアー経験が殆どないようでした。免税制度すら知らなかったので、私が教えてあげたほどです(結局、その店は免税対象店ではなかった)。

海外ツアーに組み込まれている店は、こういう初心者をカモにするのはお手の物♪

親しい人であれば、私も注意を促したのですけどね。今頃、後悔していなければいいけど・・・

オバチャン軍団も、何か小物を買っていました。

 

 

そして、いよいよ最後の観光。天安門広場世界遺産 故宮博物院(紫禁城)

まずは、あの天安門広場へ。

 

天安門広場の南に位置する高さ42mの正陽門(前門)

 

正陽門(前門)を入ると、北に向かって主要な建物と広場があり、更にその先に故宮博物院(紫禁城)が続いています。

まず最初に見えるのが、毛主席記念堂

 

この中には、防腐処理された毛沢東の遺体が安置されていて、観覧できるようになっているそうです。上の写真ではわからないと思いますが、建物の周囲には中国人民の大行列ができていました(我々は入場せず)。

地方在住の中国人民にとっては、北京へ行って万里の長城に登り、北京ダックを食べて、毛主席の遺体に拝謁するのが夢であると、ガイドさんが話していました。

 

毛主席記念堂 の反対側が広大な広場になっています。

ここが1989年、民主化を求める人民を大虐殺した現場となった天安門広場です。

天安門広場。左端に見える巨大な石碑(高さ 37.94m)は人民英雄記念碑

 

人民英雄記念碑は、清末の蜂起から抗日ゲリラ戦までの名もなき革命烈士を顕彰するものであるそうです。

ガイドさんは、天安門事件も抗日ゲリラ戦も一切触れませんでしたけどね。

天安門広場、モスクワの赤の広場のような威圧感はなく、至って平和な雰囲気でした。

警備のものものしさも想像していたほどではありませんでした。

 

広場左手(西側)には全国人民代表大会が行われる人民大会堂

 

そして、広場の北に 天安門 があり、その向こうに故宮博物院(紫禁城)が続きます。

天安門

 

紫禁城について、Wiki の説明を引用しておきます。

~明清朝の旧王宮である歴史的建造物。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。面積は 725,000m2 あり、世界最大の木造建築群である。別称の故宮とは「古い宮殿、昔の宮殿」という意味で、現在は博物館(故宮博物院)になっている。~

 

天安門を潜り抜けると、紫禁城の南門である午門が現れました。

午門

 

この門前で、ガイドさんがチケットを買いに行っている間、待機。この辺り、個人旅行の場合、面倒くさそうです。

午門を潜り、紫禁城に入城。

手前側に広がるエリアが、明清朝で公式行事や儀式が行われた外朝です。

 

外朝の入り口である太和門。明時代には、皇帝が臣下の上奏の聞いたり、詔勅を発した所。

太和門(現在の建物は清時代の1889年再建)

 

太和門前の銅獅

 

太和門から外朝に入り、紫禁城の中心となる正殿(中華世界の中心)である太和殿へ。

太和殿(現在の建物は清時代の1695年再建)

瑠璃色の瓦は王宮(皇帝)以外の使用は禁じられていた

 

皇帝の即位・婚礼・重要な国家的式典が行われた場所です。

 

屋根の端に施された装飾で、鳳凰に乗った仙人と変形した龍の仲間が一列に並ぶ”走獣”

 

 

宝座

 

太和殿前から太和門を振り返った所

 

 

太和殿の奥にある中和殿(この辺りは見物する時間なし)

太和殿での式典の際、皇帝が休息した所

 

中和殿の後方にある保和殿(ここも見物せずにスキップ)

明時代は、太和殿での式典の際、皇帝が着替えをした所

清時代の乾隆帝以降は、ここで科挙の最終試験「殿試」が行われたとのこと

 

 

ここから先は、皇帝一家が居住した 内廷 と呼ばれるエリアになります。

似たような造りの建物が連続するし、暑いし、混雑は激しいし、この辺りでは集中力も途切れ、識別困難・思考停止状態になってきました・・・滝汗

 

内廷への正門である乾清門(現在の建物は清時代の1747年改修)

清時代びは、皇帝が諸大臣からの政務報告を受ける場所であった

 

乾清門を潜った後、右手の日精門から出て、書・刀剣・青銅器等の故宮文物が展示されている後宮に案内されました。

 

景仁宮(康熙帝誕生の場所。後に、西太后に殺された珍妃が暮らしていた場所でもある)

 

承乾宮

 

殷(実在が確認されている中国最古の王朝)時代の兜(紀元前1300~紀元前1046頃)

 

漢字の元になった文字が刻まれた器(いつの時代かはメモしなかった・・・)

 

越(紀元前600年-紀元前306年頃の春秋時代に現在の浙江省の辺りにあった国)王の剣

 

楚(紀元前11世紀-紀元前223年頃に現在の湖北省・湖南省の辺りにあった国)王の剣

 

故宮にあった目ぼしいお宝は全て、蒋介石が持ち去ってしまったので、貴重なお宝は殆ど残っていないそうです。

ちなみに、『中国で最も良い石は翡翠の一種の”〇〇石”(忘れてしまった)で、最も悪い石は”蒋介石”』というジョークがあるそうですw ニヤリ

 

 

以上で、約2時間の天安門広場~紫禁城の見物終了。

紫禁城は、とてもこんな短時間では時間が足りず、物足りませんでしたが、仕方ありません。

他のお客さん達も疲れ切っていたようだし・・・

 

御花園

 

御景亭

 

神武門(北側の出口)を出て振り返った所

 

正面に見える景山公園(時間があれば、この公園から紫禁城を一望したかった)

 

外堀

 

外側から撮影した角楼(紫禁城の四隅に建つ日本の天守閣に似た楼閣)

 

 

この後、バスに乗車して、空港へ向かいました(途中、昼食あり)。

昼食会場へ着く前、オバチャン軍団の一人が、私の席の近くで叫びを上げました!

「ケータイをホテルに忘れた! 多分、枕の下。夜中に時間を見るために置いたのを忘れた」

 

最後にやってくれました、オバチャン軍団。ニヤリ

あれほど念押しされても、やるんだね。オレ詐欺がなくならないのも、わかりましたよ。

ガイドさん、すぐにホテルに電話して確認。そして、タクシーで昼食の店に運んできてもらう調整をしてくれました。仕事が早い! 欧米ならば、多分、諦めている所であったでしょう。

 

トラブルも解決し、空港へ。

後は何事もなく、予定通り、21:30 に羽田空港に降り立ちました。

今回は4日間(観光は3日間)の短い旅行でしたが、北京で見たい所は一通り見物できたので(内容は薄かったけど)、満足はできるレベルでした。

 

以上で、北京旅行記は完結です。ニコニコ