※2019年12月に鑑賞した作品も2020年2月に追記しました。
(ドラクロワの 《モロッコのユダヤ風結婚式》 と ジェリコーの《エプソムの競馬》 )
理性・理論偏重の古典主義に異を唱え、感受性や主観を重視するロマン主義が欧州各地で興りました。フランスロマン主義の代表格が ウジェーヌ・ドラクロワです。
そのドラクロワの代表作であり、ロマン主義の特徴の一つである「民族意識の高揚」の究極作品がルーヴルにあります。ダヴィッドの 《皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式》 と並ぶフランス絵画を代表する名画です。
民衆を率いる自由の女神-1830年7月28日 (1827-28年)
左手に銃剣、右手にトリコロールを掲げた自由の女神の先導で、同胞の屍を乗り越えて進んで行く人々。
《皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式》 が”フランス史の名場面”とすれば、こちらは”フランスの魂”といった所でしょうかね。こちらも、ルーヴルにやって来たことを実感させてくれる一枚です。
墓地の孤児(墓場の少女) (1824年)
写真ではよくわかりませんが、少女の大きな目からは涙が溢れようとしています。
シチュエーションは不明(タイトルから、親が亡くなったとの推測が妥当でしょうけど)ですが、少女の大きな悲しみ、悲劇性が伝わってきます。
背景や少女の服も、そうした感情を増幅しています。感情に強く訴える、ロマン主義らしい作品であると思います。
この絵は、日本の展覧会でも観た記憶があるのですが、どの展覧会であったか思い出せない・・・
サルダナパロスの死 (1827-28年)
厳格な形式美を追求する新古典主義全盛の時代であったので、この一枚は発表当時、批評家達から猛烈に批判されたそうです。激情渦巻く、カオスのような絵に感じられたのでしょう。
サルダナバロスは、放蕩の限りを尽くしたアッシリアの暴君でしたが、バビロニア軍に包囲されて、最期を悟り、取り巻きの美女や愛馬を皆殺しにさせている情景です。寝台に横たわり、それを眺めている髭面の男がサルダナバロス。その冷酷さと惨劇の様子が見事に表現されています。バイロンの詩を題材にして描かれたそうです。
この絵を観ていて、有名な史記の「垓下の歌」を思い出しました。楚王の項羽は
『騅(すい)逝ゆかず 騅の逝かざるを奈何(いかに)すべき
虞(ぐ)や虞や若(なんじ)を奈何せん』 ※騅は愛馬、虞(美人)は愛人
と嘆き悲しみますが、サルダナバロスにそうした情愛は伺えません。
アラブの王らしいなと(笑)
↓はドラクロワがモロッコを旅行した際に実際に出席した結婚式の風景を描いたそうです。
★モロッコのユダヤ風結婚式 [2019年12月に鑑賞]
↓は有名作品ではないと思いますが、これもドラクロワらしい一枚。
Lion devouring a rabbit (1856年)
お次は、ドラクロワにも影響を与えたロマン主義の先駆け、テオドール・ジェリコーの有名作。
メデュース号の筏 (1818-1819年)
1816年、フランスの軍艦メデューズ号はモロッコ沖で座礁。救命ボートの数が足りず、船員以外の150名の人々がその場で拵えた筏で脱出し、漂流しました。
ボートは13日後に発見さましたが、生存者がわずか15名。漂流中、筏の上では飢餓のため、・暴動・殺戮・人食喰いといった阿鼻叫喚の地獄絵図が展開したそうです。
フランス政府は事件を隠蔽しましたが、生存者がその凄惨な状況を綴った書籍を出版したことによって公になり、大騒動となりました。
それを絵に描いたのがジェリコーで、これもまた大騒ぎになったそうです。
どう見ても、世情を煽ろうとする絵ですね(笑) PRIDE や K-1 の煽りVを連想しますw
実際の筏が絵の様であれば、13日も漂流できなかったでしょう。当時の人々が抱いたイメージがよくわかります。客観的事実よりも、主観。ロマン主義らしい一枚です。
ちなみに、ジェリコーは落馬による怪我で、32歳で亡くなりました。
邦題: 地獄へ道連れ
ジェリコーの有名作品をもう一枚。
競馬ファンが見たら、一目で違和感を感じる馬の疾走する姿です(笑)
「フライング・ギャロップ」という馬の疾走感を強調するためにイギリスでよく描かれた姿らしいですが、実際の馬はこんな走り方はしません。
★エプソムの競馬 (1821年) [2019年12月に鑑賞]
英国ダービーが開催される本物のエプソム競馬場(ロンドン郊外)
お次は幻想的で、且つ情感タップリのロマンティックな絵です。
エンデュミオンの眠り(月の効果)/アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン (1791年)
新古典主義様式からロマン主義的様式へと画風が変化していったので、どちらに分類されるか微妙な画家。折衷画家という位置付けもあるようです。
本作は時期的には早いですが、ロマン主義的と判断したので、本稿で掲載しました。ダヴィッドの弟子でもあったそうですが、その後、独自路線に進んだようです。
永遠の眠りに落ちている、地上で最も美しい青年である羊飼いのエンデュミオン。
月の光に姿を変えた女神ディアナが訪れ、抱擁しようとしている場面。
セフュロスがディアナが通れるように、枝を掻き分けています。
エンデュミオンの美しい身体を優美な線で描き、気怠い官能美と清らかな月光が相まって、何とも言えない情感を醸し出しています。私にとっては、他に類例が思い浮かばないタイプの幻想的で神秘的な絵でした。
若き殉教者の娘/ポール・ドラローシュ (1855年)
日本では、”怖い絵”《レディ・ジェーン・グレイの処刑》 で有名なドラローシュ。
描かれている娘は、3世紀末のローマで、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒弾圧によって、両手を縛られ、川に投げ込まれた殉教者。
これも幻想的で美しい絵ですが、この数日前、ロンドンのテート・ブリテンで観た ミレイの 《オフィーリア》 のパクリ説があるそうです。実際に観て、成程と思いました(笑)
(テート・ブリテンで撮影)
エステルの化粧/テオドール・シャセリオー (1841年)
シャセリオーは最初、アングルに弟子入りしましたが、その後、ドラクロワに傾倒し、アングルから破門されたようです(笑)
エステルは旧約聖書に登場するユダヤ人の娘で、ペルシャ王に謁見するために化粧をしている姿です。
アングルの 《グラン・オダリスク》 を意識して、オリエントの美女を描いたようですが、色彩感覚はドラクロワの影響が強そうです。
新日本プロレスでトップを張った武藤敬司が全日本プロレスに移った時、「オレ、こっちの方が向いてるなあ」と言ったそうですが(友人から聞いた話)、それを思い出しました。
プロレスファンでなければ、意味不明ですかね(笑)
私の中では、新古典主義=新日本プロレス、ロマン主義=全日本プロレス、なのですw
以上で、フランスロマン主義終了。
フランス絵画、まだ続きます。まだ、甘ったるいのが残っています。