今年の6月、フィレンツェで見損ねた ブロンズィーノ の傑作を観るために、八王子創価村の美術館へ行ってきました。この美術館訪問は、レンブラント の傑作が来日した「ポーランドの至宝展」以来、7年振り2度目でした。

 

 

 

入館したのは平日の11:30頃でした。

まず、大量のオバチャン軍団にビックリ! (ノ゚ο゚)ノ

信者達なのだろうか?

(13時頃になると空いていたので、入ったタイミングが悪かった模様)

 

左: 伊東マンショの肖像/ティントレット

右: ビア・デ・メディチの肖像/ブロンズィーノ

 

開催中の企画展「遥かなるルネサンス」は、1582年2月20日(天正十年)、イエズス会が日本人の4人の少年をイタリアに使節として送った天正遣欧少年使節団の旅路を辿りながら、それにまつわる美術品を展示しています。

 

↑のチラシの2枚の絵がメインで、伊東マンショの肖像 は2014年に奇跡的に再発見されたものであり、西洋の一流画家が日本人を描いた最初の絵とされています。

ビア・デ・メディチ は5歳で亡くなったメディチ家のプリンセスで、天正遣欧少年使節団とは直接関係ありませんが(絵が描かれたのは約40年前の1542年頃)、使節団はフィレンツェも訪れ、当主フランチェスコ1世から歓待を受けたと伝わっています。

その時の晩餐会で、伊東マンショは王妃のビアンカとダンスを踊ったそうです。

 

  

フランチェスコ1世(拾い物)         ビアンカ・カペッロ(拾い物)

 

使節団が宿泊したヴェッキオ宮(今年6月にフィレンツェで撮影)

 

使節団はヴァチカンも訪れ、ローマ教皇とも対面。

80歳を超えていた教皇グレゴリウス13世は涙を流して祝福したそうです。

カトリックの威光が地球の裏側近くまで及んだことに感激したからです。

 

ローマ教皇グレゴリウス13世(拾い物)

 

展示室には、使節団が訪れた地の工芸品(タペストリー、メダル、盾等)が並んでいました。

絵画では、ティントレットの他の作品やヴェロネーゼの作品もありました。

 

レダと白鳥/ティントレット(拾い物)

 

 

最大のお目当ての ビア・デ・メディチの肖像 は期待通りの素晴らしさでした。

父コジモ1世が娘を偲んで描かせたこともあって、愛情と哀しみを感じさせます。抑制を利かせ、品格を保ちながら、そうした感情を表現する ブロンズィーノ の筆は見事です。上品さが際立っています。

この1枚を観るだけでも、訪れる価値があると思います。

 

 

この後、常設展も鑑賞しましたが、それは次稿で。