黒い雲の切れ目から青空も覗き始めた空。その青空は、まるで今の私の心を映しだしているかのようです。つい先ほどまで、空腹と雨で暗くなっていました。でも、あの店で素敵な出会いがあり、黒い雲を破って青空が覗いてきています。満ち足りたのはお腹ばかりではありません。心もすっかり満ち足りています。
薩た峠の手前、西倉沢の街並みは、味わいのあるものでした。味わいがあるのは街並みだけではありません。たまたま家の前に出てきた女性が、歩いている私と目が合うと、「こんにちは」と声をかけてくれます。こうした挨拶というのは、とても気持ちがいいものです。私はますます心が満ち足りてきました。
この集落を抜けると、右側の山道に向かって、薩た峠の案内があります。いよいよ今日のハイライト、薩た峠越えです。これまでの道とは異なる急傾斜を上っていきます。駿河湾は徐々に眼下に離れていきます。右手の斜面はミカン畑が広がっています。これもまた、北海道では見られない光景です。
気になるのが、ミカンの木に紛れてときおり見かける木です。変わった形の花でしょうか、実でしょうか。ついているのですが、その形からいったい何の木であるか、想像ができません。
あとからいろいろ調べてみると、どうやらびわのようですね。次に見たときは、「これはびわだよ」と知ったかぶりもできそうです(笑)。
薩た山では、古くは室町時代から合戦があったようです。今では絶景の地に立つこの山自体が、古の戦士たちを祀る墓標となっているのかもしれません。
ほどなくして、駐車場が見えてきます。ここからはミカン畑の中の道を歩きます。かつては旅の難所だったという薩た峠ですが、今はしっかりと整備されているため、手ごろなハイキングコースとなっています。
天気がよければ、広重の絵にも描かれた富士山を拝むことができます。
しかし空にはまだ、黒い雲が広がっています。徐々に青空が広がってきていますが、富士山は顔を出しそうにはありません。途中に設けられている展望台に上ると、おなじみの構図で写真を撮ることができます。
富士山は残念ですが、眼下に広がる駿河湾は、その一部がエメラルドグリーンに変わり、私の目を癒してくれます。
やがて峠をぬけて興津側に出てきました。墓地の中を通り抜けた先には、休憩用の東屋も用意されていますが、体力的にはまったく問題ありません。そのまま先を目指します。
途中、興津川の畔には、川越遺跡の表示がありました。かつてはここ、興津川も、大井川同様川越しがあったようです。でも冬は仮橋がかかって無償で渡れたそうです。
興津宿は、これまで見てきた蒲原宿や由比宿とは違い、宿場町の佇まいはさほど残っていないようです。でも、JR興津駅に向かう途中には、駿河と甲斐を結ぶ身延道の分岐があります。
JR興津駅前を通過して、さらに西へ向かいます。そこにはかつての東本陣跡や西本陣跡を示す碑があり、脇本陣水口屋などもあります。
かつての伝馬屋跡は、興津宿公園として整備されていました。そんな史跡をぶらぶらしてから、興津駅に戻りました。
16.263km。フルマラソンを走った翌日としては、よく歩いたといえるでしょう。
興津駅から静岡駅まで電車に揺られて戻ったのですが、まだ夕食には早い時間です。駿府公園くらいなら散策できそうです。ということで、静岡駅からまた歩き始めました。
ところがこの日は、大道芸ワールドカップが行われています。駿府公園内も会場となっており、数々の露店が並び、あちこちで大道芸も行われて人だかりができています。せいぜい駿府城本丸跡にある家康像を見るくらいで、のんびり散策もできません。
そんな人だかりのひとつを覗いて、私は驚きました。3組くらいの大道芸人がコラボして演技をしていたのですが、その中で津軽三味線を弾いている2人組は、帯広の北の大地de大道芸FESTIVAL2009のときに見た、セ三味ストリートです。まさかまた見ることができるとは、驚いてしまいました。考えてみれば、大道芸人なんだから、ここに出ているのは当たり前なんでしょうけどね。
公園内の露天には、静岡を代表するB級グルメである富士宮焼きそばや浜松餃子もありましたが、まだ夕食にはちょっと早かったため諦めました。今ではちょっと後悔していますが・・・。
それから島田に戻り、1日を終えました。静岡での歩行距離は2.876kmです。1日の総距離は19kmあまり。思った以上に歩きました。
いよいよ明日は大井川遠征最終日です。まだまだ旅行記は続きます。(つづく)
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