パソコン通信(BBS)は平成のSNSか? | VAIOタワーを一生使う

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1998年に購入、補修を重ねて一生使うことを決めたSONY VAIO TOWER PCV-S610を使って記録した、終活を兼ねた備忘録です。

インターネットが爆発的に普及したのはWindows95が登場した90年代半ば。SNSが普及したのは2000年を超えてからだと記憶する。しかし50代以上のパソコンユーザーにとっては、インターネット以前にパソコン通信というSNSに似たサービスがあったことを記憶している方も多いのではないだろうか。

 

私が就職して間もない80年代の半ば、パソコン通信の登場を知った。音響カプラーというアダプターを使ってパソコンを電話回線につなぎ、遠隔地にあるサーバーやコンピューターとデータ交換ができるという。当時はファクス全盛期で、パソコンを電話につないでもできることは同じレベルで楽しくも何ともない、なんて冷めた目で見ていたのだが、アスキー出版のパソコン通信を解説したムック(だったと思う)を見て考えが変わった。海外ではパソコン通信を使った掲示板サービスが普及しているらしい。自分の文章を掲示板に残して、大勢の方に見てもらうことができる...

 

アメリカにはCompuServeという巨大ネットワークがあるらしい。日本ではアスキーネットが試験運用をはじめた。しかしCompuServeに接続しようと思えば国際電話を利用しなければならず、アスキーネットにしても東京への長距離電話だ。ちょっと利用しただけでも、電話代で破産しそうである。そうこうしているうちに、大阪にJ&P HOTLINEというホストが開局した。これをきっかけに、当時は珍しかった電話機にモデムが内蔵された商品を購入して、RS-232Cというインターフェースでパソコンにつないだ。NTTにたのんで自分の部屋に電話線を引き、準備は整った。どきどきしながらJ&P HOTLINEに接続する。パソコン画面にゆっくりと文字が表示された時の感動は結構鮮明に覚えている。

J&P HOT LINE マニュアルのイラスト

当時はまだパソコンの漢字表示が一般的ではなく、ANK(アンク=アルファベット・ナンバー・カナ)と呼ばれるカナ文字中心のやり取りだったが、やがてパソコンが16ビットに移行すると共に漢字によるコミュニケーションが当たり前になってきた。私も愛機MZ-2000のコミュニケーションソフトを漢字対応に改造したりして頑張っていたのだが、割り込み機能の弱いMZ-2000は文字化けが頻繁に発生する。限界を感じた時に中古のPC-98LT(日本初の普及型ラップトップパソコンと言われている)を手に入れて、一気に漢字中心の世界へ飛び込んだ。

J&P HOTLINEメニュー画面(パソコン通信)

個人が運営するいわゆる草の根BBSの普及に続いて、1986年にNECのPC-VANが、1987年に富士通のNifty-Serveが相次いで開局した。いずれのサービスも全国にアクセスポイントを持つため、かなりのエリアで市内通話料金でサービスに接続できるようになった。長距離電話というお金をかけないと近所としかコミュニケーションできなかったパソコン通信が一気に全国とつながった。参加することで、日本中に友達ができた。

NEC PC-VAN操作マニュアル

PC-VANメインメニュー画面

私が主に書き込みをしていたのは、このJ&P HOTLINEとPC-VANという2つのサービスだった。利用していたのは「電子掲示板」と「SIG」。電子掲示板はBBS(Bulletin Board System)とも呼ばれ、テーマごとに好きな話題を書き込めるコーナー。SIGはSpecial Intrest Groupの略で、こちらは趣味や研究など特定の目的を持ったグループの集まりであり、Nifty-Serveではフォーラムと呼ばれていた。他にニュースや天気予報など情報を読み出すだけのコーナーや、リアルタイムに会話ができるチャット(Chat、OLT=On Line Talkとも)などがあった。

 

以下に、個人的に出入りしていたコーナーを備忘録的に挙げておこう。

 

■J&P HOTLINE(略称:JPH)

 

〇近畿ボード

通称「キンボー」。近畿在住の人がコミュニケーションするフリーボードという意味合いであったが、書き込みが多く、また実際にメンバーが出会う飲み会(オフ・ライン・ミーティング=通称オフミ、オフ)も非常に多かったと記憶する。高校生から年配の方まで、年齢層も非常に広かったのも特徴であった。

 

〇文芸百般

パソコン通信は文字ベースのコミュニケーションだけに、長い文章を公開するのにも非常に適している。これはアマチュアの文筆家が作品を披露する場所として公開されていた。今で言うケータイ小説やラノベの走りだったかもしれない。ストーリーがどっちへ転がっていくかわからないリレー小説なるものも何回か実施された。

 

〇AV Station

当時はオーディオ・ビジュアルブームが続いており、VHSやVHD・レーザーディスク、MDやDAT・DCCなどいろんなAV規格が世の中を賑わしていてファンも多かった。スマホにすべてが集約されてしまった今から見ると、混沌として面白い時代だったと思う。

 

〇英語ボード

正式名称は忘れた(笑)。English なんちゃらって名前だったと思う。日本人が英語でコミュニケーションしようというコーナーで、本当は全員がネイティブの方の参加を待っていたような気がする。しかし最後までネイティブの参加者は現れなかった。今だとSNSで、海外の人のコミュニケーション現場に直接飛び込んで行くことも可能なのが隔世の感がある。

 

〇SFXぱらだいす

特撮好きの方が集まったSIG。プロのSFXデザイナーの方の参加もあり、話の内容のレベルが高かったような気がする。当時は平成ゴジラや平成ガメラの話題で盛り上がっていた。

 

〇スター・トレック

トレッキーのたまり場。この時代は映画版が次々と公開されていたころで、新スター・トレックが登場する前。というわけで、メンバーはカーク船長やスポック副長などTOSのキャラクター名を名乗っていたのが楽しかった。

 

〇リバティ学園

学習塾を経営しているSIGOPさんが主宰するSIG。このSIGOPとは今でもSNSで何となくつながっているという、希少なケースでもある。

 

JPHには他にもいろいろあったような気がするのだが、もはや記憶の彼方。思い出したらまた追記するかもしれませんが...

 

■PC-VAN


〇貴方も私も映画ファン

通称「映画SIG」。その名の通り映画ファンが集まるSIGで、オンオフかかわらずここにはどっぷりと浸かってしまい、しかもメンバーが全国にまたがっていたために日本中いろんな場所でオフ会をしたのが強烈な思い出になって残っている。後述の「知的生産」で立ち上げた「映画データベース」作りに熱中したのも良い思い出である。

 

〇知的生産(旧名:システム手帳)

通称「STE(えすて)」。当時流行っていたバイブルサイズのシステム手帳は私もユーザーだったので参加したのだが、SIGOPの強烈なキャラクターに無理やり巻き込まれたという気がしなくもない。しかしここで「STEMAN(エステマン)」なるデータベースを立ち上げて、映画・書籍・音楽・料理などのデータをせっせと集めるのに熱中する。この件とその顛末はまた機会があれば書き込むことにしようと思う。

 

PC-VANは山のようにSIGがあったのだが、今思えば深くかかわったのはこの2つだけであとはさらっと流していたような気がする。そうそう、PC-VANにも英語SIGがあってそこに「BABEL」という英語以外の言語で書き込むコーナーがあった。スペインを愛してやまない私はスペイン語の書き込みをしていたら、ネイティブの方から「イタリア人かと思った」と言われてちょっとしょげた思い出がある(イタリア語とスペイン語は似ている)。

 

インターネットの登場により90年代の後半から2000年代にかけて次々と消えて行ったパソコン通信。今思えば「ボツのないリクエスト番組」という言葉がぴったりで、平成のSNSだったんじゃないかと思うことしきり。インターネットのSNS炎上事件などを見るたびに、歴史は繰り返されてるなと思うのである。