この日は仕事で長野に出張したので、お昼休みにやって来たのは長野駅ビルのそば処「草笛」MIDORI店。

JR長野駅・善光寺口には長野の歴史と伝統を表現した「門前回廊」(もんぜんかいろう)があり、「大庇(おおびさし)【高さ約18m、幅約140m】と、その下を構成する木製ルーバーと、それらを支える12本の柱【約90cm角】には、長野市内各所から搬出したスギ材約1万2千本が使用されている」そうだ。

 

この駅ビル3Fにある「草笛」ホームページには、小諸城主仙石秀久公が伝えた “七割蕎麦” を伝承する店として、「東信濃には、かつて朝廷に献上する馬を育てる御牧(みまき:古代の朝廷の直轄牧場)があり、それらの御牧を管理していた人々が、この地方に蕎麦を伝えたといわれています。この蕎麦を、蕎麦切りにして領民に広めたのは “仙石さん” と親しまれていた小諸城主仙石秀久公です。秀久公は当時、蕎麦切りを媒体にして領民とのコミュニケーションをはかったと言われています。草笛社長中村利勝が仙石秀久の13代目にあたる方と友人であったことから、古文書に記された記述を小諸蕎麦切りの伝統として受け継いだ経緯があります。草笛は仙石秀久公が伝えた小諸蕎麦切りの伝統の技を守り続けてきました。仙石秀久公が伝えた小諸蕎麦切り400年の伝統の技を守り続けています。地産地消に取り組むだけでなく、正真正銘の「信州蕎麦」を提供させていただくことが、お客さまの安全と安心に通じるという思いから、自家栽培にも取り組んでおります。」とある。

店内は小綺麗で老舗のお蕎麦屋さんの雰囲気が出ており、駅ビルなのでお客さんは多かった。(写真上はNETから借用したので空席です)

 

ここで注文したのは “ざるそば”(980円)400年の伝統の “七割蕎麦” とは一体どんな味なのか?楽しみだ。

(写真上はNETから借用)

 

しばらくして “ざるそば” が登場した。そばの上に “刻み海苔” がたっぷり載っている。そばの量もかなりありそうだ。

 

さて一口いただくと “コシがあって美味しい!” やはり長野は「信州そば」の特産地なのだ。

NETによると「信州そばは、一般的には長野県で作られる蕎麦の総称である。有名なそば産地として、「戸隠」(旧戸隠村)、「開田」(旧木曽郡開田村)、「川上」(川上村 )、「柏原」(上水内郡信濃町)、「唐沢」(東筑摩郡山形村)、「富倉」(飯山市)、高遠(伊那市)等がある」とのこと。これだけのそば産地があれば美味しいはずだ。なかでも「 ”戸隠そば” は、岩手県の ”わんこそば” 、島根県の ”出雲そば” と共に、”日本三大そば” の一つとされる」とある。確かに以前戸隠に旅行したときに、子供が “美味しい美味しい” と言って、そばをお替りしたのを思い出した。しかし、この “ざるそば” は食べても食べても無くならない。何と400gあったらしい。やっと食べ終わり、最後は蕎麦湯を頂きました。

しかし、この “蕎麦湯” とは、そもそも何物なのか? NETによると「蕎麦湯とは蕎麦屋における主要な副産物(産業廃棄物)」とある。「蕎麦湯は蕎麦に含まれているたんぱく質が溶け出しているため、白く少しとろみがあります。たんぱく質以外にも、蕎麦には米や麦には含まれていないポリフェノールのルチン、アミノ酸がバランスよく含まれます。蕎麦湯には蕎麦が持つビタミンB1やルチンといった栄養がたっぷりと溶け出しているため、蕎麦湯を飲むことで蕎麦が持つ風味を楽しめるだけでなく余すことなく栄養も取り入れることができます」とある。そもそも、そばの “茹で汁” は味気が無く飲んでも美味しくないし顧客に出せたものではなく捨て場に困っていたそうだが、蕎麦を食べる際に使った蕎麦つゆを蕎麦湯で割ることで身体も温まるし、薬効も得ながら味も誤魔化せる……ということで次第に普及したとのこと。産業廃棄物から一転、副産物に昇格した蕎麦湯は「 “これを飲まなきゃ蕎麦通じゃない” と言われるまでの必需品としてその地位を確立した」とある。“これは画期的だ!” 捨てるに困っていた物を有効利用してゴミを減らした努力は称賛に価する。

 

ところで、ここ「草笛」は蕎麦粉が70%の “七割蕎麦” だが、公正競争規約(不当表示や過大な景品類の提供による競争を防止することを目的とした規約)によると、生麵は「蕎麦粉が30%以上使用されていないものは “そば” と表示できない」とある。蕎麦は細く切ると千切(ちぎ)れやすいため粉どうしをつなぐためには、つなぎ(小麦粉)を入れるのが主流になっているが、“七割蕎麦”、“二八蕎麦”、“九割蕎麦”、“十割蕎麦”は、蕎麦粉の割合がそれぞれ70%、80%、90%、100%を表しており、蕎麦粉が30%以上使用されているので問題無い。ところが乾麺では「蕎麦粉の配合量を記載していれば30%未満でも構わない」とある。すなわち「1%でもそば粉を配合していて、容器や包装に蕎麦粉の配合割合を “10%未満” と表示さえしていれば、あとの99%は小麦粉でできていても “蕎麦” として販売することができる」そうだ。 “これは驚きだ、カップ麺も同じなのだろうか?” 心配になって調べたところ、即席麺(カップ麺)は即席麺の品質表示基準と公正競争規約が定められ、「蕎麦粉が30%以上使用されていないものは “そば” としての販売ができません」とあった。“即席麺は乾麺とは違い一度茹でているからか、生麵と同じ扱いなのだ。とりあえず安心した。”

 

ところで、食品表示には「使われている量が多いものから順に書く」というルールがあるそうで、「めん(小麦粉、そば粉、食塩)」との表示があれば、「小麦粉の量がそば粉よりも多い」ことになり、そば粉の配合割合に「2割」との表示があれば、小麦粉が80%も配合されていることになる。(写真上)

 

しかも80%も小麦粉が配合された “そば” は色が白くなってしまうので、着色料(カラメル)を加えて “そば” らしい色に見せかけているそうだ。“え~、そんな事までしてんの?” しかし更なる驚きは、「蕎麦粉が30%以上使用されていないものは “そば” としての販売ができません」との基準/規約は、“外食店” には適用されないことだ。そのため安価で商品を提供する “立食い蕎麦店 ”では「小麦粉が8~9割で、蕎麦粉は1~2割しか入っていない」こともあるらしい。そこで 都内の “三大立食い蕎麦店” に関して調べてみたところ、蕎麦粉の割合は、

(ゆで太郎)蕎麦粉 55%:小麦粉45%

(富士そば)蕎麦粉 40%:小麦粉60%

(小諸そば)蕎麦粉 20%:小麦粉80%

とあり、蕎麦粉は(ゆで太郎)が一番多いが、一番美味しいとの評価は蕎麦粉が少ない(小諸そば)とのこと。

(個人的には(小諸そば)は全く美味しいと思わないが・・・)

 

しかし、銀座で “立食い蕎麦” を食べるならば、(よもだそば)か(吉そば)がお薦めだ。(よもだそば)はそば粉の配合の高いようで、しっかり “そば” の味がする。また、メニュー(インドカレー他)が多いためいつも行列ができている。

(吉そば)も “そば” の味がして美味しい。以前は“大盛”無料だったが、今では並盛の “春菊天そば” が600円に値上げされてしまった。

 

やはり、蕎麦粉は多い方が “そば” の味がするし、自家製麺の生蕎麦や、国産蕎麦粉・国産野菜、また本醸造の醤油を使用して、化学調味料・着色料・甘味料は無添加にこだわった製法が、(よもだそば)、(吉そば)の “美味しさ” の秘密であるようだ。

 

実は、前夜にも同じ駅ビルの「みよ田」で “天婦羅せいろ”(麺増量:1,700円)を食べたが、そばの量が少なくて味は「草笛」の方が美味しかった。

 

さて今回の評価だが、味は “美味しかったが最後は単調になってしまった” ので4、量は “400gで充分だった” ので5、価格は “ちょっと高かった” ので4、店の雰囲気は “駅ビル” だったので4で、総合評価(4.25)はBランクでした。

 

信州蕎麦の草笛 MIDORI店【公式】 (owst.jp)

 

帰りに新幹線待ちで寄ったのは「善光寺」。時間が無いので急いで電車に乗って5分の「善光寺下」駅へ・・・。

善光寺の昔ばなしの中で「牛に引かれて善光寺参り」との有名な諺があるが、「昔、信濃の国小県の里に心が貧しい老婆がいました。ある日、軒下に布を干していると、どこからか牛が一頭やってきて、その角に布を引っかけて走り去ってしまいました。女はたいそう腹を立てて、「憎たらしい。その布を盗んでどうするんだ。」などと怒りながらその牛を追いかけていきました。ところが牛の逃げ足は早く、なかなか追いつきません。そうする内に、とうとう善光寺の金堂前まで来てしまいました。日は沈み牛はかき消すように見えなくなりました。ところが善光寺の仏さまの光明がさながら昼のように老婆を照らしました。ふと、足下に垂れていた牛の涎(よだれ)を見ると、まるで文字のように見えます。その文字をよく見てみると牛とのみ思ひはなちそこの道に なれを導く己が心をと書いてありました。女はたちまち菩提の心(仏様を信じて覚りを求める心)を起こして、その夜一晩善光寺如来様の前で念仏を称えながら夜を明かしました。昨日追いかけてきた布を探そうとする心はもうなく、家に帰ってこの世の無常を嘆き悲しみながら暮らしていました。たまたま近くの観音堂にお参りしたところ、あの布がお観音さんの足下にあるではないですか。こうなれば、牛に見えたものは、この観音菩薩様の化身であったのだと気づき、ますます善光寺の仏さまを信じて、めでたくも極楽往生を遂げました」とある。

不信心な老婆を改心させる程のご利益(ごりやく)があるので、これは是非お参りしておかなくては・・・。

境内の案内所には、その牛(?)が置かれている。

 

山門は江戸時代中期1750年に建立で「五間三戸二階二重門」造り、屋根は栩葺(とちぶき)で国の重要文化財に指定されている。「善光寺」と書かれた額が掲げられているが、大きさは約三畳分あるそうだ。

 

本堂は1707年の再建で江戸時代中期を代表する仏教建築として1953年に国宝に指定されている。

 

「善光寺」ホームページには「『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、552年仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。この仏像は、仏教という新しい宗教を受け入れるか否かを巡る崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部(もののべ)氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。その後、信濃国国司の従者として都に上った「本田善光」(ほんだよしみつ)が阿弥陀池にて拾いました。なんでも、阿弥陀仏が水の中から飛び出してきて、本田善光の背中におぶさったと言います。天皇の許可を得て、信濃・飯田の自宅に持ち帰りました。はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に642年現在の地に遷座されました。644年には女性天皇・皇極天皇による勅願(ちょくがん:天皇の命令によって国家鎮護などを祈願すること)により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました」とある。

この阿弥陀仏、正式には「一光三尊(いっこうさんぞん)阿弥陀如来」は、ひとつの光背の中央に阿弥陀如来で、向かって右に観音菩薩、左に勢至(せいし)菩薩が並ぶ、善光寺独特のお姿をされています。654年以来の絶対秘仏であり、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして「前立本尊」(まえだちほんぞん)が造られました。普段は御宝庫に安置されていますが、七年に一度の「御開帳」の時だけ特別にお姿を拝むことが叶います。

この「前立本尊」は“重要文化財”に指定されているが、御本尊の「一光三尊阿弥陀如来」は “国宝” でも “重要文化財” でも無い。この理由は、同像は「絶対秘仏」とされており1300年間以上、保管されている内厨子(うちずし)の扉が開かれていない。すなはち、現在に至るまで参拝者ばかりでなく、善光寺の僧侶でさえ見たことがない。文化財が国宝等に指定されたのは近代以降なので、誰も見たことがない秘仏に関しては文化財として指定されなかったとのこと。

 

本堂最奥部の「瑠璃壇」(るりだん)には、御本尊が納められ安置されている内厨子がある。

本堂は、高さ約27m 間口約24m 奥行約54mという東日本最大級の国宝木造建築で、衆生の煩悩の数と言われる108本の柱で造られている。本堂内部には約150畳敷きの内陣がある。

 

「御開帳」とは、七年に一度に絶対秘仏である御本尊の御身代わり「前立本尊」を本堂にお迎えして特別にお姿を拝むことができる行事のこと。「前立本尊中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸に変わり、白い「善の綱」として本堂前の「回向柱」(えこうばしら:自分自身の積み重ねた善根・功徳を相手にふりむけて与えること)に結ばれます。その回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じこと。ここにありがたいご縁が生まれ、その功徳ははかりしれません」とある。

現本堂が再建された際に、松代藩が幕府から建造の監督を任されて、それが縁となり回向柱(長さ10m 直径1mほどで、樹齢150年~200年以上の杉の大木)は現在まで300年余にわたって長野市松代町から寄進されているそうだ。

 

「善光寺」ホームページには「当寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られます」との記載があるが、“無宗派” とは何なのか? NETによると「朝鮮半島の百済国から日本に初めてもたらされたと伝えられる仏像を本尊とし、日本仏教の根源であると考えられてきたためです。このため、善光寺はどの宗派の人でも受け入れる、一宗一派に偏ることなく全ての宗派に門戸を開く、宗派を超えたお寺なのです」とある。なるほど、日本に初めて仏教が伝わった7世紀なので、諸宗派に分かれる以前からの日本仏教の “根源寺院”  なのだ。しかし聖徳太子が創建した法隆寺は善光寺よりも早い607年なのに、“無宗派” ではなく “聖徳宗” の総本山だ。現在、日本国内の仏教には156もの宗派(約7万7千寺院)が存在するらしいが、最初は “無宗派” であっても、宗派に加わった方が安定した管理・運営が可能なためだろうか?“無宗派”の寺院は全国にどれ位あるのだろうか?

 

本堂手前には「大香炉」があるが、戦時中に金属供出に出されたものの1956年に再び奉納されたもの。本堂に入る前に線香を供え、その煙で心身を清浄にし、また体につければ “無病息災、病気平癒” の功徳が得られる。

 

山門の南東にある大きな地蔵は1722年造立の「延命地蔵」。高さ3m程で大きい。

 

 

仁王門は1752年に建立されたが、善光寺大地震などにより二度焼失し大正七年(1918)に、高さ約14m 間口約13m 奥行約7mのケヤキ造りで再建されたそうだ。これも立派だ。

 

善光寺参道(長さ約460m 幅約8m)には様々なお店が並んでいるが、この石畳は1714年に江戸中橋の大竹屋平兵衛より寄進されたもので、古来より7,777枚あると言われており長野市の文化財に指定されているとのこと。

 

 

ここで寄りたかったのは「八幡屋磯五郎」本店。

 

自宅用としてお土産に買ったのは “ゆず七味”(756円)。定番の “七味唐からし” に “ゆず” が入っている。“ゆずの香りが食欲をそそる!”

 

“ゆず七味” を購入して「善光寺参り」を終了!