第100回記念「箱根駅伝」は、青山学院大学の大会新記録(10時間41分25秒)による優勝で終わった。

「箱根駅伝」は起伏が多いコース(急坂/山道/海風/山風/雨道/雪道)のため選手起用が難しく、抜きつ抜かれつの攻防が面白い。

毎年楽しみにしているがテレビで見ているうちに自分でも走りたくなり、2003年に往路を、2008年に復路を走ったので、下記に2008年(復路)のランニング記録をアップします。­

 

箱根駅伝6区(芦ノ湖→小田原) 23.8km  2008/10/19(日)

5年前に箱根駅伝の往路(108km)を7日間かけて走ったが、今年は復路を走ろうと考え晴天の日曜日に箱根まで出かけた。まだ紅葉にはほど遠かったが、観光客も車も大変多く、初秋の休日は賑わっていた。スタート地点の芦ノ湖付近には箱根駅伝の石碑や銅像があり、歴代の優勝校が記録されていた。

湖畔で短パン、Tシャツに着替え準備運動をした後に、脱いだ荷物を背中のリュックにしまって午後2時に芦ノ湖をスタートした。国道は人出が多く大変走りにくい。歩道を歩行者が占有しているときには歩いて、歩行者がいないときには走って時間をかせいだ。間もなく箱根神社の大鳥居を通過したが、道路は車でギッシリの状態だ。

元箱根の交差点を右折して山登りに入る。道が曲がり傾斜もきつくガクンとスピードが落ちる。歩道がないので、下からアクセルを噴かせて上がってくるバス、車に注意しながら登り続ける。途中でトイレに寄り水を飲んで更に登る。走り初めて30分、やっとのことで国道1号線の最高地点874mを越えた。

箱根の関所は標高725mなので、150mも登ったことになる。

ここからは下りだが、やはり歩道が無いところがあるので、身の安全を考えて上り車線側を走る。恵明学園前から箱根小涌園ユネッサン前を1時間ちょうどで通過し、更に下る。この辺は5年前に登りで苦労したところだ。その時は予想もしない前日の雪が5cm積り、歩道は滑って走れないため車を避けながら車道を走ったところだ。あの時は本当に寒かった。

更に下ったところにトイレがあったので、ここで用を足し(好天ではあるが気温は低いため、やたらオシッコしたくなる)、小涌谷の駅近くの踏切を越えた。

ここは、箱根登山鉄道で唯一の踏切で、よく箱根駅伝でもテレビで紹介される所だ。単線なので、すれ違いは駅での待ち合わせになる。更に下ると宮ノ下の交差点に出る。ここは仙石原方面からの車が合流するため、更に混雑が増していた。1号線を右に左に移動しながら車を避けて走る、走る。金谷ホテルの横を通って大平台温泉を通過すると、ヘアピンカーブに差し掛かる。ここも車でギッシリの状態だ。

塔ノ沢温泉を越えると早川がすぐ眼下に現れてくる。しばらくして早川沿いの函嶺洞門(かんれいどうもん)を通過する。この洞門は山肌を削って造った道路の落石防止のために昭和6年に完成した建築物で、高さ約5mで鉄筋コンクリート製の柱が約100mにわたって山土を支え、内部に国道1号が通っている。

すでに70年以上経過して老朽化が進んでいるため、早川の対岸にバイパスルートの建設が進められている。(2011年春完成予定)

旭橋を渡ると旅館が多くなり、いよいよ箱根湯本だ。ここまで18kmで1時間58分。最初の30分は登りだったので、このタイムは速い方だ。途中、車列を横目に走ったが、やはりドライバの眼を気にして力を入れて(カッコ良く)走ったので、マジでかなり疲れた。ここから先は平地なので、ほっとするのも束の間、「小田原まで6km」の表示を見つけて、またまた疲れがどっと出た。

湯本駅前の標識に標高94mの表示あり。

と言うことは、最高地点から800m近くも下った訳だ。下り坂で右足ふくらはぎにけいれんが発生して、力が入らない。それでも小田原に向けて早川沿いを下る。箱根登山鉄道の入生田(いりうだ)を通過すると小田原・厚木道路の延長工事現場が見えてくる。風祭(かざまつり)の鈴廣前(復路の中継所:写真下)を通過して更に進むが、足がもう完全に老廃気味。

途中のコンビニに寄ってドリンクを補給。何とか前へ前へと気持ちで足を運び、箱根板橋を通過し新幹線の高架下を通過すると、ゴールがかなり近づいて来た。行きのバスで確認したメガネスーパーまで、もうすぐだ。数年前から往路の中継所がこの場所に変わった。メガネスーパーの他には目立つものは無く、なんでここが中継所になったかはわからない。

更にこの先を曲がって市民会館前の歩道橋でゴール。タイムは、2時間36分。もう身体はガタガタの状態で、足取りも辛く小田原駅へ。(午後5時20分到着)

 

箱根駅伝7区(小田原→平塚) 20.5km  2008/11/23(日)

前回のランで筋肉痛が1週間続き、更に体力減退、眼精疲労のため練習も中止していたが、「このままではまずい」と思い、1ヵ月振りに再開した。小田原の市民会館前でストレッチをした後にスタート。

市街地を淡々と走り、酒匂川を渡って西湘バイパスの国府津インターを過ぎると緩やかな上り坂になる。ここは無理せずにゆっくり足を進めて、国府津駅前を38分で通過した。国府津は、5年前の往路で平塚から小田原まで行くつもりが、足の痛みで断念したところだ。更に進んで押切橋から、また登りが始まった。5分程で通過できたのでヤレヤレ(良かった)。

ふと振り返ると、箱根の駒ケ岳と二子山が見える。「前回はあの麓を走ってきたのだ!」と我ながら感心する。

更に真っ直ぐ、真っ直ぐ進んで、11km地点の二宮駅前を1時間9分で通過。「大磯はまだか、まだか」と思いながら走るが、この辺は歩道が狭く段差があるので走り難い。しかも、コンビニが全く無いので休憩もできない。やっとこさで、大磯警察署を通過した。ここからは、東海道の松並木が続いている。

この辺に旧吉田茂邸があるはずだがと道路の案内板を探したが見つからず。後から分かったが、城山公園辺りだったらしい。その後、やっと見つけたコンビニでドリンクとトイレ休憩し、ストレッチをやり直して再スタート。しばらくして大磯交差点を通過するが、ここを直進して、更に少し先の長者町で1号線に別れを告げて134号線へと進む。道は大きくカーブして1号線の上を越えて、海岸沿いの花水レストハウスへ。

建物は建て替えられて綺麗になっていたが、中身はファミリーマートだった。ここが平塚中継所であるが、更に直進して平塚駅南口入口の歩道橋まで走ってゴール!2時間12分で、もうクッタクタ!!(午後4時30分到着)

 

箱根駅伝8区(平塚→戸塚) 20.4km  2008/11/30(日)

平塚駅前のMacで昼食後に、134号線の平塚駅南口入口の歩道橋からスタート。すぐに相模川に架かる湘南大橋に出るが、工事中で歩道が無く渡れない!「えっ、これどうなってんの?(オイ、マジかよ!)」まさか、車道を走る訳にはいかないし・・・。しかたなく、橋の下に降りて反対側(下り車線側)にまわると、こちらには歩道があった。上下それぞれ2車線の上り側の橋を架け替え中で、下り側の橋は上下1車線として通行可能であった。(あ~、ヤレヤレ!)

湘南大橋を渡ると、茅ケ崎市に入る。自転車にサーフボードを取り付けたウエットスーツ姿の若者(おじさんも意外に多い)とすれ違う。サザンビーチを横目で見ながら、茅ケ崎駅南口入口を通過して浜須賀を目指すが、なかなか着かない。もう40分も走っているのに!やっと、歩道橋を発見!歩道橋の上からは、遠くに富士山が見渡せた。ここまで45分。

浜須賀を左折すると、藤沢まで7kmの表示あり。「えっ!マジかよ?」5km位かと思っていたのに・・・。しかし、気を取り直して黙々と走る。いつのまにか「走る、走る、俺達、流れる汗もそのままに・・・」と昔の歌を走りながら口ずさんでいる。(これは確か、「爆風スランプ」の歌だ!)途中、松下電器テレビ工場前を通過したが、広大な敷地の工場は取り壊されて更地になっていた。松下さん改めPanasonicさんは、テレビ部門は好調なはずだが・・・?その後、藤沢警察署を1時間12分で通過して、JRの跨線橋を渡って、藤沢橋を通って遊行寺到着が1時間25分。(あ~、疲れた!ここまで休憩無し)

 

ここは七百年前に一遍上人が開いた時宗の総本山で、「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えることで仏(阿弥陀如来)と一体になれると、広く全国を巡り旅しながら教えを説いた(遊行した)ことで、遊行寺の名が付けられている。

境内には、樹齢650~700年と推定される大イチョウ(幹回り7m/樹高21m)があり、この時期でも黄色い葉を一杯にたたえて立派な威容を見せていた。

この日は風が強く、しばらく休憩していたら逆に寒くなったので、そこそこで切り上げて再スタート。ここからは、復路8区最大の難所「遊行寺坂」だ!1号線に合流する藤沢バイパスまで登りが続く。

この辺は、昔(某H社戸塚工場勤務時代)何度も自転車で走った所だ。以前は何もなかった道路沿いにレストランや洒落たお店ができていた。1号線に合流して更に進むと原宿交差点に出る。ここは休日には鎌倉・江ノ島方面と藤沢・茅ケ崎方面に向かう車で渋滞する名所で立体交差の工事が行われているが、5年前に往路を走った時も工事中だった。(まだ終わんないの?)しばらくすると、懐かしい吹上バス停に出る。ここには入社後の独身時代を過ごした寮がある。旧館、新館、新々館ともに健在であったが、外装が綺麗に施されエアコンが各部屋に付けられて、住居表示も変わっていた。ここのカレーは旨かった。

 

更に進むと新道大坂上に出るが、ここには環状3号線の接続道路を建設中で住宅地を高架道路が貫いていた。1号線には工事中の表示が無いので、完成するにはまだ少しかかりそうだ。ここから戸塚中継所はすぐだ。VOLVOの看板が復路の中継所だ。

ここまで19kmで2時間5分かかった。反対側は食堂の駐車場で往路の中継所になっている。今日のゴールはまだ先で更に1号線を上る。途中で、また歩道が無くなったため一旦横道にそれてからまた本線に戻って、矢沢陸橋着が2時間15分。あ~、今日も疲れた。後半は、寒くて寒くてたまらなかった。すぐにウィンドブレーカを着込んで戸塚駅へと急いだ。

 

箱根駅伝9区(戸塚→川崎) 23.8km  2008/12/7(日)

3週連続のランとなったが、気温10℃で先週より更に寒くなったので、Tシャツの上にウィンドブレーカを着込んで矢沢陸橋を午後2時にスタート。すぐに横浜新道との分岐点に出る。

ここで1号線(旧道)は陸橋を渡る必要があるが、またまた「歩行者通行禁止」の標識あり。いったん横道にそれて道路の下をくぐり、反対側の車線に出るが、ここも歩道がなくなるので、カーブで見通しの悪い車道(車が70~80kmで走ってくる4車線道路)を強引に(エイ、ヤー!で)横切って旧道の反対側車線に渡った。(あぁ、怖っ!!)

戸塚跨線橋(JR)を渡って不動坂まで12分。

 

ここで旧道と合流してからは1号線を淡々と走る。昔から走り慣れた道で、ポーラ化粧品、ヤマザキ製パン、紀文の工場が並ぶ。戸塚に勤務していた頃、保土ヶ谷(当時)の自宅まで良く走って帰った。あの頃と景色はほとんど変わっていない。さらに進んで、東戸塚入口、平戸を通過して山谷まで32分。ここからは、復路最大の難所と言われる「権太坂」の山登りが始まる。

ここは、昔むかし旅人が、きつい坂を上り終えて休憩した際、近くに居た耳の遠い老人に坂の名前を尋ねたところ、自分の名前を聞かれたと思った老人が「権太」と答え広まったとの話は有名。ただし、当時の「権太坂」はここでは無く、権太坂小学校から境木地蔵に至るもっと狭くて急な坂だ。

さて、ここはしっかり登らないと思い、一歩一歩地面を踏みしめながら登ると、「あれっ!もう終わり?」、たった7分で上まで登ってしまった。5年前に往路で反対側から登ったときには、長くてきつい坂だったが、何だか、あっけなく登り切ってしまった。(でも良かった!)下りは楽々で保土ヶ谷バイパスの狩場インターを49分、保土ヶ谷駅を1時間2分で通過し、浜松町、戸部、さらに高島町で曲がって横浜駅前が1時間23分。

ここまで13km走った。やっと半分だ。川崎まであと11kmもある。青木橋の手前で右折して15号線に入る。東神奈川のコンビニでホットコーヒーを買い、手と顔を温める。「いやー、今日は寒かー!」、手の先の感覚が無くなっている。新子安が1時間50分、キリンビール生麦工場の前を通って鶴見駅入口が2時間12分、やっと20km、あ~疲れた!ここから中継所までは、もうすぐだ。鶴見川を渡って、しばらくすると市場交番前の信号あり。ここが鶴見の中継所だ。写真を撮るが、もうすっかり暗い。

さて、ゴールはまだ先だ。暗くなった歩道のデコボコに気を付けながら更に2km走って、川崎区役所前の交差点でゴール!!タイムは、2時間35分。手は寒くてカチカチ!川崎駅までの途中で、またホットコーヒーで身体を温めて帰宅。

 

箱根駅伝10区(川崎→大手町) 21.0km  2008/12/20(土)

前週が雨のため2週間振りとなった最後の区間、川崎を2時過ぎにスタートして、すぐに多摩川に架かる六郷橋を渡る。

川原にホームレスのホーム(掘建て小屋)がいくつも建っている。良く見ると鉄パイプで家の土台が浮かしてある。台風他で水かさが増えても流されないように工夫してあるようだ。思わず納得しながら橋を渡る。多摩川を渡ると、何だか様子が変だ。さっきから同じような人とすれ違う。皆一様に自転車やリヤカーに山のように空き缶を積んで運んでいる。顔はどす黒くヒゲ面で、どうやらホームレスのようだ。恐らく千個は超えているのではないか。朝早くから何時間もかかって集めた空き缶が、唯一の収入源なのだろう。(リサイクルに多大な貢献をしている彼等に拍手?)

 

15号線をまっすぐに進み、蒲田踏切を22分で通過。

ここは、京浜急行・羽田空港線の踏切だが、電車通過時にはバス、トラック、タクシー、自家用車他全部止めてしまうために、現在高架工事が行われている。今年(2008年)の箱根駅伝では、東海大学の最終走者荒川選手が踏切で右足をくじいてしまい、結果的に大手町のゴール手前2kmで予想もしない途中棄権することになってしまった。この踏切は本線から羽田に向かって大きくカーブしているために、線路と車輪との軋み(摩擦)を少なくするために油をまいて車輪の滑りを良くしているそうで、荒川選手はこの油で滑って線路の溝に足を突っ込んだのではないかと言われている。高架工事の完成は2015年の予定なので、まだまだ選手は苦労しそうだ。

大森警察署で産業道路(国道131号)と合流して更に北上する。青物横丁で休憩&ストレッチして、新八ツ山橋を1時間4分で通過。

やっと半分だ!品川駅前が1時間13分。やけに人が多くなってきた。更に15号線を進み、辻の札の交差点を左折すると東京タワーが見えてきた。「いよいよ近づいて来たぞ!」と気合を入れつつ、慶応大学の横を通過したときに、妙な雰囲気に気が付いた。「アレ、増上寺はどこだ?」このまま行くと赤羽橋だ。「ヤバイ、道を間違えた!」どうやら1つ手前を曲がってしまったらしい。すぐに辻の札に戻り、その先を左折する。(ロスタイムは5分、トホホ!)増上寺を通過するが、もうかなり暗くなってきた。

芝の東京プリンスホテル、西新橋2丁目の吉野家(ここを曲がると我社まで5分)、さらに日比谷公園を通過し、馬場先門を右折して銀座通りを目指す。Xmasのシーズンだが、京橋辺りは人通りが少なく、家族連れもアベックも疎らだ。日本橋がちょうど20kmで2時間7分。

ついに、東海道(国道1号線)の起点まで来た。ゴールはもうすぐだ!日本橋を渡って三越本店前を曲がると、あとは直線だ。常盤橋を通ってJRのガード下をくぐり産経ビルの前を通ると、読売新聞本社ビルが見えてくる。「XX選手、あと100mです。力が入っています。銀杏並木の葉が風に舞っています。すでに周りは真っ暗です」、「あと50m、30m、10m、ついにゴールイン!」誰もいないゴールで、小さくガッツポーズ! 本当は、右手を高く突き上げてゴールテープを切りたかったのだが、誰も待っていてくれないので、小さく人目を避けてのガッツポーズ。「自分で自分をほめたい」(有森裕子)の話を思い出しながら、タイムは2時間12分11秒。

 

 

 

 

 

往路はカメラを持たずに走ったので、写真はゴールの箱根芦ノ湖だけです。