小倉商会 その3 相談
立ち上げを決めたのはいいけれど、どうしたらいいのやら。決めただけで仕事がスタートするわけでもなく、流石に悩んだ。まず自分で仕事を始めるという感覚がよくわからない。今まで雇われていただけだったのだから当たり前だけど、完全に手探り。もっとも仕事なんてず~っと手探り状態が続くもんだとわかったのが、見切り発車をしてからというのは、我ながら想像力に欠けていたと思う。
開業の申請はすませたけど、実務に関してはとにかく誰か似たような形で仕事を始めてる人に話を聞きたい、と思った。まずその筆頭に挙げたのが、自分より確か6歳年上のタカさん。タイのチェンマイの衣料品の工場のスタッフとして働いたのがタカさんで、自分は前職の仕入れ担当として初めて会った。仕事はもちろん、飲んだりしながらいろんなことをフランクに話ができる、タイにいる兄貴のような存在だった。その後日本に帰って地元の静岡で、タイで仕入れたものを販売するお店をやってた。噂で聞いたけど、自分が立ち上げるころに、タカさんはまたタイでも仕事を始めるつもりらしい。しかも草木染で服をプロデュースするとか。連絡を取ってすぐに会いに行った。
タカさんのお店は内装外装ともに土壁になっていて、雰囲気がよかった。店内にはさすがにタイが好きなんだな~と思うような品が並ぶ。スタッフの女性も何人かいて、個人でやってると聞いてたけれど、頑張ってるな~と思った。すごいですね、と言ったら、スタッフが頑張ってくれて、俺は人に恵まれてる、と言ってた。
お店を閉めてから、近くの温泉に行った。景色のいい露天風呂につかりながら、チェンマイでの草木染の服作りは進んでるんですか?と聞いたら、実は病気になっちゃって、癌なんだよ、医者からはもうあと1年だって言われちゃって。いきなりの話にびっくりして、なんて答えたらいいかわからず、気の利いた受け答えができなかった。別れ際に、世界一明るい癌患者になる、と笑いながら言っていた。
ちょうど医者から言われた1年ぐらいでタカさんは亡くなった。成田に着いたタイの共通の友人をピックアップしてそのまま静岡に向かった。
タカさんはぎりぎりまで静岡のお店の仕事をしていた。お店を閉めることは決めていたけれど、閉店当日まで店に立ち続けた。腹水がたまって辛くてたまらないはずだったけれど、弱音を吐くことは無かったと、タカさんのお姉さんに聞いた。
あれから16年ぐらい。6歳年上のタカさんの年齢をずいぶん越してしまったけど、仕事にいきずまるとタカさんの笑顔を思い出す。
彼はタカさんではないけど、タカさんに似てるのでタカさんと呼ばれてるタイの友人。