年末のご挨拶
あと3日で今年は終わりです。
今年もいろいろなことがありました。いろんなことがありすぎると良くわからなくなってしまいます。
ので最近、ちょっと感じていること。
ベトナムとタイに行っている間に読んだ本「スローライフ 緩急自在のすすめ」という本、著者は先日亡くなった筑紫哲也さんでした。この本、自分は読んで良かったと思いましたが、驚いたのは筑紫さんがこの本を書かれた2006年当時までは少なくとも携帯電話やインターネットを自分は使っていなかった、と言っていることです。(2007年からお亡くなりになるまわかりません。)この社会の中でジャーナリスト、ニュースキャスターをしていてまったく関係ないということは、直接、間接を問わなければ、ありえないと思いますが、とにかくそういう業界の個人が持たないでいられたということはすごいことだなと思いました。
逆に言えば自分たちが、現実今書いているブログも含め、やり始めるとなしではいられないような気がしているこの道具たちが、実は必用不可欠ではないのに、そう思いこんでしまっている、ということではないだろうか?と言うことです。
わたしも縁があって携帯を使う事になり、それ以来仕事でも活用しているため、手放すことが出来ないでいます。わたしのように一人であっちこっち行っているものが携帯を持たなかったら、今の世の中あっという間に仕事がなくなってしまいます。そういう意味では、筑紫さんが待たなかったことが出来た理由のひとつは、筑紫哲也だから、ということも当然あると思います。
携帯を持ってしまって仕事をしている以上、現実的にそれを今手放すことはで来ません。でも時々、それを持っていることで、自分にがっかりしてしまうことがあります。
自分にかけてくる人は非常に少ないので、着信を受けることで困ることは間違い電話以外には殆どないのですが、発信するときです。電話に出てくれないと、何やっているんだろう、とか、妻の場合には早く出ろ!なんて思ってしまうことがあることです。
携帯電話は人ではありません。人が使っている道具に過ぎない。だから使えない状況や、聞こえないことなどいろいろなことがあるはずなのに、電話に出てもらえないことで、疑心暗鬼というと大げさですが、そんな気分になってしまうことがあることです。
携帯電話は個人と個人を結ぶことの出来る、子供のころには未来を象徴する道具でした。今あってしかるべきものという世の中になって、本当に自分たちはそれを利用することで、夢見たようにしあわせになっているんだろうか?
おそらく2009年を迎えるに当たって、そういうことを考え直すところにきているんだな、と、今あらためて感じます。
皆様 良いお年を。
今年もいろいろなことがありました。いろんなことがありすぎると良くわからなくなってしまいます。
ので最近、ちょっと感じていること。
ベトナムとタイに行っている間に読んだ本「スローライフ 緩急自在のすすめ」という本、著者は先日亡くなった筑紫哲也さんでした。この本、自分は読んで良かったと思いましたが、驚いたのは筑紫さんがこの本を書かれた2006年当時までは少なくとも携帯電話やインターネットを自分は使っていなかった、と言っていることです。(2007年からお亡くなりになるまわかりません。)この社会の中でジャーナリスト、ニュースキャスターをしていてまったく関係ないということは、直接、間接を問わなければ、ありえないと思いますが、とにかくそういう業界の個人が持たないでいられたということはすごいことだなと思いました。
逆に言えば自分たちが、現実今書いているブログも含め、やり始めるとなしではいられないような気がしているこの道具たちが、実は必用不可欠ではないのに、そう思いこんでしまっている、ということではないだろうか?と言うことです。
わたしも縁があって携帯を使う事になり、それ以来仕事でも活用しているため、手放すことが出来ないでいます。わたしのように一人であっちこっち行っているものが携帯を持たなかったら、今の世の中あっという間に仕事がなくなってしまいます。そういう意味では、筑紫さんが待たなかったことが出来た理由のひとつは、筑紫哲也だから、ということも当然あると思います。
携帯を持ってしまって仕事をしている以上、現実的にそれを今手放すことはで来ません。でも時々、それを持っていることで、自分にがっかりしてしまうことがあります。
自分にかけてくる人は非常に少ないので、着信を受けることで困ることは間違い電話以外には殆どないのですが、発信するときです。電話に出てくれないと、何やっているんだろう、とか、妻の場合には早く出ろ!なんて思ってしまうことがあることです。
携帯電話は人ではありません。人が使っている道具に過ぎない。だから使えない状況や、聞こえないことなどいろいろなことがあるはずなのに、電話に出てもらえないことで、疑心暗鬼というと大げさですが、そんな気分になってしまうことがあることです。
携帯電話は個人と個人を結ぶことの出来る、子供のころには未来を象徴する道具でした。今あってしかるべきものという世の中になって、本当に自分たちはそれを利用することで、夢見たようにしあわせになっているんだろうか?
おそらく2009年を迎えるに当たって、そういうことを考え直すところにきているんだな、と、今あらためて感じます。
皆様 良いお年を。