家族の絆とは誰が決める事
80代のご夫婦で、築年数が古く自宅を改修予定。
その矢先、長らく通院していた奥様は癌を患っていて、転移も多く「根治治療から緩和治療へ」と主治医から勧められた。
旦那さんは「(自宅改修も妻の病気の悪化も)タイミングが良くなかったな、、」と悲しく笑った。
そんなご夫婦には、妻の連れ子さんで息子がお一人。小さい頃から家族となり長く時間を共にした。
現在40代の息子様は起業していて、独立。
そんな方(ご病気の妻を持つ夫)の担当者で、仕事のエリア内で接点のある他職種の方が先日事務所へ。
「本当に大きなお世話なんだけど、、いや本当に大きなお世話なんだろうけど、私言ったのよ。
“本当の息子さんじゃないのに財産分与いいのか?”って。
ご両親が亡くなれば、もちろん息子さんの財産になるんだろうけど、お母さんがなくなったら(血の繋がらない息子と)2人でしょ?」
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悲しい偏見だった。
本当に心の底から大きなお世話だと思う。
職種は関係ない。
福祉、医療、この職についていても人間性の話。
価値観の相違。
ただそれだけでしょうね。
色々な家族の形がある。
知らないから(体験してないから)言ったのだと思う。優しさで言ったの?
知らないなら言わないで。
誕生日が同じ
先日亡くなった、小林麻央さん。
誕生日も年齢も同じで、なんでか、喪失感があります。
もともとファンだったとか、関心を寄せていた方ではなく、結婚報道のときは「あらー海老蔵さんと一緒に。苦労と我慢をなさる日々になるのかなー」と、失礼ながら感じてた程度でした。
癌であることが公表されて、病院を入退院している頃には、医療者でもあるワタシの気持ちは、
「マンマ(乳がん)のステージⅣで今こんな感じか、、んー可哀想。」
と淡々と感じていました。
ですが、
毎日ブログを見るようになり、
良かった、今日も笑顔の写真だ。
今日も目標を達成したんだ。
今日も「生きている」
ずっと生きていて欲しいなぁ。
と思うようになりました。
小さな子供がいて可哀想だから生きていて。
まだまだ若いのだから可哀想、だから生きていて。
そんな事ではなくて、ただただ小林麻央さんが生きている事に、どこか安心感がありました。
そして、先日。
亡くなったと報道があり、人生で初の強い喪失感。気分が落ちて、沈み込んだ気持ち。
死んでしまった というよりも、
「いなくなってしまった」
という言い方がワタシの気持ちを表しています。
医療者だったら、進行するにつれ、出てくる症状も予測できて、あーもうすぐかな。
と思ったり、他の方の亡くなった報道があると、
「そーだろねー。」と思う程度でした。
だけど、小林麻央さんは違いました。
そんな症状が出ても「生きて」欲しい。
とても辛そうだけど、「生きて」いて欲しい。
そんな気持ちをもった初めての人が小林麻央さんだったのは、
《誕生日が同じで年齢も同じだったから》
という理由ではなく、キッカケであり、
ブログの内容から伝わる人柄だからだと思います。
まだ残念です。まだ生きていて欲しい。と思っています。正直。
このような人生勉強をさせてくれて、本当にありがたいです。
命かけて、ご家族のみならず世界中に影響を与えてくれた人なんだ。ありがとうございました。
7年目
東北の震災から6年経って、7年目となりました。
ワタシは“あの時”、東京にいて仕事で病棟にいました。
個室の患者さんと体験しました。
揺れ始めたとき、テレビの横にあるソファーに座っていたご家族に
「テレビから離れて下さい!しゃがんで!」
と声をかけてすぐ、揺れのせいでテレビがスーパーボールみたいに何度も跳ねました。
揺れが終わってから、7階病棟の窓から外を見ると遠くで煙が上がっていました。
テレビをつけると、東北が映っていてヘリコプターからの中継で、真っ黒な水が田んぼを襲っていました。
道を走る車が、黒い水から逃げられずに飲み込まれたところを見ました。
東北人ですが正直臨場感がなくて、
「あー怖い〜。やだー。」と思ったけれど、“さっぱり”とした感情だった気がします。
あれから6年。
今日、朝から気持ちが重かったです。
そして、2時46分。
もう嫌だ。悲しいです。
ぼたぼた涙が出て心臓が苦しい。
6年経って、あの時は【思った】けど【感じて】はいなかったキモチを今、受け入れることが出来たんだと感じました。
あの日の事実は、到底ワタシのようなテイタラクな人間には受け止められなかったんだと思います。東日本大震災への感情が入ってこないようにフタをしたんだと思います。
幸い、ワタシの知り合いや親戚、家族は全員無事で元気です。
ありがたい。
せめてこれからも、大事な人をちゃんと大事にしていきます。
笑ってがんばろう。