新しい自分になろう!と思ってから

なんかイキイキしております。

なんて単純なんだ(笑)


このキッカケで

「断捨離」というのを意識しています。

仕事も

「平等ではなく公平」を意識して

社内外で対応しています。

もともと

頑張っている人がバカを見る

というのは嫌いなので徹底しています。


また、

妻を優先する!

今までの自分は妻は自分と同じ位に思っていた様で

後回し。

それ止めます!

旅行も何度も誘われているのに

「忙しくて行けるわけないでしょ!」と

行かないのは止めにして

早速、

思い切って旅行の予約をしてみました!


「行けない」と自分で言っていたらそりゃ無理ですわ。

「行く」為に全てを整えていけば良いんですよね。

妻に甘えて楽をしておりました!(反省)


お陰さまで

今月2店舗目の飲食店をプレオープンさせました。

1号店から8ヶ月で2号店開業は

本当にありがたい話です。

感謝です。

プレオープンの目標集客はクリアしているので

グランドオープンに向けて準備がんばります!

記憶も曖昧になってしまった母も

この事は半分くらい理解していて

嬉しく思ってくれている様なので、

壁はまだまだ沢山ありますが、

なんとか超えて地域の皆さんに末永く愛されるお店を

スタッフ皆と一緒につくっていきますよー!


母が脳梗塞になってから1年半経ったのに

ようやく障害者手帳にたどりつきました。


こういう制度や補助など

知らないでいた為にだいぶ損しておりました。

という事で昨日、障害者手帳を頂いてきました。


在宅かどうかで使える範囲が違うなどややこしく

市役所の方々も数名で確認しあいながら説明して下さいました。


専門家でもややこしいんだから

私達のようになったばかりの人間には

さっぱりな筈。


ただ、市役所の方もとても親切で

別の課の方でも他の課の事を教えてくれたり

とても助かっています。


まだまだやる事、検討すべき事が多数ありますが

ひとつひとつやっていくしかないですね。



きっとこれが人生初の挫折なんだ…。

と気付いて早半年。

母が手術の失敗で脳梗塞になって約2年いまだ入院中。

看病中の突然死により父と一生の分かれを迎えてから半年。


完全に落ちておりました。

私の起業理由は、

家族を守る為。

特に、両親。

満足な対応をせず手術に踏み切り

母の人生を奪い。

疲れていた父に気遣う事もなく

死なせてしまい人生を奪ってしまった。

守るどころが大事なところで

取り返しのつかない大失敗。


それにより、

母の件で半分落ちていたところに

父の死で、とどめ刺された感じで。


仕事も目的を失い

というか、完了というのが正しいのか

終わってしまった感があり、

完全に落ちてました。


しかし、

復活!?

そんな気がする。

新しい自分として。

だから厳密に言うと復活ではないですね。


人が死ぬと整理が本当に大変で、

しかも相続人の母がこういう状況なので

代わりに手続きを進める事も困難で、

それなのに気持ちが落ちている自分。


見兼ねた妻が、

「仕事に集中していいよ。」

と助けてくれました。

色々と意見が割れ言いあいもしばしば。

今まで夫婦で言いあいって無かった様なもんで、

それも結構きつかったね。


なんとなく思うのは、

元に戻ろうとしていた自分、

間違っている気がして、

新しい自分になろうと思った瞬間、

見え方やとらえ方が明らかに変わってきた。

いけるんじゃないかな!って。


来月には年末に続きお店2号店がオープン。

全てに気持ちが落ちているのに

仕事の案件はくるんですよねぇ。


新しい目的を持って歩いてみますよ。




母の病気から

父の死で

突然家長になったわけですが

結構しんどい。


両親は偉大だと

今更ながら気がつく。


私は仕事ばかり。

仕事といえば体裁よく聞こえますが

自分勝手に生きているというのが本当。

だから

こういうのは苦手。


見兼ねた妻が私の苦手分野を

サクサクとやってくれるので

助かります。

私じゃなければいけない部分は

妻が頑張ってくれているので

やろう!と気持ちも奮起しますが

保険金とか相続とかなんやらは

息が苦しくなります。

お金の話は苦手です。

それなのに、

母の障害とかがネックとなり

手続きが大変。

あ…………。



参りました。

母の闘病生活を共に過ごしてきました父が

突然この世を去ってしまいました。

病院通いもなく

倒れた当日も仕事をし

帰宅途中駅で倒れてそのまま。

本当に突然の事で

四十九日終わった今でも信じられず

今日も思わず父に電話して食事に誘うおうとした始末。

搬送された病院から帰る時

病院から駐車場へ向かう途中に

「あれ、お父さんはどこに?」と言い、

今日まで何度父に電話しそうになったことか。

母の状況は変わらず。


しばらくぶりの更新。スミマセン。


母の脳動脈瘤手術失敗から脳梗塞の病状は

転院先のリハビリ病院が物凄く良いところで

ゆっくりではありますが、

奇跡的な回復を見せ車椅子生活になり

問題の脳の回復も少しずつ見せており

主治医の先生の「今が回復期」という状態まできました。


しかし、平均回復が240日の中

そのリハビリ医療は150日間という

理にかなわない国の定めがあり

特に回復ペースが遅い母には大きな壁になっております。

回復が見込めないならともかく

母は今が回復期です。

ここでは言えないですが

そんな事に負けない私は今もリハビリを続けております。

皆さんにはご心配おかけしてしまい恐縮です。

また、励ましの言葉、ありがとうございました。

感謝でいっぱいです。


そんな中

妻の誕生日を迎え

思い切って1日休み良い時間を過ごしました。

休日が無い私に楽しいと言える久しぶりの1日となりました。

とはいえ、

年始に目標とした妻の誕生日の催しは出来ず

来年の持ち越しに。

いかんですなぁ。

来年は必ず実現させます!と誓う10月1日でした。



どうもお久しぶりです。

毎日、母の病院に行き

30分でも居られれば

何か話せば脳に刺激がいき

回復に近づくのではないかと

やってますが…。


仕事を抑えずに看病もするというのは

まさに自殺行為!

3月に1度ダウンし

結果、1週間仕事してないし…。


そして、

今月3日から高熱。

完全に胃からきて喉に口内炎が出来

扁桃腺の近くにあるので反応しちゃって

高熱になるという…。


今まで、38度も越えた事が無い人間が

突然39℃を超える熱に耐えられるわけもなく

3月は汗だくになって耐え忍びました。

しかし、今月は違う

39℃の高熱でも微熱程度の体感で

身体が慣れているという恐ろしさ。

しかし、喉が完全にやられて

食事はおろか、飲めない、しゃべれない状態。

必殺技の塗り薬使ってだいぶ回復してきましたが

この痛みが尋常じゃない。

喉から耳や頭にまで痛みが行くんですよね。

困ったもんです。

もちろん、母の病院にも行けず。

こういう時に困るのが洗濯もの。

朝、着替えて夜パジャマの病院なので

結構、洗濯物たまるし。

ああ、こまった…。

今日は行けるかなと思っていますが…。

回復次第です。


色々と襲いかかってきますが

全部片付けてやる!

高熱は負けではありません。

ちょっと押されただけですから!(笑)

またまたご無沙汰しております。

前回の更新から約1ヶ月。


新しい病院でも1ヶ月が過ぎ

リハビリの先生たち、看護師さんたち、

主治医の皆さんと、その間なんども

コミュニケーションの時間をとってくれ

色々な事が分かってきました。


皆さんも私たち家族も共通の認識は

この1ヶ月で大きく回復しているという事。

転院したきた時に

ようやく一言二言話す感じだったのが

今日も「いつもと同じようにしゃべってるよ!」

と母に私からその回復を教え

母も「そう。いつもと同じ。」と返すという一幕も。


とはいっても

まだまだ頭が戻ってこない状態です。

無意識では話もスムーズにいきますが

考えたり興奮したりすると駄目です。

記憶もまだ定かではなく

現状ではどこまで回復していて

後遺症の症状がどう出ているのかまで

まだ探れない状態です。


本人も現状を受けいる事への戦いの様で

直す為にリハビリをして頑張るという気持と

本当はもう治らないのかもしれないという不安との葛藤で

日々泣いているという…。

それもどうも私にだけそうしている様です。


まあ、

母にも「そろそろ泣くのはやめませんか?」

「明るく元気に頑張っていれば良い事が寄ってくるから。」

と伝えていますので、

前向きにやっていきたいと思います。


前の病院のカルテは不十分で

転院先の先生もどんな状況でこうなったのか

あまりにも情報が少な過ぎて説明が出来ないと

困っていたのでアレですが

本人は大変だからそれを理解して接して上げて下さいという

今の主治医と一緒に頑張っていきますね!


という事で

私は元気にやっています!

12月14日の朝の母の姿が

私の頭から離れない。

「20時(予定通り)終わるといいね」と

笑顔で言った母に

私は「大丈夫だよ」と答えたのに、

あれから母とは約2ヶ月口を聞けなかった。


病院を信じた自分がバカだった。

手術の前日

母に池袋の東武デパートで

鰻重を買って持って行った。

あの夕食が最後のまともな食事となった。


弟と3人で近所の鰻屋に行こうと約束をしたが

それどころではなくなった。


脳動脈瘤の手術で脳梗塞になり

寝たきり状態。

病院は3ヶ月から半年病院に時間を下さいと

自ら言ったにも関わらず

本人の可塑性の問題だから分からないという始末。

状況も今後の話も出来ないレベル。

これは日本でも有数の病院の実態だ。


医療ではなく医業。

社会保険での医療費の負担率どうこうの前に

そもそもその医療費が適正なのか

更に言うとその医療が適正なのか

もっというとその医療基準が適正なのか。

自分の身に降りかかってようやく

本気で考えるもので情けない限り。


母の病状は

脳が安定しているので

大学病院ではやる事がなくなり

(というか最初から何もしてないですが)

リハビリの得意な病院へ転院させました。

そこでも

転院する病院へ

病状が正しく伝わっていない

母がこうなった経緯を説明していない

更には母の症状を正確に把握していなかった…

転院初日で色々と判明し

手術を受けた大学病院のお粗末なことを知るという。

本当に手術を受けさせた事を後悔しましたよ。


手術方法が分かってからも何度も何度も

後遺症が残らない様にと

大学病院に通い、手術日を2度キャンセルしたのに

最終的には説得されて手術を受けて失敗。

後遺症が残るくらいなら

破裂した方がマシだと手術を拒んだ母にとって

この時間と診察料さえいらなかったという無駄。


でも、

必ず治してみせる!

転院してから物凄い勢いで回復している。

新しい病院は

内装も家の感覚になっており

毎日朝起きたら着替えて

普通の生活感を体感させて

社会に復帰させるんです。

某大学病院とは違い

こちらから打診しなくても

ちゃんと家族とのミーティングの時間が設けられていて

そういう時間じゃなくても

私の顔を見れば先生たちが

些細なことでも現状を話してくださる医療の病院。

病院でこうも違うとは。


数年前、父が手術・リハビリを受けた病院は

テレビでも取り上げられる

素晴らし病院で私もその皆さんの姿勢と行動に

感謝の言葉しかなかったです。

どこの病院もましてや超有名な大学病院であれば

もっとそうなのかと思っていたら。


とにかく

転院後は好転してきて

主治医の話だと

まずは言葉と記憶を戻しましょう!

ということでした。

言葉が回復しないと

リハビリの進捗が良くないそうです。

私たちが海外で違う言語で教育を受けても

理解できず進歩しないのと同じだそうです。

逆にそこが戻れば

身体の麻痺などはなんとでも出来るそうです。

リハビリのプロで言語の回復に

特に長けている病院なので

まずは骨折などしない事を祈りつつ

リハビリをしています。


本人は回復する過程では

避けては通れない道ですが

現在の自分の姿が少しずつ理解してきていて

かなり苦しんでいる様です。

とにかく、前向きにやるのみです。


リハビリ頑張ります。

という毎日を送っております。

更新滞ってスミマセンでした。



母は脳動脈瘤の手術を受けました。

動脈瘤の位置と大きさで

手術は無理と言われたんですが

14日、手術は大成功で

見事に動脈瘤はなくなっていました。


しかし、

術後、目を覚まさないんです。

術後の写真では何も問題なく

先生も大丈夫という事だったのですが

翌日、麻酔が切れても

起きてこないという事態に。


脳の血流が不安定な状態なんですが

原因不明の局部的な脳梗塞が

起きてしまいました。

そこだけそうなるというのは

物凄くあり得ないケースだそうですが。


先生には

「母は脳動脈瘤が無くなっても

 後遺症が起きるのであれば

 手術はしない方がいいと

 お願いしたんですよ。」

と再度確認させて頂いたところ

「ココが脳梗塞になっても

 5割の人は支障が起きず

 支障が出ても回復します。

 時間と苦労をかけてしまって

 申し訳ないですが

 3ヶ月、半年、病院に時間をください。

 今は寝ているだけなので

 逆に言うと起きてしまえば

 戻るんです。」

という事でした。


検査入院で

手術方法を見つける為に

動脈1本の血流を止めたのですが

その際も4日ほど計算が出来なくなったので

今回も数日は仕方ないと思いますが

あの歳で走り回っている母だから

必ず乗り切ってくれる筈。

もう少し頑張ってくれ!


とにかく1週間が山だそうです。