今日は、引越し日で有給休暇を頂きました。
単身パック2基ですのでたいした荷物はなく
15分程度で引越しは終了。
越してきた建物自体が大変古く、
おそらく、築30年以上経って
いるものと思われます。
転出前にNTTさんで調べてもらって
光はムリですっていわれてたときショック
だったですねぇ。
あとは、パソコン環境の構築ということ
で光からADSLになって速度面を
心配していたのですが、通常の動画等は
問題なく再生できるようで一安心と
いったところであります。
さて、上記は、私の好きなスタンリー・
キューブリック作品の「時計仕掛けの
オレンジ」であります。
高校生ぐらいの時に観たのですが、
やはり、悪趣味な「暴力表現」に目を奪われて
「嫌悪感」を感じられたのを思い出します。
(興味深いナッドサッド語については、また後日
詳しく後述したいです)
主人公は、様々な暴力行為等により
服役をしますが、ルドヴィコ療法と
呼ばれる
精神的な診療の被験者となること
と引き換えに刑期短縮の機会を得ます。

眼球に目薬を差しながら
(目をつぶれないように
まぶたを固定する)
残虐描写に
満ち満ちた映像を
ただじっと鑑賞させ続ける
という単純とも思われる療法なの
ですが、
投薬によって引き起こされる
吐き気や嫌悪感と、
鑑賞中の暴力的映像を被験者が
「精神的に連係、連鎖」することで、
暴力や性行為に生理的拒絶
反応を引き起こすように暗示
するというものです。
治療は成功し、以後彼は、
性行為や暴力行為に及ぼうと
すると吐き気を催すほどの
嫌悪感を覚え、何もできなく
なって(無気力)しまうんです。
彼が行っているのは
生理的拒絶反応からの
苦痛からの逃避であり、
自ら選択して行った
暴力の拒否(善悪の判断)
ではないんですね。
主人公は、暴力に対して無防備と
なりそれに抗うことを選択する
能力のない存在となりました。
それは、まるで「機械仕掛けの
人間」=「時計仕掛けのオレンジ」
のように。
映画の舞台となっているのは、
「近未来の英国」といわれています。
映画の冒頭にも理由もなく弱者を
集団でなぶりものにする場面が出てきます。
それは、昨今のホームレスを理由もなく
襲う子供たちとまるっきり一緒なんです。
映画が公開されたのは、1971年のことで
30年前以上前にこのような
ことが起きることを予想していたので
はないかと思われます。
おそらく、そのような「道徳観念の低下」
が当時にも
問題化されており、
そのような兆候が
見られたのかも知れません。
道徳観念が著しく低下している昨今では、
未成年者の理由のない
暴力行為が問題となっており、
矯正しきれずに再犯に及ぶ者も
増加の傾向にあると聞きます。
現在の学校教育や家庭の躾には、限界があり、
最終的な矯正には、「人権」上の制約があり、
上記の療法は、日本において
は認められないものであるのですが、
もしも、近未来において
暴力行為等を自制できない者が
増え続けるのであれば、
物理的な「犯罪抑止」の一環としての
一方策として考えられるように
なったらゾッとしますよね。
(私は、「去勢」という言葉を連想します
よくネットで性犯罪者等にそのような
物理的な処置を執るような記述を見受け
ますが「根本的に間違っている」と思います)
人間は、「人」として生きる権利を有しており
上記の療法(療法ではなく精神改造とでもいう
べきか)は、絶対に行うべきではなく、
自らが、善悪の判断を矯正機関において
徹底的に身をもって「学習(他人の心の
痛み等をどう感ずるか等」
するという「自発的な療法」から得る
心の鍛錬(具体的な方法については、
医療関係の方のご教示を願います)
が根本的に必要なのではないかなとも
考えています。
機械仕掛けの人間ではなく、
生身の人間として「自らの努力
で更正していかなければならない」と
思います。
「医療刑務所」等では、「更正」
のために、国がどのような治療を
施しているのかが知りたいところで
もありますが、全ては、「堀の中」
でのこと。
未来においてもルドヴィコ療法等が
行われないように祈るのみです。
暗い話題ばかりでゴメンだね。
あぁ、そうそう、この映画では、
主人公が「雨に唄えば」を唄うんだけど
(エンドでも流れます)
これがキッカケで名作「雨に唄えば」
を観たんだけど、本当に
ミュージカルの最高傑作(自分の中では)
だと思います。
たぶん、「時計仕掛けのオレンジ」を
観ていなかったら一生観る事はなかった
んだろうね。
機会があれば、是非騙されたと思って「雨に唄えば」
をレンタル視聴してください。
あいかわらず、取り留めのない話で
申し訳ないです。
パソコンが2台で運用できるのが
嬉しくてね。
また、ちまちま更新しまっする。