昔を懐かしんで…。平成序盤は何と言っても森高千里で… | オレンジの園に

オレンジの園に

2014年3月、某局で放送された
『55スペシャル』で
“モーニング娘。”に目覚める。
基本的に特定メンバーを
偏愛しないと心に決めているが、
“オレンジ”系には目がない。
2015年9月にライブ初参戦。
このブログは
娘。ライフの備忘録である…

 

http://www.moritaka-chisato.com/

 

元号が平成に変わった直後に

仕事も私生活も激変。

 

そんな頃に

仕事の関係で

ワーナーパイオニアの人と知り合った。

で、

見本盤をいろいろともらったんだけど

その中に森高千里のCDやビデオ(あるいはLDだったかも)があった。

 

そこからだね、森高にはまったのは。

もっとも、あまり長期間ってわけじゃなかったんだけど。

 

森高って

ずっとアップフロントだったのね。

当時はそういうことにあまり関心はなかったから。

で、レーベルも

ワーナーから系列に移って

それがアップフロントに変わるって

これもずっと“移籍”とは無縁な感じ。

義理堅い人なのか、

あるいは辛抱強いのか(笑)。

 

そう言えば

宅八郎ってのが

森高のフィギュアを持ってテレビに出てたよね。

ちなみ、宅八郎とは同い年だったりするんだけど。

 

6枚目のシングルからは自ら作詞、

7枚目のシングル『17才』(南沙織のカバー)でブレイク。

この頃の超ミニスカ衣装がやたら印象的で、

美脚のイメージが定着。

50を過ぎた今日に至るも

森高=美脚と誰もが思っている。

 

作詞家としての評価も高くて

『私がオバさんになっても』は

森高の代表曲の一つに。

『渡良瀬橋』では

自らドラムを担当している。

 

あんまり歌が上手って感じではないんだけど、

まあ、とにかくかわいかったしね。

やっぱりあの“足”にやられちゃうんだよね。

 

90年代は

アイドルってカテゴリーが

ひどく曖昧って言うか

広範になったって言うか。

この頃にデビューしたアイドルが

今もいろんな形で一線を張ってたりするからね。

 

で、自分のことを思い返すと、

20代の後半から

20世紀いっぱいあたりまでは、

とにかく忙しかったからなぁ。

会社での仕事、会社外の仕事、

何故か山ほどあったから。

 

だから、

森高以降のアイドルについて

あんまり記憶がなくて

次にはまったのが

4期が加入した頃のモーニング娘。。

そこからはお休み期間はあるにせよ

浮気は全然なし。

で、今日に至るってわけで…。