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元号が平成に変わった直後に
仕事も私生活も激変。
そんな頃に
仕事の関係で
ワーナーパイオニアの人と知り合った。
で、
見本盤をいろいろともらったんだけど
その中に森高千里のCDやビデオ(あるいはLDだったかも)があった。
そこからだね、森高にはまったのは。
もっとも、あまり長期間ってわけじゃなかったんだけど。
森高って
ずっとアップフロントだったのね。
当時はそういうことにあまり関心はなかったから。
で、レーベルも
ワーナーから系列に移って
それがアップフロントに変わるって
これもずっと“移籍”とは無縁な感じ。
義理堅い人なのか、
あるいは辛抱強いのか(笑)。
そう言えば
宅八郎ってのが
森高のフィギュアを持ってテレビに出てたよね。
ちなみ、宅八郎とは同い年だったりするんだけど。
6枚目のシングルからは自ら作詞、
7枚目のシングル『17才』(南沙織のカバー)でブレイク。
この頃の超ミニスカ衣装がやたら印象的で、
美脚のイメージが定着。
50を過ぎた今日に至るも
森高=美脚と誰もが思っている。
作詞家としての評価も高くて
『私がオバさんになっても』は
森高の代表曲の一つに。
『渡良瀬橋』では
自らドラムを担当している。
あんまり歌が上手って感じではないんだけど、
まあ、とにかくかわいかったしね。
やっぱりあの“足”にやられちゃうんだよね。
90年代は
アイドルってカテゴリーが
ひどく曖昧って言うか
広範になったって言うか。
この頃にデビューしたアイドルが
今もいろんな形で一線を張ってたりするからね。
で、自分のことを思い返すと、
20代の後半から
20世紀いっぱいあたりまでは、
とにかく忙しかったからなぁ。
会社での仕事、会社外の仕事、
何故か山ほどあったから。
だから、
森高以降のアイドルについて
あんまり記憶がなくて
次にはまったのが
4期が加入した頃のモーニング娘。。
そこからはお休み期間はあるにせよ
浮気は全然なし。
で、今日に至るってわけで…。