今日はとある女性と寂しいもの同士、ぎこちない2回目のデートだった。

愛する人や仲間、相棒たちが離れていきどうしようもない寂寥感に苛まれる日々。

そこに愛はなくとも束の間だけ寂しさを紛らせるひとときの時間。

彼女と別れ行きつけのバーで他愛もない会話を交わし自宅へむかう途中、ふと気がついた。 「愛を求めていないか」 寂しいから愛を求めてあたりまえだと思っていた。 けど、何か違う。 そうじゃない気がする。 バーでバイトする女の子、今夜は休みだけどたまたま遊びにきていた女の子、男たち、みんな愛を求めてる。

家族や仲間、相棒、、、身近に愛を感じていたとき、愛を求めたりしなかった。 あたりまえ、、、 

いまは一人だから愛を求める。 あたりまえ、、、

でもそうじゃない

「愛を求める」 聞こえはいいけど オレの場合には 「助け」 を求めてるのと一緒だと気がついた。

みてくれはともかく生き方だけは格好つけたいと願うオレにとって我慢できないこと。 そんな我慢ならないことをこの一年半続けていたことに気がついた。

若い男女が助けあうのはあたりまえ

しかしオレのような大人が周りに 「助け」 を求めるのは明らかに違う。 そこに愛はなくとも 「助け」 を常に求められる側でないといけない。 あたりまえのことに気がつけた。 

大人の男であるためには 「愛を求められる」 側であり続けなければいけない。 それは「愛を注ぐ」側でいつづけるということ。

「愛を注ぐ」という行為そのものの表現の仕方やそのタイミングはいろいろ考えていく必要あるけど、相手の愛はいっさい求めず注いでいく側であり続けなきゃ。


この一年半のあいだ水商売の人たち特有のギラギラ感に魅せられていた

以前は完全に否定していた人たちをだ

普通の人にまったく魅力を感じなくなっていた

感情の河を泳ぐ人たちに惹き付けられていた

水商売の人たちと接すれば接するほどその原始的な人間臭さ、汚さ、際どさに引き寄せられた


でも変わった

テレビが変えてくれた。 おれは普段ほとんどテレビを見ない

自分のスタイルを見失い混乱していたなか

以前はくだらないとバカにしていたバライエティ番組

全身からプラスのオーラを発散する人たち

輝くひとたちを映している

瞳がどうの表情がじょうのというレベルではない

細胞レベルとしか言いようのない輝きを放っている


髪型、メイク、服装、表情、それらで補えるのは表面的なもの


そして夜の商売の人たちに魅力を感じなくなった

やはり虚像

輝きが薄っぺら

本物は昼間の世界にいる




不器用だから離婚が成立するまでの約2年間、「彼女」という存在がいなかった

気になる女性、好きな女性がいても口説くことができなかった

いざ離婚となっても子供の事その他で女性に対して引け目を感じ不器用さがつのった

このまま一生ひとり無償の愛を捧げるだけの人生でもいいと思った

どうしようもない寂しさに埋め尽くされる日々


まさか映画のワンシーンのような出逢いがあるなんて思いもしなかった

しかもとびきり綺麗な女性となんて

君にしてあげられること何もない

優しいだけの男なんて冗談じゃねぇやって思ってたけど

いまのオレなにもない

優しさだけしか捧げられない