本日のブログはお待たせしてしまった、1万HIT更新ごとに掲載している恒例の消防雑学について書きたいと思います。

 本ブログでは、会員向けの情報は勿論ですが、消防行政を皆様に深くご理解していただき、益々消防を身近な存在に感じていただくことや、若手職員に自分の仕事である消防をさらに深く知っていただきたく、この消防雑学を掲載しております。

 今回も12万HITを更新したことで、新しい消防雑学「消防官の喧嘩」を書きたいと思います。


 さて、皆さんは「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉を耳にしたことある方は多いかと思います。

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 「火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞 
    大名小路 広小路 火消し 紫 あずま錦絵」

 という川柳があるくらい、江戸時代には上記のものが多かったのです。稲荷や伊勢谷という屋号が多く、同じように江戸時代では火災が多かったのです。

 それこそ、3年に1度の間隔で江戸は大火に見舞われました。

 また、もともと血気盛んな当時の火消したちの間に喧嘩も多く、町火消と大名の喧嘩、定火消と町火消の喧嘩、町火消と町火消の喧嘩が町中で発生していたところからとある大名が「火事と喧嘩は江戸の恥」と言ったのを、いつのまにか逆の意味の“華”となり「火事と喧嘩は江戸の華」となったという説があります。

 この当時の消防士たちの喧嘩の中で現代にも語り継がれる有名な喧嘩があります。

 その喧嘩とは「め組の喧嘩」と言います。

 1805年3月(文化二年)、芝神明宮境内で開催中だった相撲の春場所を、め組の鳶職・辰五郎長次郎、その知人の富士松が無銭見物しようとしました。

 芝神明宮界隈は町火消のめ組の管轄で、辰五郎らは木戸御免を認められていましたが、富士松はそうではなかったため、木戸で口論となってしまいました

 その当時の火消しは、今以上に炎と戦う勇敢な男たちとして、町民から愛され、敬愛されていたため、木戸御免(きどごめん…相撲や芝居などの興行場に、木戸銭なしで自由に出入りできること。また一般に、出入り自在なことにもいう。)が認められていたのです。

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 しかし、火消でなかった富士松は当然、この木戸御免は認められていません。

 木戸番と激しい口論をしている最中、そこへ力士の九竜山が通りかかって、木戸番に味方したので、辰五郎らは一旦引き下がりました。

 仕方なく相撲場を去った辰五郎たちは、もやもやした気持ちを抱えながら、芝居見物に向かいました。

 すると、偶然にも同じその芝居小屋へ何も知らずに九竜山がやって来てしまったのです。

 いったん収まった先刻の恨みが再燃してしまいました。

 辰五郎たちは他の見物客らもあおってその巨体を野次り満座の中で恥をかかせます。
 九竜山はこらえきれずに辰五郎を投げ、芝居を台無しにしてしまいます。

 火消しの頭や相撲の年寄も仲裁に入って一旦は収まりかけましたが、同部屋の力士四ツ車が九竜山をあおって復讐をたき付け、部屋から力士仲間を応援に呼び集めました。

 これに対して火消し衆も火事場支度で応戦。

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 さらには火の見やぐらの早鐘まで鳴らして仲間に動員をかてしまいました。

 火消し衆は江戸町奉行、相撲側は寺社奉行と、それぞれを管轄する役所へ訴え出て事態の収拾をはかりましたが、もはやいかなる仲裁も用をなさないまでに騒動は拡大しました。

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 与力、同心が出動して乱闘に割って入り、火消しと力士合計36人が捕縛されました。

 実は、この喧嘩には有名な人物が参戦しています。

 それは、現役生活21年のなかで黒星がわずか10敗と言われ、大相撲史上未曾有の最強力士とされている伝説の力士「雷電 爲右エ門」です。

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 いくら血気盛んの火消しと言えど、力士を相手にしてはただではすみません。死者は出ないものの、多くの怪我人を出してしまいました。

 このめ組の喧嘩、当時700人規模の喧嘩がある江戸では、規模の小さな喧嘩でしたが、多くの民衆がこの喧嘩に注目をします。

 事後処理が相撲興行を取り仕切る寺社奉行と、町方の事件を裁く町奉行、後には農民の訴訟を取り扱う勘定奉行も乗り出して、評定所の基本的な構成員である三奉行の協議によって進められるという、当時とても珍しい形をとったためでした。

 裁きは9月になって下されましたが、全体に相撲側に甘く火消し側に厳しいものとなりました。

 そもそもの発端が火消し側にあったことと、また、特に非常時以外での使用を禁じられていた火の見櫓の早鐘を私闘のために使用、事態を拡大させた責任が重く見られたためです。

 早鐘に使用された半鐘は遠島扱いになり、辰五郎は百叩きの上江戸追放、長次郎と早鐘を鳴らした長松が江戸追放。

 その他の鳶は説諭と罰金と比較的軽く済みました。

 力士側では九竜山のみ江戸払いを命ぜられ、他にお咎めはなし。騒動の後2ヶ月に渡って中断していた春場所は4月になってようやく千秋楽を打ち上げました。

 遠島になった半鐘は、明治時代になってから芝大神宮に戻されています。

 このように、現代でいう消防の不祥事が発端に起きてしまったこのめ組の喧嘩は、現代では歌舞伎の演目になるほど有名な語り草となってしまいました。

 こういった話は決して武勇伝になるものではありません。

 しかしながら、多くの力士を前に怯まなかった当時の火消しはやはり勇敢だったのかもしれません。

 余談ですが、現代にも喧嘩ではなく格闘技に精通した消防官が居るのをご存知でしょうか?

 ドン・フライという選手をご存知ですか?

 アメリカ合衆国の男性総合格闘家で、有名な格闘技イベントPRIDEにも参戦し、ご存知の方も多いと思います。

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 このドン・フライ選手は、格闘家の前は消防官でした

 燃え盛る現場に突入した際に無線で「ファック!早く水出せ!このファッキンな火を消すんだ!早くしろ馬鹿野郎!ファック!水!」と叫んだのが何故か無線が町内放送のスピーカーに連動していて街全体に罵声が放送されてしまい、とてつも無い消防士が居ると街じゅうを震撼させたという逸話があります。

 異種格闘技で、多くの格闘家たちを倒したドン・フライ選手です。現代では格闘技術も進化し、多くの異種格闘技が行われている中で、め組の喧嘩は消防官が歴史上最初に行った消防官VS力士異種格闘技だったのかもしれませんね・・・。

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