母親を理解して、前に進む力に変える | 恋と仕事の心理学@カウンセリングサービス

母親を理解して、前に進む力に変える

 

みなさま、こんにちは!一澤藍子です。


毎週日曜日は、『自分プロデュース』というテーマで、高塚早苗カウンセラー、岡田えりこカウンセラー、福野てるすけカウンセラーと、そして一澤藍子がお届けしています。


どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

私たちと母親との関わり

母親と子供との関係は、十人十色。とても良好な関係をずっと続けている母子もいれば、幼い頃に何らかの原因で別れてしまった母子、ずっとわかりあえず気まずい関係を続けてきた母子、表面上は何も問題はないのに、いつもお互いのことが気がかりでしょうがない母子。

過干渉だったり、逆にネグレクトだったり、多種多様な問題がたくさんあります。

 

そのように、関係性が複雑に影響していると思われる何らか問題を解決したいと思った時、よくカウンセリングなどで耳にする言葉は『お母さんを許しましょう』です。

 

これは、なかなか難しくて、すぐに、『はい!許しました!万事OKでーす!』とは、ならないものではないかと思うのです。

 

様々な思いがあるからこそ、近い距離の人であるからこそ、そして特別な関係性の存在であるからこそ、そんなスムーズにはいかないものなのだと、思います。

 

 

 

私の経験

私が心理学を学ぶようになったきっかけも、うまくいかない母との関係でした。

 

私の母は、私が幼稚園の頃まではとても楽しくて明るく優しい母でした。でも、私が小学校に入る頃から徐々に雲行きが怪しくなって、父との関係がうまくいかなくなりました。

 

自分を抑圧し、家にとじこもりがちになり、眠れないと気に病み・・・父が最初の癌を発病した時から、精神科にかかるようになりました。その後、父は闘病生活の果て、数年前に亡くなりました。

父が亡くなった後は、母の全「依存」が、私に向けられるようになり、息が詰まりそうなほどしんどかった日々を思い出します。

カウンセリングを受けていく中で、また心理学の講座を受けるにつれ、私も『お母さんを許しましょう』とアドバイスをもらいました。でも、それって、自分の心に怒りがある時はどうしていいかわからない、むしろ、したくない!なんで?!・・・そんな気持ちでいっぱいだったのです。

そのうち、ある講師の先生の言葉がふと、腑に落ちたのです。

 

『親を許すというのは、無罪放免にするということではなくて、理解するということ』。

そうか。それなら、できるかもしれない。母のことを少しずつでも理解してみよう。私にとっては取り組みやすく思えました。なんとなく、怒りはちょっと、横に置いておけそうな気がしたからです。

 

 

 

受けとっていたものに気づく

母には産まれ育った環境に安心感があまりなかったり、自己実現する場が少なかったり、寂しかったり、自信がなかったり、色々あったんだなぁ。本当にちょっとずつではありましたが、状況を理解するように努めました。

でも、そこから先には進めません。あんな風に依存的になるのもしょうがなかったのかなぁ、と怒りは少しずつ落ち着くものの、現在施設に入っている母の顔を見に行きたいとはあまり思えなかったのです。これでは理解した、許したとは言えない、と思っていました。

そのうちに、私はボランティアカウンセラーとして活動する場を与えて頂くことになりました。最初はうまくいかず、ただ無力感に凹むことも多々ありましたが、回数を重ねていくごとに、何かちょっと自分でも良い感じにお話しできたかな、と思えるようなことが出てきました。

辛い思い、しんどいお気持ちを背負ったクライアントさんに寄り添いたい。楽に軽くなってもらいたい。そんな思いが通じた感じがした時、ふと気付いたことがあったのです。

そんなときの自分って、まさしく、元気だった時の、私が大好きだった母とそっくりなのです。『そうだったのですね、辛かったですね』『それは悲しい思いをされましたよね』『大丈夫!あなたならきっとできますよ!』そんな声かけを心からできた時、「これって、なんだか母の言い方、言い回し、母の声色にそっくりだな!」と、思ったのです。

 

母は色々な出来事によって、自分には何の力もないと感じる無価値感や、自分が悪いのだという罪悪感を自分でどうすることもできなくて、雪だるま状態になってしまったのだと思います。

そのせいで、本当に私が好きだった、いきいきとした母はその雪だるまに埋没してしまったのでしょう。

 

でも、私は母からそんな風に寄り添ってもらえた記憶があったのです。そのことを肌身で感じて知っているのは私ですし、それをもらって嬉しかったのも私です。

 

そして、気がついたことがありました。母を許せていなかったのではなくて、寂しかったのだ、と。あの母が好きだったからこそ、あの母にはもう会えないことが悲しかったのだと。私、あの母にもっと甘えたかったのだな、と思いました。

母はまだ生きているのに、もうあの母はいない、現れてくれない、って怒っていたのでしょう。

 

だから私は、進めなかったのです。
 

 

 

自分がほしかったものを与えられる私たち

そっか、私は母の温かい寄り添いが欲しかった。もうもらえないことがつらくて、くれないから怒っていた。それならば、私がそれを今度は与える番になったのかもしれない。

母から、私は確かにもらっていた時がありました。もっと、もっと欲しかったのでしょうね。でも、もらっていたのです。

私は少しずつ、もっと欲しかった私自身を、塗り残した塗り絵ととらえ、まだその白い部分は私が誰かに与えていくことによって、カラフルな色鉛筆で今からだって塗っていけるのかもしれないと感じました。

与える側に、回ること。寄り添って欲しかった自分がいる分だけ、寄り添う側をやってみること。そうすることで、途中で止まっていた塗り絵を仕上げることができるのではないかと希望を持ちました。

人にはそれぞれの許しのステップがあると思うのですが、私はこの1枚の塗り絵の続きが完成した時に、母を許せたのかもしれないな、と気付けるような感覚がしています。そして一度、母を許すことができたらば、こんな風に塗り絵を完成させる力が自分にはあると、自信をもって、何枚でも塗っていくことができるのだと、感じました。

 

つまり、未来へ進んでいく力に変えることができるのだと思うのです。

私には幸い、母の良い頃の思い出がありました。でも、それもないと思われる方もおられるかもしれません。でも、何が欲しかったかな?少なくとも十月十日と言われる月日を、お母さんは全身全霊をかけて、あなたの命をお腹の中で育んでくれたのです。

また、産まれた後のあなたに、例えお母さんとの良好な接点がなかったとしても、代わりにそれを与えてくれた人がいたから、今のあなたが存在するはず。それは、おじいちゃん、おばあちゃん、学校の先生、近所の人、親戚のおばさん、おじさん、友達のお母さん、だったかもしれません。

 

ヒントはどこかに必ずあると思うので、それをお手本にしてみるといいのかもしれません。

 

心理学ではこんな言葉があったりします。『欲しかったものは、あなたが与えにきたもの。』

 

あなたがもっとほしかったものがあれば、それを欲しい人の気持ちはあなたが一番わかる人。寂しい人がいたら、その寂しさに寄り添える人。元気のない人がいたら、元気づけることができる人。

 

だから、誰かに与える側になってみませんか?その時にきっと、お母さんからもらえなかったと考えて立ち止まって八方塞がりでいた頃より、もっと開けた素晴らしい景色が目の前に広がっていて、ふと許せなかったお母さんのことを直接的であれ、間接的であれ、「おしえてくれてありがとう」そう思えるのではないかと、私は思います。

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございまいました。

 

来週は、高塚早苗カウンセラーがお届けいたします。お楽しみに!!!

 

 

おしらせ

 

YouTubeライブで「恋愛心理学アカデミー」に出演させて頂きました!よろしければ、ご覧頂けると嬉しいです!

 

 

 

 

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