自分の“光”は見えないものね。 | 恋と仕事の心理学@カウンセリングサービス

自分の“光”は見えないものね。

こんにちは
カウンセリングサービスの福野てるすけです


毎週日曜日は「自分プロデュース」というテーマで
高塚早苗カウンセラー
岡田えりこカウンセラー

一澤藍子カウンセラー

そしてわたし福野てるすけの4人でお届けします。

 

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パートナーシップや仕事など、誰かとの関りにおいて“自分プロデュース”は人生を前へ進めるためにも大事なものです。
自分プロデュースが出来る方とそうでない方。
人生が行き詰まっても、何とか前へ進める方とそうでない方。
カウンセリングをしているとこれらが出来る方にある共通点があることに気が付きます。

それは自分の“”の部分に気が付いているか否か。
それを受け入れているか否か。
ここで言う“”というのはその人の“才能”であったり、“”であったり、“やる気”や“情熱”であったりします。

大事なポイントは、この“”、誰しも持っているという点です。
ただ、それをみんなが自覚、受け入れる事が出来ているかというとそうではありません。
自分の事をちっぽけに扱う癖があったり、自己肯定感が低かったりすると自分の“”に気が付けないケースも多いものです。
そして、本人にとって“それが当たり前”という感覚が強い場合も自分の“”に気が付けない一つの原因になったりします。

本当に、自覚が無いことが多いんです、自分の“”の部分って。

先日、こんな事がありました。
東京の面談ルームに面談しに行った時の事です。
カウンセリングの前に面談ルームの待合室に居合わせた他のカウンセラーの方達と雑談していました。
するとあるカウンセラーがこう言いました。
「てるさんって本当に色々と車をいじれたりして凄いね」
(わたしはバイクと車をいじるのが趣味でたまにXでその事をつぶやいたりしています)
その時、私の口から出た言葉が
「そんな事無いですよ、しょうがないからやってるだけですし」
するとこう言われました。
「でも、普通はあそこまでしないよ」
そこで初めて気が付きました
「あ~俺は車を弄るのが好きなら“これくらいの事は自分で出来るだろう”と思っていた事って普通じゃないんだ、凄い事なのかも」って。

どんな事を私がしてるのかというと
家には古い車(ミニという車です。Mr.ビーンやシティーハンターの冴羽獠が乗っていた車といえばわかる方もいらっしゃるのではないのでしょうか?)があり、その車がちょっと故障してしまったので色々と自分で直しているのです。
例えば、ショートしてしまった配線を全部自分で引き直したり。


例えばスイッチやレバーをキレイに配置させたかったので自分で部品を設計して作ったり。


例えば、ダッシュボードのデザインが気に入らなかったので自分で部品を作って溶接して色を塗ったり


とまあ、こんな感じです。
他にもたくさんやっているのですが割愛します、キリが無いので…
とにかく、自分の当たり前って他の人から見ると当たり前じゃなくて、それがその人の才能や力や情熱などの“”である事ってとても多いんです。

そうそう、こんなクライアントさんも居ました。

 


その方は離婚問題で悩まれていました。
とても苦しそうでした。
それはそうですよね、愛する人、愛する家族と離れるかどうかの瀬戸際なんですから。
とにかく苦しそうでした。
苦しみで心が満たされる時は感情も不安定になります。
寂しさ、不安、怒り、そんな感情に心が支配されます。
すると生きている心地がしません。
気が休まることもありませんから食欲も落ちて、どんどん体重も落ちていきます。
自分の未来に希望も持てません。
生きてても辛いだけです。
よからぬ事も想像してしまいます。
そんな時は無理に痛みに触れるような話はしないことも多いものです。
あまりに心が痛んでいる時は、まずは少し落ち着く事が必要だったりします。
気を紛らわせるためというわけでは無いですけど、昔の話なんかしてみたりしていました。

「若い時はどんな事をやりたかったのですか?」
「どんな学生時代でした?」
「今までの人生の中で一番自分を変えた出来事は?」


などなど。
そんな話をしていると、どういった話の流れからかは忘れてしまいましたが、その方の母親の葬式の話になりました。
そのクライアントはこんな事を言いました。

 

「わたしが30過ぎの頃だったかな、お袋がガンで亡くなったんです。」

 

「お袋の葬式の時はみんなが泣いていたな。」

 

「親父も兄貴も、お袋の妹さんもみんな悲しみが溢れていた。」

 

「火葬したお骨を骨壺に入れる時もそのままだと全部壺に入りきらないから骨を少し砕かないといけないんだけど、愛する人のそんな姿をみるのは辛いだろうし、ましてやその人の骨を砕くなんて出来やしない。」

 

「みんな悲しくてただただ立ち尽くしていただけだった」

 

「だからわたしが骨を壺に入れて、全部入るように少し骨を砕いたんです」

そんな事をサラっと言うんです
その方は気が付いてません。

 

「愛する人の骨を拾うのはとても辛い事、そんな辛い事は俺が全部背負ってやる」


と言ってるのに。

自分も辛かったはずなのに。
そんな大っきな愛の持ち主なのに、全くその事に気が付いていないんです。
だから、こう伝えてあげました

 

「ちょっと想像してみて欲しいんです」
「何年後、何十年後かにあなたの奥さんが亡くなって、今は小さいあなたの息子さんが成長して、あなたと同じ事を言ったら、あなたと同じ事をしたら、あなたはどう思いますか?」
「あなたの息子さんはこんな事を未来のお葬式であなたに言ったとしたらどう思いますか?」

 

『親父、親父はお袋を亡くして辛そうだよ、愛する人の骨を拾う、ましてやそれを砕くなんてそれは辛いだろう』
『だから、俺がやるよ』

 

「こんなふうに、あなたの息子さんが大きくなってあなたに言ったとしたら、あなたはどう思いますか?」

するとそのクライアントさんはわんわん泣き始めたんです。
愛する人が自分と同じ事をする、それを想像したとき、初めてその行為が偉大な行為、そこに大きな愛がある事に気が付いたんです。
自分の中に大きな愛があることをやっと感じたんです。
そこから彼の人生は少しづつ変わっていきました。
自分の中の“”に気が付くことが出来たから。

このクライアントさんって私の事なんですけどね。

もし、あなたが自分の人生で行き詰まり感を感じていたり、長い事苦しみを感じているのであれば、自分の“”に気づかれていないからかもしれません。

あなたがやっていること、やってきたことをあなたが愛する人も同じ事をやったとしたら、あなたはどんな風に感じるでしょうか?
なにか感じるものがあるのではないでしょうか?

自分の“”に気づく
そこから初めてみませんか?

必ずそれはありますから。

 

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最後までお読みいただきありがとうございました。
来週は、一澤藍子カウンセラーがお届けします。
お楽しみに!

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