心の安心を確保するために。境界線を引いていく | 恋と仕事の心理学@カウンセリングサービス

心の安心を確保するために。境界線を引いていく

 

 

こんにちは カウンセラーの齋藤佑磨です。

 

毎週金曜日「恋と仕事のライフプロデュース」は佐藤まゆみカウンセラー櫻井朱美カウンセラー、、蒲谷芳久カウンセラー、そして齋藤佑磨の4人でお届けしています。

 

 

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まずはこの度の地震で被災された方の無事と町の復興を願います。

 

今回の記事は境界線について書かせていただきたいと思います。

日々SNSやテレビなどで様々な地震関連のニュースが流れます。

当時者でなくともニュースを見て不安になられる方も居るのではないかと思います。

 

皆様は境界線を引くと言うと、どんなイメージをされますか?

例えば誰かや何かに心を振り回されないこと。

また何にも左右されることなく心の平穏を保ち続けることと言えるのかもしれません。

 

ある意味で境界線を引くとは心の「平穏」や「安心」が保たれている状態とも言えるはずです。

だからこそ【不安】を「平穏」や「安心」に変えるための手段が境界線を引くこととなります。

 

しかし境界線を引くって簡単なことでないですよね。

はい。今から境界線を引きます!と決意したところで心の不安は安心感へと変わらないはずです。

それは一体何故なのでしょうか?

 

例えば境界線を引くことを、嫌いな人と距離を取ることでイメージしていただけると分かりやすいはずです。

当然嫌いな人なわけですから、もう関わりたくない!顔を見るだけで不快!生理的に無理!といった感情を感じることがありますよね。ここでは心の反応として拒絶感を感じています。怒りを感じていると言っても良いはずです。

 

だからもう関わりたくない!境界線を引く!という決意に拒絶感や怒りの感情が作用して、この感情が相手と自分との間の壁のような役割となってくれます。言い換えれば、「あんたこれ以上近づいてきたら酷い目に合わせるよ!」といった感じです。

だから相手と適切な距離感を取れて、自分が安心を感じるスペースを確保できるようになるわけです。

 

しかし地震といったように命の危険を感じる出来事が起きた時、まず拒絶感や怒りという感情が作用しにくくなり境界線を引くことが難しくなります。

それも当然で、感じる怒りの強さと命が守られるかどうかは比例しないからです。

 

だから普通だったら人との間で境界線を持てていて、自分の芯をしっかりと確立されている方でも、地震のニュースを見るたびに心がいつの間にか不安になってくるということも起きえたりします。だからこそ被災された方の不安とはいかほどのものかと思うと、心が痛む思いです。きっと眠れない夜を過ごされている方も居るかと思います。

 

 

だとしたらどのように自分の心の不安を減らす境界線を引くと良いのでしょうか。

この場合、手段としては主に二つあるかなと僕は考えています。

一つ目は自分が生きていることを実感すること。これは今被災地から離れている方に有効と言えます。

もう一つは人との心の繋がりを確保すること。

順に解説していきます。

 

 

まず一つ目。自分が生きていることを実感すること。

当たり前ですが「生」の反対は「死」です。

地震のニュースを見ている時、間接的に私達の心は死の狭間に置かれています。

疑似的に自分がその場で地震の被害に遭った場面を連想してしまうわけですね。

 

でも当たり前ですが、私たちは殆ど自分の「死」というものに対して耐性はありません。

それは自分を「死」に追いやるものに対する抵抗の手段を持っていない状態です。

だから地震のニュースを見たときに、それを心からはじけなくなるわけです。

なので心の不安がずっと警報を鳴らし続けてしまう。

 

先ほど境界線を引くのに大切なのは「怒り」と「拒絶感」と書きました。

地震といった天災に対しての境界線の役目となるのは「物理的な距離」と「知識や情報」です。

「物理的な距離」は今自分の命の危険にさらされる場から離れられている実感に繋がります。

「知識や情報」は被災地においての安全と危険の場の切り分けに役立ちます。

 

そして物理的な安全を確保できたと感じると、それが生きている実感へと繋がります。

でもニュースを見て心がすごく不安になっている時、この二つが機能しなくなっていることがあるかなと思います。

 

だからこそ「グランディングを取る」という考え方が必要になります。

別の言葉では地に足を付ける。別の表現で言うと命を感じることですね。

 

例えば、心臓の音に耳を澄ませてみる。心拍の大きさや速さ。

今心臓が動いているということは、あなたが生きているということでもあります。

 

また手や足に触れて体の体温を確かめてみる。温かいのか。それとも冷たいのか。

息遣いにも心を傾けてみる。呼吸の速さや呼吸する音。

そしたら自分の足や体といった部分に意識を向けてみる。

 

今自分はこの体を持ちながら、今この場所に立ち続けているわけです。

そして今この場においては何も起きていないことを感じてみる。

 

これは被災地から離れて安全な場所に居る方。またニュースを見てパニックになるほどの不安を感じていない方には有効ではないかと感じます。

 

 

そして二つ目。人と心の繋がりを確保するということ。

「死」というのは「孤独感」と密接に結びつきます。特にこういう時は尚更です。

「死」を無意識に連想している時、そこに思い浮かぶ自分は「一人きり」なはずです。

だからこそ、小さなことでも良いから人との心の繋がりがものすごく大切です。

 

その中では感じた「不安」や「恐れ」を言葉にし合うことも大切になります。

感情の分かち合いですね。一人で「不安」を持たないということです。

 

また感情の分かち合いとまでいかなくとも、ただ言葉を少し通わし合うことも大切です。

今日話をした人が実際に自分の命を守ってくれる人なのかどうかは分からなくとも、心の繋がりには「情」が生まれます。

誰だって死にたくはないです。当たり前です。誰だって誰かを死なせたくはありません。

 

「死」が身近に感じられる時に何より大切なのは「情」と「心の結びつき」。そして「一致団結の心」です。

「希望」と「死」は真反対にあって、でも「死」から自分を一人で守るのは到底困難です。

だから「生きる」ことを一人で選ぶことではなく、「生きる」を誰かと共に選んでいくこと。

 

そしてそれは僕たちにもできることだと感じています。

被災地の方の無事が守られることは勿論のこと、毎日毎日「共に生きること」を選ぶことは僕にもできると感じています。

 

勿論、僕の生きるという毎日の選択が被災地の方に何かしらの影響はもたらせないとは思います。

でも寄り添い続ける生き方はできるのではないかと思います。

 

 

そして最後にまとめますがもう一つ「境界線を引く」ために有効な手段があります。

それは「サレンダー」という考え方。ここでの意味合いは「死を受け入れる」ということ。

でもそれは死を甘んじて受け入れるという意味合いではありません。

 

それは自分の命が危険であるとしても、生きることを選ぶという意味合いです。

そして「一人で生きる」のではなく「誰かと共に生きる」を選ぶこと。

 

それは私は「死に屈しない」し「何があっても生きる」ことを選んでいくことです。

 

勿論、被災された方の中には悲しみや痛みを感じる出来事に見舞われた方もいらっしゃるかと思います。

だからこそ、これは不安な感情に境界線を引くための一つの考え方です。

 

皆様の安全と安心がひと時でも早く守られる事を心から願っております。

 

 

翌週は櫻井朱美カウンセラーがお届けします。

お楽しみに~。

 

 

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