越境する人と文化を通して読み解く東アジア(14)テレサ・テン(鄧麗君)を通して | 東アジア地域探究のブログ
おはようございます。テツジンです。
ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
本日はテレ・サテンについて紹介します。
本題に入る前に少し余談の話をさせてください。
7月8日からブログをスタートして、昨日(7月31日)まで、欠かさずに毎日更新してきました。
ブログをご覧くださった複数の知人から「すごいね!」「毎日更新すること、驚いた!」などお褒めの言葉をいただきました。嬉しかったです。
継続は力なり!
これからもコツコツと更新していきます。
月が替わりまして、初めて私のブログを読んだ方もいると思います。
先月、書いた主な内容を簡単におさらいしてから、本日の本題に入りたいと思います。
先月は、ローカルとローカルを結びヒト・モノ・文化および地域と地域を結びつける作法、そしてさまざまな越境する人と文化を通して読み解く東アジアなどについて書きました。
一民間人の立場から、私は多文化共生社会のあり方について、20年間ぐらい模索し続けてきました。
その過程で、ローカルや地域、そして越境する人と文化に注目することの重要性を痛感しています。
私は日本に留学し、学部時代から博士課程まで、専門的学問の訓練を受けました。20年間、通訳やコンサルタントなどの立場で、多文化共生と国際交流活動にかかわってきました。
この活動に関わる際に、私は主に「ナラティヴ・アプローチ」を用いています。
「ナラティヴ・アプローチ」については、7月17日に書いたブログを参照願います。
多文化共生社会の構築するため、私は通訳や語学研修、公開講座などを通して関わり、微力ながら貢献しているつもりです。
楽しくかつ有意義な語学研修ができるように私は頻繁に歌や映像資料を使っています。
たとえば、アジアの歌姫とされるテレサ・テンの歌をよく資料として使っています。
たしかに、10数年ぐらい前、テレサ・テンの「再见!我的爱人」という歌の原曲は、日本語の「グッド・バイ・マイ・ラブ(Goodbye My Love)」と知りました。しかし、その時、深調べはしませんでした。
その後、調べるうちに、「グッド・バイ・マイ・ラブ(Goodbye My Love)」はなかにし礼が作詞したことだと知り、驚き、嬉しかったです。
さて、テレサ・テンについて、ご存じの方も多いと思いますので、簡単に紹介しましょう。
テレサ・テン(1953年-1995年、鄧麗君)は、台湾出身の歌手。1970年代から1990年代にかけて、中華文化圏全域ないし日本とマレーシアなども含めたアジアにおいて広く人気を博したその業績から、「アジアの歌姫」と呼ばれています。
NHK紅白歌合戦にも3回出場しました(1985年、1986年、1991年)。
また生前、ご自身のオリジナルの歌のほかに、数々の日本の名曲を中国語にリカバーして、大ヒットさせました。今でも歌い継がれています。
『北国の春』(北国之春)
『つぐない』 (償還)
『昴』(星)
『時の流れに身をまかせ』(我只在乎你)
『グッド・バイ・マイ・ラブ(Goodbye My Love) 』(再见!我的爱人)・・・
1995年、「アジアの歌姫」テレサ・テンは42歳の若さで亡くなりましたが、人気は今なお不滅です。
テレサ・テンの歌は、
これからも国境を越えて歌い継がれていくでしょう!
参考文献
平野久美子『テレサ・テンが見た夢』晶文社、1996年。