友人が亡くなって | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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大学時代の同期の友人が病気で亡くなりました。

 

その友人が病気で余命宣告をされたことは、同期の別の友人から

1月に手紙で知らされていました。

 

手紙をくれた友人は

「私はタイミング的に偶然もあって彼女からそれを知らされた。

自分が何もできることがなくて戸惑っている。

強制でもなんでもないけれど、

彼女が以前親交のあった人と触れ合いたいのではないかと思って

彼女の連絡先を書いておきます」というような内容があって。

 

その手紙をもらってしばらく考えたのですが、

 

病気になった友人と私は、一時期仲良くしていたこともありましたが

15年ほど前に同期で集まった時に話をして、

ずいぶん価値観がそれぞれ違ってきているんだなあ・・・と

いうことを感じて。

 

もし、自分が病気をしている側だったら、

そのことを伝える人は選ぶだろうし

 

かなり価値観が違ってしまっている今、

そしてもう余命幾ばくもないと言われているこのタイミングで

 

15年ぶりに全くやり取りのなかった他人から突然

「病気なんだってね、大丈夫?」

 

と連絡が来たり

何かアドバイスをされても

どうしていいかかえって戸惑うだろうなあ、と思い、

病気の友人に直接連絡するのは控えました。

 

「自分がその人のためなにかをできないか」と思う気持ちはあっても、

ちょっと待って、それって誰のため?

って思った時、

現状の彼女にいまの私が連絡をすることは、

私が自分で「何かをすることができた」という自己満足でしかないと思ったからです。

 

手紙をくれた友人には、伝えてくれたことのお礼と、

たぶん彼女はあなたを信頼しているから直接そのことをあなたに伝えたのだと思うし、

そのことを近しく思うあなたに知っていてもらえることだけで

 

何かを彼女に具体的にしてあげることができなくても

彼女を思うあなたがそこに存在していることだけで

彼女はとても救われる思いでいるのではないだろうか、と書いて

手紙で送りました。

 

そして病気の彼女のことを思って

彼女が体を持っていられる時間に、より良い気づきがあったり

家族と良い時間を過ごせるように、と祈りました。

 

その彼女が亡くなったと、

今度は別の友人から電話がありました。

 

特に同期で何かをするわけではないけれど、

知らせたかったので、と。

 

自分はどうしたいのか考えました。

 

北海道までチケットを取ってセレモニーに行くことはできるけれど

彼女はもうそこにはいない。

 

じゃあお香典を出したいのかというと

彼女の家族がそれを喜ぶのかと考えても

自分が家族を見送った時の経験からして

それを故人に報告することくらいしかできないし

それが悲しみを癒すことはない。

 

電報を送ろうかとも考えましたが、

それも、じゃあそれはなんのためなんだろう、と思うと

同期の人たちに、なにか私がアクションしましたよ、と

知らせるためだけのものでしかないんじゃないか。

 

では自分はどうしたいだろう。

 

と思った時、

 

ただ、彼女のことを思い出すこと。

彼女と過ごした楽しい思い出を愛でてその時間を過ごせたことを彼女に感謝すること。

 

をしたいなと思いました。

 

わたしも遅かれ早かれ、

彼女のあとを行くことになる。

 

だから、いまを生きる自分が

悩んだり考えたり感じたりしながら

この自分を心のままに生ききっているかを

より一層、丁寧にやっていこうと思いました。

 

私の今回のアクションを、理解できない人はいるのかもしれない。

(結果、何もしない、ということになったわけなので)

 

けれど、自分の心に添って生きる、と決めている私が

何回も丁寧に感じてみて、

自分に一番真摯でいられると思う結果がこれだったと思っています。

 

いま、ウクライナの話題が世間では多く語られているけれど、

これについても少し重なるところがあって。

 

誰が悪い、誰がどうするべきだ、

一つの価値観がいいのか悪いのか、

 

というところを見がちになってしまうけれど。

 

誰が悪いのかを探し出して

それを責め立てても

生まれてくるものはない。

 

私が考えるところでは、

本当の平和って、

 

みんなが

世間の決まり事や空気感に引っ張られることなく

自分の心のままに生きられた時にこそやってくると思っていて。

 

一人一人が自分の感じたことを生きる世界を作る

その一番近い始まり、つまり私にとってみれば私という人間の中を平和にする。

 

そんなことを丁寧にやっていくことが大切なんじゃないかな、と

思っているのです。