自動にまかせない | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

わたしは、人は幸せでいるために生きていると思っています。
お洋服や写真を通じて自分を見つけ、あなたの幸せをVIVID(イキイキと鮮やかに)に生きようぜ♪

この前のこの記事から、

 

お伝えしたいことをどうしたら伝えられるかな・・・と

思っているんですが、

これは、少しずつ感じていることを書いていくしかないなと思っています。

 

なので少しお付き合いいただければと思います。

 

私が気づきに至ったのは、長い時間とプロセスをかけてだったので

それをもう少しコンパクトに書ければって思っているのですけれどもね。

 

私がずーっとやっていることの一つに、

「自動にまかせない」ということがあります。

 

誰でも、考え方の癖みたいなものってあると思うんです。

それって多分、自分の家族、特に親がやっていたことを

当たり前のこととしてやっていた・・・みたいなこと。

 

それぞれの家の常識が違う家では全く違う・・・みたいなことありますよね?!

(それが多分、結婚がうまくいかない理由の多くな気もします)

 

どうしても心が自動で動いて答えを出してしまうことってあります。

それは多分、一人の人間としてこの世で生きていくために必要だから備わったものなんだと思います。

 

子供が成長していく中で、社会で生きていくのに

「これはどうもこういうことらしいな」と周りを見て読んでいくような過程があると思うんですよね。

 

それで、なんとか一人で生きていけるスキルがそれなりに揃うと、

その一回会得したスキルでずーっとやっちゃう、みたいなことがある。

 

最近よく聞く「ライフハック」なんていうのは

「もっと便利な、やりやすい方法ありますよ」ってことだと思うので

そういうことは、メリットがあるからみんなやってみるけど、

 

なんとなくいつの間にか元に戻ってしまうことって多くないですか?

 

それって、自動になっちゃってる方に戻っていくことなのかなと。

慣れ親しんだほうについつい・・・みたいな。

 

そういうことって常に起こっていると思うのですよ。

 

「こういうものだから」となんとなく思って

それが自分の周りの人とそれなりに一緒だと

そのままずっとそれをやり続けてしまう。

 

で、タイトルの「自動にまかせない」ってどういうことかというと、

 

「自分の心に聞いてみる」ということをいちいち、

本当にいちいち、やってみるということなんです。

 

お昼を食べに入ったお店で、

当たり前のようにランチメニューから選ぶんではなくて

その店のメニューの中で何が食べたいのかを自分に聞く。

 

服を選びに行って、

いつもいくお店じゃなくて、

たくさんのお店を眺めてみて

違うお店に行ってみる。

1軒めがしっくり来なかったら2軒めに行ってみる。

 

そして、たくさん試しているうちに、

1軒目のお店の何がしっくりこなかったかも段々わかってきます。

 

お店の空気感なのか

店員さんの感じなのか

品揃えの色合いなのか手触りなのか

陳列の仕方なのか・・・

 

もう、もっとシンプルなのでいうと

駅に行くのになんでこの道なのか、とか。

なんでここで右に曲がるのか、と。

 

違う道を通ってもいいけど

この道にしてる理由ってなんなのか。

 

こっちがいい、ってなんとなく思った、というところまで聞ければ上出来!

それは、「なんとなく」っていう心の声を聞いた事になる。

 

最初は、「わかんない」っていうかもしれません。

 

だけど、繰り返しそれをやってるうちに

心は「ん?」って思い始めて

具体的に答えてくれるようになります。

 

すごくスロウかもしれないけれど、

必ず!答えてくれるようになります。

 

とにかく、それをわかるには

心に聞くことを「やってみないと」始まらないんです。

 

最初は分からなくてもいい。

でも、ちょっとずつちょっとずつ、

「なんでこっちにしようって思ったんだろう」

「どうしてこうしてるんだろう」

 

って思い出しながら聞いていくと、

心は必ず答えをくれるようになりますよ。

 

それじゃあ、私は好きなものを選んで生きているから関係ないわ、と思った方がいたら、

それをもっともっと、もーっとやってみてもらいたいです。

 

多分、必ず自分のどこかには「自動システム」が隠されているので・・・。

(そして、気づいてないってことはその自動システムはかなり強く入り込んでます)

 

もし、食べるものもどうでもいいし、

着るものだって別に適当でいいし。

好きなことなんてない。

 

なんて思う人がいたら、

あらら、それは重症です。

 

人間に生まれついていたら、

必ず、「快と不快」を感じているのだと思います。

赤ちゃんが泣いたり笑ったりするように。

 

泣いたり笑ったりしない赤ちゃんって見たことないでしょ?

 

もし、好きなものなんて別にない、って思っているのであれば

どこかでストップしちゃったんだと思います、

自分の心を感じることを。

 

自分を生きるって、

自分の心を知ることに他ならないと思っています。

 

心はとても確実です。

私はずーっと、自分の心に聞いて生きることを続けていて、その確信を持っています。

 

この話をしたら、先日、ある方から

「心なんてその時々で移り変わってゆくものでしょう?

そんな不確かなものを頼りにするなんて・・・」

と言われました。

 

そう、心は変わります。

でも、「不確かなもの」ではないんです。

 

心が言っていることって、末端はバラバラに見えても

根っこのところでは全部つながっています。

 

それはきっと、「愛されたい」ということ。

 

自分の心の声を聞くことは、

自分を愛し、癒すことにつながっています。

 

誰か他人に愛してもらうのではなく、

自分で自分を愛する。

 

それが、自分を生きるはじまり、だと思っています。