昨日の「自分のことだけやっていればいい」
というのが、自分の中でまだ響いています。
人生を50年以上やって、
で、自分の心と向き合い、
心の仕組みなんかに長く興味を持っているとさ。
自分のことは盲点がいっぱいあるけれども
他人のことはよう見えるようになってきた。
まあ、別に50年経ってなくても
人は他人のことってよく見えるよね。
で、他の人を見るとき
あー、こういう感じでこうなってるんだろな。
今、こんな感じなんだろな。
って、わかる。
本当、野次馬目線だからわかることってあるじゃん?
で、これまでの私は
その人とある程度近いところにいたら、
「ねーちょっとちょっと、ここ、こーなってるけど気づいてる?」
とか、ちょっかいかけてきたのね。
きっと気づいた方がよかろう、と。
(盛大なるおせっかいですよねー)
でもさ、
その人その人にはその人のペースっちゅうもんがあるのよね。
結構のべつまくなしに
「ねーねー」ってのをやってきて
前の記事に書いたように
思ったような返事が返ってこなくてしゅんとして・・・
ってのをず〜っとやってきて
あー、もう、いいな、これ!
って、そーろそろ思ってるような気がする。自分。
だって、その人のことは
その人自身が一番大事にできるんだもん!
どうしても知りたくて、
わたしの意見が知りたい、って人は
私に仕事として頼んでくれればいいんだもんね!
ポートレイトだってファッションコンサルだって、
その人の人生、かなり見えるから。
ええ、かなりいい仕事できます。
(お申し込みいつでもお待ちしてますえ(笑)
お金払って私に頼みたい、って決めた人は
それはバッチリその人のタイミングと私のタイミングがあってるってこと。
そしたらわたくし、思いっきり能力発揮していろいろ言えます笑
ちょいと話それたけど・・・
でね、この辺りがね。
自分の中で
「相手と自分を切り離す」って話に
進化してきていてだね。
そうすると、
不思議なことに他人に腹が立たなくなってくる。
(結構ね、これまで自分に関わる他人に腹立ててたんだ、これが。かなり。いや、すごく笑)
誰か他人が自分にしたことで
ムッとするようなことであったとしても
それに腹を立てるってことはさ、
まだ自分がそれに反応してるということだよね。
例えば、ひどいことされた!と思っても、
「自分がひどいことされた」という風に受け止めると
「ひどいことされた自分」を採用しちゃうわけだもん。
「へー、そういうこと気づかないでやってるのね」
とその相手の行動を他人事にすると
それはあくまで他人事だから
自分はそれでどうこう影響されない。
関係ない!って、すごくここちいいのね。
だって、自分の価値も存在も、なににも脅かされないんだもの。
自分が決めるのは、
「それで、その人とこれからどーすんの?自分?」
ってことだけ。
「その人じゃない人」は世の中にゴマンといて
その人のやな行動を「ふーん」と見られれば
その人といても自分がそれに影響受けなければ
一緒にいられる。
でも、その人の行動やっぱ目についてやだ、見たくないなそれ、と思ったら
離れてもっと合う人探せばいいのさね。
まあ、これ
前から頭では知ってたんだけれども
なーかなーか難しかったんですわ。わたくし。
相手に期待もしちゃうしね。
いったんいいな、と思った人であればあるほど。
「なんでこれくらい気づかないかな」
ってね。
でも、しょうがないわー、ってこれも思った。
だって、気づかないよ、
オレの方がたぶん、いろいろ見てきたもん。
人の顔色なんて、死ぬほど読んできたし。
苦しんでそこから起き上がってきたもん。
観察して空気読んでやってきたもん。
それ、他の人に求めても無理!
(自分ほど空気読む人になかなか会わなかったけど、
最近、そういう風に他人の気配読んでやってる人見て、
あれ、これって結構心地悪いな、されるの。
っていうのも見えた。
だって、その人のその人らしさが表現されないんだもの。)
って、やっと腑に落ちた。
(姉ちゃんにはずーーーっと言われてたけど。
姉ちゃん、すまねえ、今頃わかったぜ)
なんかね、とにかくいろんな他人のことを
そのくらい軽く捉えることができるようになったなー、と
自分の歩みを嬉しく思っています。
(けっこう最近だけどね)
他人との関係に悩む現実を採用しているのは自分。
なんかね、これ文章で書くのめっちゃ難しいわ。
ちょうど、ナリ心理学のナリくんが
いい記事書いてて、
それをはっつけて終了にしとこう。
はー、すっきり♪