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前回ブログを書いたのが3月2日・・・・

(前回の続きはまた書こうと思います^^;ゴメンネ)

 

そこから日にちが空いたのは理由がありまして。

 

その次の日、

人生で初めて救急車に乗りました。

 

腹部の激痛で身動きできなくなったからです。

ちょうど家族も家におらず、夜中で

市の健康ダイヤルに症状を伝えて聞いたら

それは救急車を、と相成りました。

 

原因は胆石が胆管に詰まる胆管炎というもので

下手すると膵炎を起こし命も危なくなることもあるとのことで

とりあえずよかった・・・

 

で、退院後も家で療養生活を送っていました。

 

食べられなかったこともあって急激に体重も減ってしまって

(一ヶ月で7キロ近く減りました←いまはだいぶ戻りましたケド☆)

人間、こんなに急に生気がなくなるものか、というくらい

げっそりしてました^^;

 

そこから、

胆石のことを一生懸命勉強して(今はいろんな調べる手立てがあってよかった)

食生活をものすごく変えました。

あと、体質改善のため漢方薬の服用を始めました。

 

そしたら、体の調子が目に見えて変わっていったのと同時に、

心のほうの様相も変わってきて。

 

よく、体と心は繋がっているっていうけれど、

頭ではそのフレーズ、わかっているつもりでいたけれど。

 

あれは・・・ほんとにホントですね!

 

カラダってすごい!

体を整えると、心がこんなに変わってくるなんて。

 

体の調子が良くなってくると同時に

精神的にもものすごく良い状態になってきたんですよ。

 

結果、いま、仕事も休んで

ただダラダラしているんだけど

 

とにかく幸せでしょうがない。

 

この幸せの中には、いろんなものが詰まってたり

バックグラウンドにもあるのだけど

 

少しずつそんなことを書いていければと思います。

(今度こそ書く書く詐欺にならないようにしよう^^;)

 

まずは今日はとりあえずアップしとこ。

 

 

 

写真は何日も続いた絶飲食の後に食べたごはん。

 

なんて美味しいんだろう!と感動しながら食べました。

 

 

 

誰でも一度くらいは、うっすらとくらいは

この疑問って持ったことあるのではないでしょうか。

 

自分っていう存在に生まれた意味とかあるんだろうか?

と。

 

それって、自分って価値があるんだろか、

みたいな問いにも繋がりますよね。

 

だけど、いまの世の中ってみんなが忙しすぎて、

そんな問いにいちいち立ち止まってなんていられない、って空気があって。

 

とりあえず目の前のやらなければならないことをやらなければ、と

そこだけを見て、

 

そして周りを見渡して、他人がしていることをみて

みんな同じようにがんばってるんだから

とりあえずやらなくちゃ、みたいな気持ちになる。

 

まさに昔の自分がそうでした。

 

私は昔、北海道庁に勤めていたのですが、

そこで「やらなければいけないこと」の量の多さに

最初、圧倒されました。

 

これがあなたの仕事ですよ、と渡されたものがあって

その当時の若い自分にとっては果てしないもので、どこでやめていいのか

定時で帰っていいのか

周りを見渡してもまだみんな仕事をしているし・・・

 

というような状態。

 

よく、お役所って定時で帰れていいね、って思われることも多いんですが

自分がいた部署はそんな人があまりいなかったです。

 

とりあえず空気を読んで、周りに気を遣って

なんとなくさわりがないように・・・と行動しているうちに

いつしか残業が当たり前になっていました。

 

ある組織に入って仕事をしていたことで

今思えばそこの空気に染まっていったわけですが、

 

その中で、自分という人間の価値は

 

「自分という存在」ではなくて

自分が何をやれたか、どれだけできたか

 

ということになってしまっていました。

 

主体が自分という人間ではなくて、

「やったこと」。

 

これでは、誰がやっても同じで、

ただやれた量や質だけが問われることになる。

 

そうなるとつまり、

周りが期待することをできない場合には、

 

できないイコール=「価値がない」

 

となってしまう。

 

私の職場だけではなくて、

なんとなく日本全体にこの空気があるような気がします。

 

「使えないやつ」

っていうフレーズ、聞いたことありますよね。

 

それがまさにこの空気感を表していると思います。

 

最近でこそ、

みんな違って、みんないい

 

という空気があるけれども

 

それも、ある程度周りの人と同じくらいのことができて初めて

ある程度個性があっていいんじゃないの、と

捉えている人が多いように感じています。

 

特に、大きな組織ではその色が濃いし、

その空気の中にいると自分自身までがそう思い込んでしまう危険性がありました。

 

ところが、それがある日覆ったのです。

 

それは、自分自身がある日、その

「使えないやつ」になったからでした。

 

(続きます)

 

 

まだ何もわからずに社会人をしていた頃の若い自分。

この頃の自分に今の自分が何かを言ってあげられるとしたら、

 

あなたは「できる人」でも「できない人」でもないよ。

周りがどう思おうと、良いも悪いもないし、

できないことも感じることも、自分なりで構わない。

 

って言うと思うけど、

当時の自分、理解できるかなあ・・・笑。

 

 

 

 

 

 

 

いたい。

 

いたたたた・・・

 

大晦日から新年にかけ、腹痛で寝込みまして。まるまる3日。

こんな年の瀬に・・・と思いながら

寝込むしかチョイスはなくて。

 

脂汗をかきながら痛みに耐えていて、ふと

「私の人生ももう終わりなのか・・・?」と

いろんな思いが湧いてきました。

 

よく考えれば、

少し早いけど病気になってもおかしくない歳なんだよなあ・・・と。

 

ずーっと

目の前のことをとにかくがむしゃらにやってきたけれど

振り返ってみれば

 

両親はもういないし

実家ももうないし

生まれ育ったあたりはもう馴染みのお店もなければ角の八百屋さんだって跡形もない。

知った人もいない

近所のよくしてくれたおばさんは認知になってしまったと噂に聞いた。

 

そういえば・・・

遡って人生を振り返ってみるに

学校時代に中間テストが終われば期末、年末テストで

休まる暇ないわー、と思っているうちに

 

大学に入って、

ちょっとは青春ぽいことを経験したりもしたけれど

そしてイギリスに留学して

あたりをキョロキョロしながら

ついていけない勉強をしているうちに

縁あって社会人になって。

 

これまたがむしゃらに目の前にあることをやってきて

時を過ごしているうちに

人生で初めて挫折というものを経験して

鬱になって休職して

 

そこからやっと立ち上がって

縁あって結婚して関西に来て

 

写真家になって

ファッションコンサルタントになって

ありがたいことに求めてくださる方がいて

仕事をして。

 

ザザザーっと振り返ってみても

うん、そうだな、ちゃんと年数分はちゃんと生きているよ。

 

だけど、自分が自分のことに

一生懸命になっているうちに

 

時代も環境も変わっていっていた。

 

それこそ

自分の年代がすごいと思うのは、

ちゃんと大人になってから

 

携帯電話ができて

インターネットができて

ブログができて

SNSができて

その変遷を眺めてきて。

 

ふと気づいたら

それらに乗り遅れれば

世間に置いていかれることになっていて

 

気づいたら

自分の好きだった年上の俳優さんが

亡くなったニュースがいっぱい流れてきて

 

友人が亡くなったことを知らされ

年賀状には恩師の娘さんから

恩師が亡くなったことが綴られ

 

ちょっと待って

ちょっと待って

 

時間ってこんなに経っていたの?!

 

呆然とする。

 

もうあの人にも会えない。

あそこにいってもあのお店もない。

 

そうか・・・

 

周りが時とともに変わることばかり見えていたけど、

はたと自分の人生を思えば

 

いや、これ、自分だって同じだけ時間は過ぎていて、

そうか、自分もいつか、そんな遠くないうちに死んじゃうんだ!

 

ぎくりとしたわけです。

 

そんな中、

自分の考えていることを少しずつ

書いておきたくなり、

 

間が開きながらも続けているこのブログに

綴ってみようと思います。