写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

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こんにちは、写真家でファッションコンサルタント、時々シンガーのyukko*です。

 

このブログでも散々書いてきたけど、

わたしが追いかけていることって、

 

「なにが本当の幸せなのか」

 

ということと、

どうやらそれには「心」というものが関係しているという半ば確信に近い思いがあるから

 

どこまでも自分の心に従って生きていこうとする試みを

ずーっとこの人生かけてやっていっているようなところがある。

 

で、心をどこまでも追っかけようとする中で

ものすごい敵が二人いる。

 

それは、

 

「頭」

 

 

「思い込みからくる行動のクセ」。

 

頭のほうは、それが仕事だからいろいろ考える。

 

「こんなことしてていいの」という罪悪感がその最たるもので。

 

世の中

「真面目に働いて」

「多少嫌なことがあっても継続する力があって」

「コツコツとたゆまず」

「質素でわきまえている」

「他人の嫌がることをしない」

ことなど(まだまだある)がよしとされて

 

それにのっとってない自分はダメなんじゃないか・・・と

カシャカシャといろいろ「判断」をはじき出してくれるのだ。

 

思い込みからくるクセ、というのも

まあ頭のやってることと似ていて、

いつもこうしているからあまり考えずに昨日と同じやり方を

同じようにトレースしてしまう、という感じ。

 

これらを意図的に外していくというのが

私が日々取り組んでいることなのだけれど、

 

ここ最近やってみているのが

「少しでも『やりたくない』と思ったら弁当を作らない」という試み。

 

今年の春から夫の職場が変わって社食がなくなり、

昼は弁当を食べるということになったので

弁当を作り始めた。

 

そもそも料理は好きなので

最初は楽しく作っていた。おかずを詰めるのもパズルみたいで楽しいし。

そしてなにより、夫も喜んでくれる。

 

だけど、根っから夜型の私、

夫の出勤する7時過ぎに弁当を持たせるには6時に起きねばならない。

つい夜更かしした日の次の日は当然辛い。

 

でも、知らず知らずに私の中に

「一回始めたものを途中で放り出してはいけない」

「三日坊主は恥ずかしい」

という思い込みがやっぱりあって。

毎日半ば自動運転で弁当を作り続けていた。

 

でも、

だんだん辛くなってきた。

 

夫の職場には手頃な価格で弁当を売りにくるワゴンがあるらしく、

夫は「ゆっこのお弁当は美味しいけれど、別に作らなくてもいいんだよ」という。

なんなら弁当のおかずの材料を買うより弁当の方が安上がりでもある。

 

なんのことはない、

弁当作りを続けている理由は

私の頭がいう「続けなくちゃ」という声だけなのだったよ。

 

そっかー。

 

ここで捨てるのは自分の意地だけだな。

 

で、捨ててみた。ぽいっ。

 

以来、

作りたい日は作る。

少しでも今日は面倒だな、って思ったら

夫に明日弁当ないよー、と言ってさっさと寝る。

 

そうしてみると、

なんだかすごく楽になった。

 

「どっちでもいい」という体制が

自分は取りづらかったんだなあ〜、と思う。

 

過去の自分を振り返ってみて、

「こうじゃなきゃ」って決めているほうが

楽だった時もあったんじゃないかなと思う。

 

そしてそれに世間一般がよしとするような価値観の後ろ盾があれば尚更

そういうものなんだから、と自分の心を騙してきたんだと思う。

 

なにか、もっともらしい外界のモノサシがあれば

それに従っていればいいのだから、まあ言ってみれば楽よね。

 

さらに、自分の心だけだと

どこまでも楽な方に流されていくのではないか・・・という怖さがあったから。

 

ここってすごく見極めというか見方が難しくって、

 

本来自分がやりたくない、って思ってることをやめるっていうのは

 

「自分がサボってるんじゃないか」

「いけないことなんじゃないか」

 

っていうふうに自分を責めがちなんだよね。

 

これ、真面目に生きてきた人ほどそうなんじゃないかなと思う。

(不良とかヤンキーの人はもっと心に素直な気がする)

 

でも、やりたくないことはやらなくてもいいんだよね。

楽に流されていってもいい。

流れに身を任せても、いつか必ずどこかにちゃんと流れ着く。

 

流れ着いた先に後悔があるんじゃないか、って怖くなるけど。

これは、そんなことはなかった、と

年齢を重ねた私が検証しているので大丈夫。

ちゃんと、流れ着いた先から道は開けるから。

 

やらなくちゃいけないというルールを作っているのは自分自身。

 

(で、やらなくちゃいけない理由としては

「そんなことしたら人にどう思われるか」

とかいう、他者理由だったりする)

 

ここ、自分にとってははずすのがとても大変だったのだけど

長年の取り組みの結果、最近だいぶできるようになって

ますます軽くなってきた2025年の年の暮れなのでした。

 

 

*   *   *   *   *

 

最近の「作れる日の弁当」は軽やかですよ〜

 

焼肉とさつまいもごはん。

 

そして次の日続けてさつまいもごはんをin。

おかずが足りなくてハムを切って焼いて入れる。

 

この日は自分の弁当。自分が食べたいとエビチリ作る笑

 

この日は面倒だったのでたしか前日のチャーハンと、

間に合わなかったのでたくさんあった柿をどこどこ詰めた笑

それでいーのよ、それで^^

 

 

 

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(1)からの続きです。

(1)はこちら

 

家でゴロゴロしてしまった日に、一日の終わりに

「今日を精一杯生きられなかったのではないか」という罪悪感にやられて落ち込んでしまう私。

 

休めたからよかったんだ、と思いたくても

自分が怠惰だったせいと思い込んで自分を責めてしまう。

 

その正体を辿っていくと、「後悔したくない」という感情があることに気づいた。

 

で、後悔する時点のことを思ってみると、

「後悔する」主語はといえばつまりそれは「未来の自分」ということになる。

 

じゃあ。

 

その「後悔するであろう未来の自分」に聞いてみよう、と思いまして。

 

設定は・・・そうねえ。

 

80歳の自分はまだ活発に動いていそう。

だったらもう少し歳をとった自分・・・95歳くらいかな?

 

で、目をつぶって95歳の自分を思い浮かべる・・・

割に穏やかな感じじゃないの!(よかったー

 

で、聞いてみたの。

 

いまね、2025年の私がね、

一日ソファでゴロゴロしてしまって、

時間を無駄に過ごしてしまったんじゃないかって心配してるの。

 

未来のあなたからみて、どう思う?

 

って。

 

そしたら、なんとその95歳の自分が言うのですよ。

 

「その一日、全然無駄じゃないわよ^^。後悔もしてない。

 

だって、あなたそんな時でも

今日を生き切ることができたかどうか、一生懸命検証してるじゃないの。

 

何も行動できなかった、って言ってるけど、

あなたは心の中で、すごく活動してるじゃないの。

 

そして、それはあなたにとって必要な時間だったのよ」

 

って言ったんです。

 

同じようなことを、私はずっと姉ちゃんに言われてきてたんですけど、

全然受け入れられてなかったのだけど。

 

95歳の自分に言われたとき、

ものすごくストン、と自分の中に落ちた感覚があったんですよ。

 

「必要な時間だったのよ」

っていうフレーズが特に。

 

でもこれ、きっと今という時間にいる誰に言われてもダメだったと思う。

未来の自分が言ったことだったから、スッと心に届いたんだと思うの。

 

そして、過去の自分を思い返してみると、

数年前に起きられなくて行動できない自分を悔しく思っていたあの日々を、

ああ、そうだ、私全然後悔してないわー、って思えたんです。

なんなら、そんな自分を愛おしくさえ思える。

 

(過去の自分にとっては、今の自分が「未来の自分」ですからねー。)

 

そしたら、じわーっと涙が出てきて。

ものすごく癒された感じがしたんです。

 

そして、

ああ、今日、休んでいたいと思う自分を休ませられたことは

そうしたいと思った自分を大事にできたってことだよな、って思えたの。

 

素晴らしい現実を生きているんだわ、自分、って思えた。

 

その時、あ、これは

これからの自分、変わっていけそうだ、って思ったんですよね。

 

もちろん、これまでの癖みたいなもので

今日もサボっちゃった!って思うことはあると思う。

 

でも、未来の自分を想定して、

この今日という日を無駄に過ごしたと後悔する、っていうのはなくなるだろうと。

 

そしたらすごく楽になるんじゃないかと思うのね。

 

きっと私のブログを見ていてくれる人は私と似ている人も多いと思うので、

もし自分を責めちゃうくせのある人は、

未来の自分に会いに行ってみるの、おすすめします◎

 

余談ですけど、95歳の自分の感じ、思ってみた時に

「あれ、この人まだまだやる気だわ^^;」って思ったのね。

 

きっと私は死ぬその瞬間までチャレンジを続けていくんだろうな、って思った笑。

 

とてもとても、地味な気づきではあったけれど

今回のは自分の人生にとってはきっととても意味のある気づきで、

自分という人間がすごく進化できたと思えたので、シェアさせてもらいました。

 

読んでくださってありがとう^^

 

 

 

先日、夫の息子(夫は再婚なのです)と一緒にごはん食べたときの写真。

夫も感情の感じ方が不得意だけど、息子も同じタイプで笑ってしまったわー。

 

 

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お久しぶりです。

 

相変わらず、「どう幸せに生きるのか」を追求中のyukko*です。

 

いやーーー

 

最近ね、自分の中ですごく進化があったのでシェアさせて欲しくて。

 

誰でも、繰り返しのパターンってあると思うんですけど。

意識を変えたいと思いながらも、

頭ではああすればいい、とわかっていながらも

どうしても同じ方向でしか考えられなくて変えられない・・・みたいなことってないです?

 

特に、「罪悪感」に関してってすごーく難しいなって思っていて。

 

私の場合は、「今日何もしなかった罪悪感」というのがあって。

 

私には子供もいないし、いま決まった仕事もしていないし

一日ソファに寝転がってずっとネットあさりをしている日が結構あって。

誰とも話をせず、下手すると外にも出ない日もあったり。

(働かずに生きていけるそのことにはすごーく感謝しています)

 

そんな日に、

「私は何をやってるんだろう」

「どうして何か有益なことをしようとしなかったのだろう」

 

って、自分を責めるんですよね。

 

見たことないですか?

不治の病で余命宣告されている人が、

「あなたがなんとなく生きた今日は

私がすごく欲しい時間なんだ」みたいなやつ。

 

そういうの見るたび、

ああそうだよな、今日を後悔なく生きなくちゃ、

明日どうなるかなんてわからないんだから

今日を一生懸命生きよう!

って思うのね。

 

ところが、

なんじゃ私の一日は!

ソファに寝っ転がって私は何しとるんじゃ!

 

ってツッコミが入る。

そして自分を責める、のパターン。

 

これ、うちの姉(悩まない人)に相談したりしてきたんですけど、

 

姉曰く、

「何にもしてないわけじゃないよ!

あなたは常にいろんなこと考えたりやったりしてて、

休んだ日は体が休息が必要だったからで、

そんな時は休んで当然なんだよ」

 

って言ってくれて。

 

だけど、どうしてもそれが受け入れられなかったんです。

 

そうは言っても、何かもっとできたことあったんじゃないの?って考えちゃう。

 

で、先日またその話を姉としてたんですよね。

 

姉曰く、「私はそんなふうに考えないけど

あんたはそういうふうに考えちゃうんだもんねえ・・・。

そりゃ大変だよねえ・・・」と。

 

で、姉を壁打ち相手にさせてもらって

どうして自分がそういうふうに考えるのかを掘ってみたんです。

 

そしたらね、どうも自分は

「後悔したくない」っていう感情を強く持っているということがわかったんですよね。

 

自分が死ぬ時に、

「あーやることやった!もう一片の後悔もない!楽しかったーバイバーイ!」

って死にたい。

 

だから、未来の自分が

いま2025年の自分を振り返って、

「あんなこともこんなこともできたのに・・・!」って後悔するのが嫌だ、って

思っているんだ、って感じたんですよね。

 

で、話しているうちに、

そうか、それならその未来の自分に聞いてみるのはどうだろう?

って思ったの。

 

長くなりそうなので一旦ここで(1)として(2)につづけますね。

 

続きはこちら→⭐️

 

先日お誕生日だったのでランチに行った時の写真👇

 

 

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