第十章

僕は、ポケベルを握り締め、公園のベンチに座っている。小学生がビニールのバットで野球をしていたり、カップルが隣のベンチで談笑している。犬の散歩をしているおばさん。そんなあたりまえの風景がほほえましい。

そして待ちに待ったポケベルのバイブが鳴ったとたん僕の体も身震いした。

「アガッタヨ。マユミ」

公園から猛ダッシュでファーストフード店まで向かい、その手前で深呼吸し呼吸を整えた。店の前ではポケベルを見つめる三井さんがいた。

「すいません、遅くなりまして・・」

「どうする?」

(・・・しまった!どうするか考えてなかった・・)

困った顔をした僕に三井さんが「どっかでお茶でもする?走ってきて疲れたでしょ。」

と、笑顔でいった。

「走ってきたって・・」

「だって汗かいてるよ。はい。」

そういうと三角に折られたハンカチを僕に手渡した。

「あっ、すいません・・」

額の汗をハンカチで拭いた僕は、「このハンカチは後で洗って返します。」というのが常識なんだろうか?よくドラマなんかではそういってるよな。

「このハンカチは後で洗って返しますんで・・」

「いいよ、気にしないで。」

「いや、でも・・」

「それよりどこかお店にいこ」

ハンカチを渡し僕たちは歩き出し、近くのファーストフード店に入った。

オーダーが終わり席についた。

きっと僕は緊張していたに違いない。どう切り出せばいいか悩んでいた。

そんな僕を見かねてか三井さんが口を開いた。

「ヒロトくんって何歳?」

「あっ17です。高校2年です。」

「17歳かぁ!私の3つ下だぁ」

「20歳なんですか?」

20歳って知っていたのに聞いてしまった。

「うん。20歳。神戸の短大にいってるんだ。」

「真弓さんって年下でもありですか?」


かっこいい告白のセリフを色々と考えていたのに「年下でもありですか?」なんてとっさに出てしまい、言った先から後悔した。


「・・・ヒロトくんって何月生まれ?」

三井さんは少し下を向きながら言った。

「えっと・・12月です。」

「私、5月なんだ。」

そう言うと、三井さんはテーブルの上のトレーに敷いてある広告の隅にある星座占いの5月の欄を指さした。

「新しい恋の予感」


三井さんは優しく微笑んでいた。


第九章

「悦生、早くそれ片付けてこっちを手伝えよ。」

「あっ、はい!」

バイト先はいつもの横山さんの指示が飛び活気があった。

「おはようございます」

何となく僕は気まずくいつもより遅くバイトに入った。

「おはようございます。」

香織と美紀の態度もなんだかよそよそしい。

「おうヒロト、

悦生と代わってくれ。こいつじゃ間に合わないぜ。」


「はい。」

僕は急いで更衣室で着替え、悦生と交代した時横山さんが無言で僕の肩を軽く叩いた。特に悦生でも間にあうであろう仕事を、僕の心境を察してか、僕に振ってくれたような気がした。どうやらバイトのみんなは昨日の一件を知っているようだ。



「あれからどうだった?」

「だめ。結構落ち込んでるよ。理恵。」

仕事もひと段落ついたとき、香織と美紀が理恵の話をしていた。

その時僕は初めて僕にチョコレートを渡そうとしていたのが理恵だった事に気がついた。香織と美紀は僕に聞こえる距離で話を続けた。

「バイト終わったら理恵のとこ行ってみようか?」

「・・・俺が悪いのかよ・・」

僕はつい言葉が出てしまった。確かに僕は理恵を傷つけてしまったんだろう。でも、昨日もしバイトに来て、理恵に会っても結果は同じだ。結局楽なほうに逃げたのだが、そう言い聞かせた。こればっかりは仕方がないと。

「ヒロトさんが悪いなんて一言も言ってないじゃん。」

香織がにらむように言った。

「そう聞こえんだよ!」

なんだかやるせなかった僕は香織にあたった。そのまま僕はその場を離れた。



香織や美紀に対して腹が立っていたと思っていたが、結局、自分の弱さが原因で、後悔と不甲斐なさがただ残ったんだ。それと同時に三井さんに自分の気持ちを伝える事がけじめのような気がしていた。勝手な思い込みだった。



バイトが終わり帰ろうとした時、その日初めて美紀が僕に話しかけてきた。

「ヒロトさん、あまり気にしないで。ヒロトさんのせいじゃないし。」


いつものおどけた美紀ではなく、僕を気遣い、ちょっと困ったような真剣な面持ちで僕に言った。

「ああ。なんか悪かったな。香織にも悪かったって言っといて。」

僕はそのままバイクにまたがり、寒空の中、顔や手ががしびれてきてもまだ家には帰りたくなかった。



(明日、三井さんに気持ちを伝えよう。)

公園でバイクのエンジンを切り、そう決心した。





次の日、何て言おうか考えがまとまらないまま授業が終わり制服のまま僕は三井さんのいるファーストフード店にやってきた。自分でもびっくりするぐらい躊躇なくカウンターまで行くと、三井さんが笑顔で「いらっしゃいませ。ヒロト君て高校生だったの?、」

「あっ・・はい。実は・・」(って知らなかったんだ・・)

「じゃあ、お酒飲んじゃダメじゃない!」

予想外の会話に動揺しつつも、勇気を振り絞り、三井さんを誘った。

「真弓さん、今日仕事終わったらお時間いただけないでしょうか?」

おそらく僕の顔は真っ赤だったに違いない。それが恥ずかしくていたたまれなかった。

「・・・うん。いいよ。6時頃終わると思うけど、どうする?」

(どうしようかな・・)ちょっと考え込んでいた時、僕の制服の胸ポケットに入れていたポケットベルのクリップを見つけた三井さんは

「それ、ポケベルだよね?ヒロト君のポケベルの番号教えて。仕事終わったらベル鳴らすから。」

そういうと、ボールペンと、紙ナプキンを僕に手渡した。

「わかりました。」

僕は紙ナプキンにポケベルの番号を書こうとしたが、緊張していたのか、筆圧が強いのか、紙が破れてなかなか書けない。その様子をくすくす笑いながら見ている三井さんと焦る僕。ほんの些細な幸せを感じずにはいられなかった。



「それじゃ後で。」

僕はポケベルの番号を書いた紙ナプキンを手渡すと店を出た。



近くの公園で、まだどきどきしている胸を押さえ「よくやった俺!」とほめながらポケベルが鳴るのをただただ待っていた。昨日の理恵の事なんてすっかり忘れ、緊張感や達成感でいっぱいになっていた。



今日、この日から僕の恋は愛に発展していくのであろう。「愛している」という言葉の意味もまだ理解できていない17歳。いや、この先も理解できるか解らない「愛」という永遠のテーマへの挑戦の始まりだ。



第八章

「それ片付いたらあがって良いぞ。」

その日も朝から大忙しでやっと店長から上がりの許可が出た。

「はい。それじゃここ片付けたらあがらしてもらいます。」

その日は最後まで残ってたのが僕と店長だけで特に疲れていた。

「悟のやついい時に休みやがって・・っあ!明日もあいつ休みか!」

ぶつぶつ愚痴をこぼしながら帰ろうとした時、店長が缶コーヒーを僕に持ってきた。

「お疲れさん!明日もお前バイト入ってんだろ?」

「あっ・・はい。明日も忙しいんですか?悟、明日もバイト休みなんですよ!」

「明日か。今日ほど忙しくないと思うけど。まあそんなに愚痴ばっか言うなって!明日お前にもいい事あるぜ。」

「良い事って?・・・なんかあるんですか?」

「明日はお前14日だぜ。2月14日。バレンタインデーじゃないか。俺のキャッチしている情報によるとだな・・・まあ、明日のお楽しみってやつか。」

「えっ!店長、バレンタインデーで僕、なんかあるんですか?」

僕の頭の中で(まさか三井さん?いや。それは無いか・・でももしかして・・)なんて期待と不安が折り重なりこのまま帰るわけにはいかなくなった。

「だから、お前にチョコレートくれる人間がいるわけよ。それも恒例の義理チョコじゃなく本命よ本命。」

「いや、だから誰なんです?」

僕は店長に詰め寄り話の続きを催促するように目で訴えていた。

「いや。誰だなんて俺の口からはな。このバイトに関係する誰かだよ。」

(・・・このバイトに関係する・・)

「まあ。明日来たらわかることだ。お疲れ。」

そういうと店長は仕事に戻っていった。



僕はかなり悩んでいた。チョコをくれるのが誰であれ、今の僕の心には三井さんしかいない。かといって断る事ができるだろうか。その後バイト先で気まずくなるんじゃないだろうか。色々な事が頭をよぎった。



そして次の日の朝、いつものように悟と満員電車に揺られながら切り出した。

「今日、バイト変わってくれないか。休みたいんだけど。」

「なんか用事でもあるのか?」

僕は昨日の店長から聞いた話を悟に説明した。

「代わるのは良いけど、お前他に好きな人がいるとかちゃんと言ってやらないとその子もかわいそうだろ。」

「わかってるよ。わかってるけど、気持ちの整理というか、誰かもわからないんだぜ。今日は無理だよ。」

「結構かわいいと思うけどな・・」

悟は意味深に僕に言った。

「お前、誰か知ってるの?誰だよ!」

「それは俺の口からは・・ね!」


なんだか僕だけ知らなくて周りが楽しんでいるようななんともいえない不愉快な気分がした。


「今日、やっぱりバイト休むし。悟、頼んだぞ。」

ちょうど電車が駅に到着し、そのまま足早に学校へと向かった。





「おはようございます!」

悟が僕の代わりにバイト先に顔を出した。

「あれ?今日悟さん休みじゃなかったっけ?」

美紀と香織が悟に聞いた。

「ヒロトと交代。あいつ今日誰かに告白されるのにビビってさ。あいつ好きな人がいるんだよ。だから。」

「でも、理恵ずっと待ってるよ。」

香織が不安そうな目で向かいのファーストフード店に目をやった。

理恵は美紀と香織の高校の友達でちょくちょくバイト先に顔を出していた。

おとなしい性格の理恵はいつも美紀と香織の話に相槌をうつタイプの女の子だった。

「俺も代わるのはどうかと思ったんだけど、ヒロトが聞かなくってさ!もちろん理恵ちゃんが、って事はヒロトには言ってないから。」


「私、理恵に言ってくるよ。」

香織はファーストフード店に走っていった。

美紀もなんだか複雑な心境のようで真剣な顔をして香織の後を追った。



ガラス越しに理恵が涙を拭いていて、二人が慰めていた。



恋は時として残酷である。勇気の無さは人を傷つける。

わかってはいたが、それはきっとわかっているつもりでしかない事に、その時の僕は気づいていなかったんだ。




第七章

横山さんが連れて行ってくれた居酒屋は僕らのバイト先のお得意様のお店で、何度か行った事がある。

「それじぁ乾杯しますか!」

横山さんがビールのジョッキを持った。

「何に乾杯ですか?」

真弓さんが楽しそうに僕らを見渡しながら言った。

「そうだな・・まっ、無難に出会いにって事で!乾杯!」

「横山さんって彼女いるんですか?」

斉藤さんが真っ先に口を開いた。

「俺?彼女いないよ。」

「えー!絶対いそう!もてそうだモン!ねぇ真弓!」

「うん。かっこいいし実はいるんでしょ?」

乾杯と同時に彼女がいる、いないというような質問が飛び交う中、横山さんが僕が真弓さんのことが気になっているという事実をぽろっと言ってしまわないかという不安と、実は心の中でちょっと言ってもらいたいような期待とでどきどきしていた。

「ヒロトさんは彼女いるんですか?」

真弓さんが僕に聞いてきた。

「こいつ彼女いないけど今、好きな子がいるんだよ。なっヒロト!」

横山さんはジョッキのビールを飲み干し言った。

動揺を隠しきれずうつむいた僕に真弓さんはちょっぴり大人の顔をして言った

「そうなんだ。恋してるんだね?いいよね。恋って!」

「その恋のお相手が目の前のあなたです。」なんて言えるはずもなく、話の流れ的におかしくない状況である事に気づき、一番聞きたかった事を僕は真弓さんに聞いた。

「ま・真弓さんは彼氏いるんですか?」

顔が赤いのはお酒のせいという事でごまかせるし、居酒屋というものは実に恋のフィールドにぴったりだ。

「私?彼氏いないよ。冬は彼氏がいないと芯まで冷え込むよね!」

明るくみんなに同意を求める真弓さんにみんなうなずいていた。

今までおそらくダメだろうと思っていた僕は俄然ファイトが沸いてきた。

ほんの少しの勇気をだせば・・しかしほんの少しの勇気がほんの少しではないのが恋なんだ。ほんの少しの勇気に一生懸命になれる若さがその頃の僕にはあったのに。

諦めなければ報われる。報われない時は諦めたからだ。今の僕ならそう思えるんだ。

第六章

日曜日は朝からバイトに入る為、よほど忙しくない限り夕方5時にはあがれるのだ。

「ヒロトさん、代わりますよ。あがってください。」

悦生が僕と交代するためにやってきた。

「おう。それじゃ後たのむな。へまするなよ。」

「まかしといてくださいよ。僕ももう一人前ですよ。」

悦生と交代した僕は更衣室で着替え、帰ろうとした時、横山さんに呼び止められた。

「ヒロト、今日暇か?俺もあがりだから飯食いに行こうぜ。おごるからさ。」

「マジっすか!行きます。外で待ってますよ。どこ連れてってくれるんですか?」

「いつものとこ。」横山さんは向かいのファーストフード店を指差した。

「今日は三井さん出勤してるだろうか?」若干緊張してそんなこと考えているところに横山さんが着替えて出てきた。

「おまたせ。それじゃ行こうか。」横山さんはポケットに手を突っ込んだまま歩き出した。

「いらしゃいませ。」

カウンターには三井さんが立っていてオーダーをしているお客さんはいなかった。

僕の心臓は今にも飛び出しそうだ。2人に気取られないよう冷静を装いカウンターまで歩いていった。

「今日はお二人ですか?」

「うん。後で店長とかほかのメンバーも来ると思うよ。」

三井さんと横山さんがカウンターで挨拶をしていた。

「・・えっ!・・なんで・・」

状況がまったく理解できずパニックになっていた僕を横山さんが三井さんに紹介しだした。

「こいつヒロト。バイトの後輩なんだけど知ってる?」

「はい。よく来ていただいているので。三井ですよろしく。」

「あっ、よっよろしくお願いします!ヒっヒロトです。」

僕は絵に描いたように動揺していた。真っ赤な顔をしてうつむいている僕に三井さんは優しく微笑んでいた。

「こちらでお召し上がりですか?」

「うん。ヒロトお前何にする?」

咄嗟に三井さんからメニューに視線を移した僕は何にしようか考えるフリをした。いつものメニューが視界に全く映っていない。

「・・コレで・・」その一言だけが精いっぱいの自分が情けない。

横山さんのオーダーも終わり「残りの商品はお席までお持ちしますね。」と、ドリンクとポテトをのせたトレーを僕に手渡してくれた。そのぎこちなさはまるで卒業式に卒業証書をもらう小学生のようだ。

「お前ほんと面白いやつだな。」

横山さんは席につく前にトレーからポテトを一本取り、笑いながら僕に言った。

「いや、横山さん。彼女と、三井さんと知り合いなんですか?」

僕は席につくや否や横山さんに小さな声で尋ねた。

「まぁね。知り合いって言ってもそこまで仲良くないけど。いやこの前、悟から聞いたよ。三井さんに惚れてんだろ。お前相談する相手間違ってるぜ。こう見えても俺は恋のマジシャンって呼ばれてるぐらいだからな。」

(・・・恋のマジシャンって・・・なんだか何もかも消されそうな・・そしてなんだかダサい・・)

一抹の不安を覚えながらも、ここは横山さんに頼るしかなさそうだ。僕は三井さんの下の名前を横山さんに聞こうとした時、ちょうど

「お待たせしました。ご注文は以上でおそろいですか?」

と三井さんが残りの商品を僕らの席に持ってきてくれた。

「今日何時まで仕事?終わったら飲みに行こうよ。」

横山さんの大胆さや行動力に憧れていた僕もこの時ばかりは横山さんの発言に唖然とした。そして僕はゆっくりと三井さんをこわごわと見上げた。

6時すぎにはあがれると思います。斉藤さんも誘ってもいいですか?」

ちょっとだけ悩んだ様子の三井さんが笑顔で言った。

「いいよ。じゃあここで待ってるし終わったら声かけてよ。」

「はい。それではごゆっくり。」

三井さんは笑顔でカウンターに戻っていった。

「飲みに行くんですか?」

困惑した表情で僕は横山さんに言った。

「仲良くなりたいんだったら飲みに行くのが一番だろ。俺がおごってやるからさ。」

ハンバーガーの包み紙を開けながら横山さんが言った。

「僕、未成年だし・・いや別に未成年だからお酒が飲めないって言ってるわけじゃないんですけど、三井さんなんだかまじめそうだし不良と思われても・・」

「いやいや、もう十分不良だろ。単車乗ってて茶髪だし。大体そういう見せかけだけ繕ってもすぐだめになるんだって。男はここよ、ここ。」

握りこぶしで胸を2,3度叩きながら薄笑いを浮かべた。

「三井さんのしたの名前なんていうか知ってますか?彼氏っているんですか」

ドリンクを一口飲んで一呼吸置いた僕はずっと気になっていた事を横山さんに尋ねた。

「真弓チャン。三井真弓。彼氏がいるかどうかはお前が後で聞けよ。えーと確か俺の1コ上だから20歳か。お前の3つ上だろ?」

「真弓・・真弓さん・・か ハタチ・・3つ上・・」

20歳と聞いた僕は予想はしていたがやはりちょっとショックだった。20歳といえば高校生の僕には、かなり大人のイメージがあり相手にされないんじゃないかという不安と、もう少しで一緒に飲みに行ける期待とでなんだか複雑な心境だった。

横山さんは平然とハンバーガーに齧りついている。

その姿は小学生の時に見ていた高校球児のように遥か遠い大人のように見えた。

「お待たせしました。どこに飲みに行くんですか?」

真弓さんと、友達で同じ職場の斉藤さんが私服に着替えやってきた。

僕は真弓さんが持つブランドの鞄を見てなんだか少し怖気づいた。

そのまま横山さんを中心に会話をしながら居酒屋へと向かった。一番後ろでおとなしく歩いている僕を気遣う真弓さんのほんのり香る香水の匂いが僕の脳を刺激し続けていた。

このとき僕は恋に、人を好きになることに年の差なんて関係ないという事を、心のどこかできれいごとのように思っていたのかもしれない。

恋に、人を好きになることに年の差なんて関係ないんだ。