枕草子は平安時代に書かれた隋筆です。筆者の清少納言は一条天皇の女御 (にょうご) の藤原定子に仕えていた女房(身の回りのお世話をする住み込みの女中)でした。頭脳明晰で文才豊かな女房が傍にいることは女御にとっては「女御としての格が上がる」為の必須アイテムのような感じでした。

 漢字を使いやすいように崩して、ひらがなを発明したのは、宮中に勤めていた女房だと言われています。このことから、ひらがなや歌が当時の女性にとって重い意味を持っていたことがわかります。紙は手に入りにくく、手に入ったら物語を書き写して回し読みするのが流行していました。藤原彰子は、煌びやかな平安時代において最も栄耀栄華を極めた藤原道長の長女であり、同じ一条天皇に仕える藤原定子とはライバル関係です。下図を見ると分かるように、一条天皇と彰子と定子は、同じ藤原兼家の孫で従兄弟同士です。

 

 

 彰子の女房としては源氏物語の作者だと言われている紫式部、歌人の和泉式部、歌人の赤染衛門が仕えていました。定子と比べて、どうしても華やかさで劣っていた、彰子を盛り立てるために書いた物語が「源氏物語」だと言われています。

 同じ一条天皇の女御とその女房でも「明るく華やかな定子と清少納言」と「地味な彰子と紫式部」と言う図式がありました。定子は清少納言のセンスをうまく引き出す能力に長けていました。頭の回転が速く機転の利く清少納言と二十歳そこそこの若さで女房の個性と長所を伸ばし、本人もからっと明るい人柄だった定子は黄金コンビだったと言えるでしょう。

 清少納言の美意識と言葉の使い方のセンスは突き抜けていて、現代でも右に出る文筆家は出てきていません。定子と清少納言とは「あ・うん」の呼吸の仲だったとする文献が残っています。定子が目配せをしただけで、清少納言は気の利いた振る舞いや粋な行動をとることが出来、仕えている主人の定子に華を持たせる理想的な女房だったようです。まさに藤原定子と清少納言は日本の歴史上における「名コンビ」です。

 

 

  アメリカで最も有名な日本人の一人に「レディ・ムラサキ」がいます。そうです、あの「紫式部」です。私は友人によく「あんな恋愛ばかりを描いた小説のいったいどこがいいのか? 作者はいったい何がいいたいのか? 」と聞かれます。

・若くして亡くなった生母の面影に似た女性探しの旅の物語と答えた方  → 惜しい! 級で言えば六級です。

・不可能とは気が付かずに探求し続けることの空しさ、哀しさや、もののあわれを謳っている  → 一般的な認識です。級で言えば三級です。

・わがままな元皇子(みこ)さまの無い物ねだり → 正解です。素晴らしい知識ですね。栄枯衰退を謳っている等他説ありますが、この説がスタンダードのようです。現代文学も良いですが、古典にも素晴らしい文学が沢山ありますね。日本人の原点ここにありと言う感じです。

 

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