ある大学で行われるキャリアデザインの授業について、提案を出させていただきました。
昨今、大学においては、キャリアデザインを始め、
個々のキャリア、進路を適切に選び取っていくための授業がさかんに行われています。
私達キャリアコンサルタントは、
まさにこれから仕事に就こうとする方を助けるためにいるわけで、
これはぜひやらせていただきたい仕事です。
もし承ることができたならば、全力でいい授業をしようと思います。
このことで先日、あることに気づかされました。
それは、「キャリアデザインってどんな授業なの?」と何人かの学生に聴いてみたという方との話しでした。
「就職相談?みたいなもの」
「まあ出席してたら単位くれるから、とりあえず出てるけど、なんてことない」
といった意見ばかりで、この授業が就職にすごく役に立ったとか、
自分の進路を決めるのに影響があったという意見は無かったという話でした。
確かにこういう授業が、学生達の何の役に立っているか?
とシビアに見てみると、なかなか厳しいものがあります。
私は、そこで
「それはそうかもしれないけど、10年経ったら
”ああ、そういうことだったんだな”と気づいてくれるかもしれない。
私はそのためにやる」と言いましたが、
「それは無いだろう」と。
だから「キャリアデザインなんてやらなくていい」という話ではありません。
むしろ、やるべきだ、という立場での意見で、敢えてのNOでした。
つまり、いまの学生が、この授業で何らかの学びを得て、それを活かして社会人になっていく、
という綺麗な流れが作れるわけではない。
いまの世の中はそれほど単純に流れるわけではない。
例えば、働き方改革にしても、結局現場は困っているところが多いし、
「あんなことお役所が旗を掲げてやり始めたものだから、残業ができなくなって、でも〆切は迫ってくるし、
家に持って帰ってやったりして、楽になるどころか逆効果だ」なんていう現場もあると思います。
安全基準が危うくなるところや、値上げしないとやっていけなくなるところもある。
だからといって、働き方改革の考え方が、全く意味のないものとは思えません。
ただ残業を減らそうというのではなく、
やがて来る労働力不足に対する策として
「効率のいい仕事の仕方を是としていかないと、
このまま労働集約型の”たくさん働いたものがたくさん見返りを得る”という単純な計算でやっていては破綻する」
と見越した上で、多少の無理は承知で旗を挙げているのです。
でも、いますぐに結果を求めようとすると、必ずひずみが出る。
そういうことからも推して、
大学生に対するキャリアデザインの授業というのは、
いずれ彼らが社会に出て、社会の仕組みを司る立場に立ったときに、何を是として考えるのか。
そのときになって、やっと、いまの若者がやってきたこと、
彼らにとっては何のためにやらされてるのかわからなかったこと
(中学の職場体験、高校のインターンシップなんかも含めて)が実を結ぶかもしれない。
今の学生の一人ひとりがどうの、ということを問題にするよりも、
まずは、この先の少子高齢化社会において、
変えていかざるを得ない様々な考え方や仕組みに寄与することの一端として、
粛々とやっていくことだろう。
という話です。
そして、
「君らのようなキャリアコンサルタントが、今回のような授業を大事に思うのは当然だと思う。
でもその授業のひとつ一つにあまりにも入れ込み過ぎると大勢を見失う。
もっと大所高所に立ってものごとを見ていかないと、いかんのじゃないか?」
と意見をもらいました。
話の中には厳しい言葉もありましたが、
お前らの自己満足で終わらせてしまうな、
もっと何十年も先の世界の行く末に目を向ける視点を持て、と、
むしろ大きな課題をいただいたような気がしました。
ともすると、私達は近視眼的になりがちな自分の背筋をもっとしゃんと伸ばして
仕事をしていこうと、そう思わせてくれた話でした。