「死をもっとポップに」

正直に言うと、この言葉に少し引っかかりを感じていました。
死がポップ?そんな簡単に扱っていいものなのか、と。

でも同時に、どこかで気になっていたのも事実です。

父を亡くしてからまだ日が浅く、
私の中には「死」に対する重たさと、言葉にできない感情がずっと残っていました。

少しずつ受け入れてきている感覚はある。
でも、「わかった」とは到底言えない。

そんな状態で、渋谷ヒカリエで開催されていた「Deathフェス」に足を運びました。

 

 

目的はひとつ。
有料セッション
「がん×死 ことばに出来なかった思いを話そう」

自分の中にある“言葉にならないもの”に、
少しでも触れられるのではないかと思ったからです。

 

会場に入ると、まず共有されたのは
「ここで話したことは、この場限りに」
という約束。

心理的安全性を大切にする空間。

3人1組のグループになり、自己紹介。
名前と、その由来。
そして「最近嫌だったこと」。

私は少し迷いながら、こう言いました。

「出来上がったコミュニティに、一人で入っていくのが苦手なんです」

この時点で、少しだけ心がほどけた気がしました。

 

第一セッションは「告知の場面」。

“余命を告げられた時にどう感じましたか?”

父の余命宣告を聞いた瞬間を思い出す。

父の命の終わりは実感が伴わず、なぜか自分の命に終わりがあることを突き付けられた。


「人は必ず死ぬ」

頭ではわかっている当たり前のことが、
“自分のこと”として突きつけられる瞬間。

残された時間が、突然「有限」になる。

このテーマは、やはり重かった。
でも、誰も軽く流す人はいませんでした。

 

第二セッションは
「病から学んだことや出会った縁」。

ここでは、不思議と温かい空気が流れました。

家族との関係が変わった話。
普段言えなかった言葉を伝えられた話。

“失うこと”の中に、
確かに“得ているもの”がある。

そんな矛盾のような現実。

 

第三セッションは
「生きるって何?いのちって何?」

これは…正直、答えは出ませんでした。

言葉にしようとすると、
どれもどこか違う。

でも、だからこそ、
みんなが必死に考えている時間そのものが
印象に残りました。

 

最後の全体意見交換。

ここで朗読された詩が、
強く心に残っています。

善心寺 金子真介さんの「ろうそくの詩」。

人間のいのちは
一本のろうそくに
火をつけたようなものである。
燃えながら
照らしながら
刻々刻々と減ってゆく。

減ってゆくいのちを
減らぬようにすることは
誰にもできない。

ただ
どこをどのように照らしてゆくか
これだけが人間に与えられた
たったひとつの
自由である。

 

この詩を聞いたとき、
父のことを思い出しました。

父の命も、確かに減っていった。
それを止めることはできなかった。

でも、父は最期まで、
家族を照らしていたのかもしれない。

そう思った瞬間、
少しだけ、胸の奥が静かになりました。

 

このイベント全体を通して感じたのは、

「死について考える場」なのに、
実際にやっていることは
“生を見つめ直すこと”だった、ということです。

グループワークを通して、
普段見落としていた自分の「生」が浮かび上がる。

そうすると、
不思議と「死」が少し小さく感じられる。

おそらく、それがこのプログラムの狙いだったのだと思います。

 

ただし、
「生きるって何?」の答えは出ませんでした。

そして、
たぶんこれからも出ないのだと思います。

でも、今はこう思っています。

答えが出ないからこそ、
考え続ける価値があるのではないか、と。

 

50代後半になって、
時間が有限であることは、よりリアルに感じるようになりました。

やりたいこともある。
でも、全部はできない。

だからこそ、
「どこをどう照らすか」

この問いが、残っています。

 

もし、今
「このままでいいのかな」
と感じている方がいたら。

大きな答えじゃなくてもいいと思うんです。

ほんの少し、
自分の時間の使い方を見直してみる。

誰かに会う。
学んでみる。
話してみる。

そんな小さな一歩が、
“照らす場所”を変えていくのかもしれません。

 

あなたは、これから
どこを、どのように照らしていきますか?

よかったら、コメントで教えてください。



最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

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