ぶらヒロミin四国〜愛媛・宇和島 高知・足摺〜 | 【余計なお世話ですが】主婦力プロデューサーのブログ

【余計なお世話ですが】主婦力プロデューサーのブログ

主婦力プロデューサーとして、企業に主婦の力を認めてもらうべく日々奮闘しています。主婦がイキイキできる世の中は、きっとみんながイキイキできる世の中。ワークライフバランスのとれた笑顔あふれる世界を一緒に作りましょう♪


大洲から小1時間で、今度は宇和島城。
こちらは、江戸時代の天守がそのまま残っている現存12城のうちのひとつ。すごいね。

建てたのは築城の名手、藤堂高虎。
幕藩体制整ってからは伊達家。
伊達家といえば仙台藩。仙台藩から伝わった言葉もあるみたいで面白い。
(こんにゃくを千切りにした「ふくめん」という宇和島の料理。仙台藩の方言で千切りを「ふくめ」というそう)
 

大洲城は川沿いだったけど、こちらは海が見える。
リアス式海岸の入り組んだ入江。


 
ここからは足摺岬へ移動。
途中の四万十川には「沈下橋」があちこちに。



柵が何もないので車は怖くないかなぁ。


澄み切った四万十川。



足摺岬の手前には、空海が開いたお寺金剛福寺。
↓高野山にあった塔とそっくり。
 


そして足摺岬の展望台からの景色。
やっぱり太平洋は広い!


灯台までの道はヤブ椿の林で、昔冬に来た時は椿の花が満開でキレイだった。


島影が何にもないので、ますます広く見えるね。
日本海とはそこが違う感じ。
  
そしてここで意外にも面白かったのが、ジョン万次郎資料館。


ジョン万次郎って、知っているようでよく知らない。
ここ足摺の出身なんだそう。
漁船が流され、黒潮に乗ってたどり着いたのが伊豆諸島の無人島の鳥島。
ここで半年ほど過ごして餓死寸前の頃、アメリカの捕鯨船に拾われた。
ちなみに漁船には5人いたんだとか。
万次郎以外の4人はハワイに降ろされたそう。そしてハワイには他にも日本人が。
実はこれまでにも何人も流されてるんだね。

そしてなぜか万次郎だけアメリカまで連れていかれたそう。
一番若くて役に立ちそうだったのかな。
当時の捕鯨船は世界中から乗組員が乗ってた&キツイ職場で逃げ出す人も多かったそうだから、労働力として欲しかったのかも。
 
この船長がいい人だったのも幸運だった。
アメリカは当時人種差別がひどい時代。黒人奴隷とか。
ところがこの船長の出身地は珍しく平等思想の土地柄だったから、万次郎はここで船長の養子になって学校まで通わせてもらってるんだよね。ホント運がいい。
  
8年ほど過ごした後、帰国するための資金を稼ぐのにゴールドラッシュに出向いたとか、知らなかったなー。
帰国してもなかなか帰郷はできず、やっと実家に帰れたのは11年後。
14歳の息子が25歳になって目の前に現れたら、母親はそりゃ驚いたよね。
 
その後の活躍は何となく知ってるけど、それまでの経緯は今回初めて知って面白かった!


さて、この後はいよいよ土佐高知市内へ。