blogを書けと言われたので「月読命」の話。

 

 五月初回のBlogは〈月読命〉の話です。

 月読命さんに関して、これまで何度かちょいちょい書いてます。

 が、また一応書いちゃう。

 

 月読命(ツクヨミノミコト)は月・夜の神様として知られています。

 古事記では月読命ですが、日本書紀では月夜見尊でツクヨミノミコトになります(または月弓尊。月神というシンプルなものも)。月に夜、或いは弓の文字がまさに月夜や月の満ち欠けを表しているような気が致します。

 ただ、大事なのはツクヨミという音でしょう。と言いつつ、伊勢神宮、月読神社では〈ツキヨミ〉だとか。そもそも読と夜は同じヨでも、古代日本だと発音自体が違うようです。用いる文字ごとに発音が違うパターンがある訳ですね。古代日本の発音は現代よりずっと多かった。もしかすると口から放たれる言葉、会話がもっと音楽的な響きだった可能性もあるんじゃないかなぁ。

 

 また用いる文字による神の性質違いも表現されます。

〈月読は暦を読む〉で〈月夜見は暗い夜を照らす〉とか。だからこそ、それぞれが別の神格であったとも言われるんですね。

 

 だいたいねー、月読命そのものが謎だらけの神様でもあります。

 特に古事記ではあまりエピソードが語られません。日本書紀では穀物の始まりなどで登場するのですが……。

 

 もう少し月読命について書いてみます。

 

 

 

 古事記では。

 

 古事記での登場シーンは、お生まれになったところくらいです。

 伊邪那岐大神が黄泉国から戻ってきて禊をしたとき、右目を濯ぐと出現します。

 ※左目は天照大御神、鼻は建速須佐之男命

 

 その後「夜の食国(ヨルノオスクニ)を治めよ」と父神・伊邪那岐大神に命じられます。

 要するに夜の世界を治めよ=昼と夜の境目を決めよ、でありつつ、やはりそこに暦が関係するのだと思われます。

 その後、古事記には月読命は登場しません。

 

 この辺り、三柱で纏まる神々の〈真ん中の神〉は余り記述されないパターンなのでしょうね。例えば、天照大御神と建速須佐之男命はいろいろな場面で顔を合わせたり、出来事に関係したりしてきますが、月読命は特に絡まない。他にも似たことが多々ありますから、古代は神々に関してある種のルールがあるってことではないでしょうか。

 

 ただ、どうも世の中では月読命は夜の支配者且つ、不死、再生、死を司るイメージで語られることも度々あります。この辺りは海外の神話にも似たことがありますが。

 

 

 

 変若水。

 

 

 変若水――おちみず。

 飲めば寿命が延びる、若返る水。

 月の不老不死信仰に関係するため、月読命にも係わる水です。

 変若水と月読命に関して、万葉集に〈月夜見〉の表記で記されています。

 

 月の満ち欠け=死と再生、というイメージからでしょうか?

 どちらにせよ、月読命の神威の一端を表すエピソードです。

 もちろん「月光を浴びせさせた水は特別な水になる」みたいな話も伝え聞きます。月の満ち欠け、月光の神秘さから出てきたパターンでしょうね。

 

 んで、若落水には〈汲み方の作法〉が御座います。

 正式にやるには結構手間が掛かる!

 簡略化した場合でも、なかなかの条件付けがありますから、意外と難しい。

 

 個人的には、良い湧き水なんかサクッと汲んで「変若水だよね!」って飲んじゃうのがいいかもー、と思います。なんせ美味しい。そして気分が爽快になります。

 そんでね。禊には流れる水流を使いますよね。あと神社さんでは手水で口と手を清めます。水そのものに禊の力があるからこそじゃないかなぁ。そんな禊パワーを飲むとイメージしながら水を口にすればいいと思うのです。

 

 

 

 

 月読神社。

 

 月の再生力にあやかりたい!

 と言う声も聞かれそうですが、月読命を主に祀る神社さんは少ないです。

 大体が月読神社になっています。

 この月読神社があるのは千葉県、茨城県、神奈川県、埼玉県、愛知県、京都府、福岡県、壱岐島、そして鹿児島県くらい。

 

 鹿児島の場合、桜島にあります。

 桜島は錦江湾という湾内に美しい姿で浮かぶ、活火山の島です。

 うん? 鹿児島?

 もしや、隼人族と月信仰の関係? 南九州には今も月信仰が行事として残っているくらいですから、月読神社があっても不思議じゃない。あ、あった! と思いましたが、創建年などを考えるとちょっと違うような気がします。更に、元々の祭神などを調べていくと、ちょっと複雑な事情が垣間見えてきます。物部氏(守屋)関連や、厳島神社関連が出てくるんです。あと宗像三姉妹。そして鹿児島に元々伝わる伝承や神話を足していくと、桜島の月読神社とは? と。桜島の名前のみでも謎が多い場所ですもの。

 そこに考古学的見地なんて足したら、本一冊書けてしまう。

 てかこういう本も沢山書きたいけれどね! どこかで書かせてくれる嬉しいんだけどなあ。ほら、取材でいろんなところ、行くじゃないですか。「どういうこと!?」って疑問が出たら調べちゃいますからね。書きたいなぁ。書かせてよう、という願望。

 

「じゃあ、鹿児島県の桜島にある月読神社は月読命がいらっしゃらないの? 過去にいらっしゃった神様を拝まなくちゃいけないの?」って疑問を抱いた方も多いかと存じます。

 正直に言いますと「過去のお祀りしていた神様としてでも、或いは現状お祀りしている神様の神威としてでも、どちらの気持ちでお詣りしても問題なしです」。どちらの神様もいらっしゃると思います。個人的な考えですが。

 この辺り、神様は寛容というかそこまで細かくないというか。大事なのは敬意であります。敬い、素直にご挨拶することが肝要ですから。

 ですので、桜島でもきちんと月読命へご挨拶が出来ると思います。

 

 

 

 

 月読命の御利益。

 

 

 単純に考えると、月の再生力でしょうか。

 あと縁結びや安産祈願、他、穢れ祓いなど。多分、月読神社さんを訪ねたら、それぞれの御利益に関して明記されているはずです。

 

 また、右目からお生まれになったので、眼の神様とも。

 そして「月=ツキ」でツキを呼び込むぜ! ってのもあります。おお。

 

 ぶっちゃけてしまうと、祈願する側の心持ちで御利益は変わるんじゃないかなーと。

 それに……うーん、何と言って良いのか。

 訪ねた神社さんの空気感を楽しんだほうが良いかも知れない。ライブ感?

 わたくしは神社さんへ行くとまずのんびりします。

 よいとこ来たなぁと思いつつ拝殿でご挨拶してからは、もう興味が赴くままに周辺散策をしまくりですよ。気がつくとあっという間に時間が過ぎてますもの。

 もちろん「これは○○造りで」とか「○○時代に成立した」とかそういった知識を持った視点があればよい面もあります。でもどっちかというと「自分がどう感じたか、どう心地よかったか」という点を重視して神域に遊ぶ(敢えてこういう言葉にします)方もお勧めしたいのですよ。

 なんせ、神社さんの空気の中にいるだけで、気持ちよいですからね。

 こういうことも神社さん、所謂神域の〈御利益〉のひとつかもしんない。

 

 これから季節も変わります。

 神社さんへ出かけてノンビリ過ごしては如何でしょうか?

 季節の花とか結構植わってますしね、神社さん。

 時々、ナイスタイミングな出会いや出来事に出くわせることも御座いますよ。

 なので神社さんへお出かけするのをお勧めします。

 かしこ。