Blogを書けと言われたので「オノゴロ島」の話。
blogを書けと言われたので「オノゴロ島」の話です。
最近頻度が下がっている、古事記関連になります。よしなに。
オノゴロ島とは。
オノゴロ島とは一体何か、と申せば「日本で一番最初に生まれた地」でしょうか。
古事記では淤能碁呂島と書きます。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が国産みで真っ先に産み出し、最初に降り立った地になります。
淤能碁呂島に降りた二柱の神は〈天の御柱(あめのみはしら)〉と〈八尋殿(やひろどの)〉を建てた後、天の御柱を〈伊邪那岐命は左回りに、伊邪那美命は右回りに回って、〉婚姻を結びます。ここでいう婚姻は〈まぐわひ〉。要するに男女の契りです。
が、手順を誤り、水蛭子(ひるこ)をお産みになりました。
水蛭子は足腰の立たない子であったため、足の船に乗せて海へ流します。
Tips!:水蛭子が産まれる場面、古事記原文では「生子 水蛭子 此子者 入葦船而 流去」の記述になっている。〈産まれた子は水蛭子であり、この子を葦船に乗せ、流した〉程度の内容に過ぎない。足腰が立たないから海に流した、は他のところから持ってきた説である。とは言え、最初に生成した島であるのだから、流す先は海であろうことは想像に難くない。またこの水蛭子であるが、蛭の文字から血を吸うヒルのように骨がなくぐにゃぐにゃした存在を表した名、という説がある。同時にヒルコ=昼子・日の子であり、太陽神だという論考も存在する。海の彼方に向けて日の子を流す意味を考えてみると、東の海から昇る太陽への太陽信仰、或いはニライカナイ信仰に繋がる神話という想像が浮かぶ。因みに、古代語でヒルムは足腰が立たないを意味するとも。また沖縄では足腰が立たないことをビルと表す。沖縄は日本の古語が原型で残っていることがある。ヒルム。ビル。もしかすると水蛭子の名の成立に深い関係があるのかも知れない。
水蛭子の次にお産まれになったのは「淡島」です。
これは現・兵庫県淡路島と言われています。
さて。ここでの婚姻での誤った手順とは、伊邪那美命から声を掛けたこと。
ではもう一度、と今度は伊邪那岐命から声を掛けて、次にお産みになったのが大八島(他の日本の島々)になるのです。
淤能碁呂島は何処?
古事記/神話ですから、淤能碁呂島は実在しない、とすることもあります。
が、同時に「現実にあるなら、ここが淤能碁呂島ではないか?」と幾つか候補地もあるのです。それも結構な数があります。
和歌山県の友ヶ島。
兵庫県淡路島近くの沼島。
同じく、絵島。
福岡は博多湾の能古島。
他にも色々ありますが、これらは興味深い論考だと想います。
更に淡島=淡路島を淤能碁呂島とする説もあるのです。
凄く前、何かでこの〈淡路島が淤能碁呂島説〉を目にした記憶があります。
なんとなーくですが、淡路島が淤能碁呂島説を推したい感じ。
と言いつつ、もうひとつ「ここかも」って島はあります(後述)。
ふと考えた。
淤能碁呂島候補のひとつに〈沼島〉がある、と書きました。
ここは〈島の形が勾玉に似ている〉とあるんですよね。
沼島の「ぬ」はアメノヌボコの「ぬ」であり、更に言えば玉、魂、霊(チ)に通じるとか。
だから沼島は玉島であるという説もあるようです。
沼島が勾玉形だと確認するためにマップで調べたとき、ふと淡路島が目に入りました。
淡路島も勾玉に似ている形状をしている、ような、しないような。
だとすれば、沼島は淡路島に形状が似ている、ってことになる?
いや、完全に一致はしないんですけどね。元の形状が違いますし、180度反転して上下逆させても、太く丸まった方と細い方が逆になりますし。
ただ、これはこれで並んだ大小二個の勾玉と見えなくもない。
一対の勾玉……何となく、神話によくある組み合わせ〈夫婦神・兄妹神・男女神〉の関係を想起させます。二柱の神が並んでいる、みたいな。
残念なのは、巴になっていないことくらいでしょうか。
あ。水蛭子と淡島も二柱の神と捉えることができますね。
同じ時にお産まれになっていますから。
もしこの二柱の神が一組であると仮定するなら、淤能碁呂島に降り立った伊邪那岐命、伊邪那美命が日の子・水蛭子と淡島の二柱の神をお産みになった。
そして片方は東に海へ旅立ち、太陽神となった。
もう片方は、太陽神をお迎えする島となって残った。
しかし、後に産まれた大八島により、水蛭子と淡島は隔てられる。
……壮大な神話が産まれそうな展開です。
ただ、古事記に「淤能碁呂島は勾玉の形であった」という記述はありません。
原文では〈引上時 自其矛末 垂落之鹽 累積成嶋 淤能碁呂嶋「(アメノヌボコを)引き上げたとき、その矛先から垂れた塩が積もって出来た島。それが淤能碁呂島」〉です。
また、淤能碁呂島/オノゴロの四文字は、音に漢字を当てはめたものになります。
入れ替わりは起きたか?
また、本来の淤能碁呂島が淡路島で、淡島が沼島だと仮定してみます。
想像の翼を広げると、淡島は淤能碁呂島に似た姿でお産まれになったのではないか、という妄想も生まれます。
淤能碁呂島より小さい姿を〈淡い〉と表現した、なんて。
そして時代が下って行くにつれて、淤能碁呂島と淡島が逆転して捉えられるようになった。淤能碁呂島は淡島=淡路島となり、沼島が淤能碁呂島島に。そう入れ替わった――。
そう言えば、淤能碁呂島へ降りた伊邪那岐命・伊邪那美命が建てたのは〈天の御柱〉と〈八尋殿〉です。
天の御柱は、二柱の神がグルリと回って出会う〈まぐわひ、婚姻〉の儀式を行った場所。
この柱は出発点から左右に歩き出した後、お互いの姿が直接見えなくなる程度には太い。更に言えば、ある程度の高さもあったはずです。
また八尋殿とは、大きな建物を表します。
そう。神々に纏わる柱/建造物は、兎に角大きいことが多いですから。例えば、古代の出雲大社(ビル15階の高さ)などを思い浮かべて下さい。
人の手で建てた社ですら、この巨大さ。では神々が建てた建造物はどうなるのでしょう。
そんな天の御柱と八尋殿のような巨大な建造物が建っていた場所と考えると……。
さて、日本の始まり・淤能碁呂島島は何処なのでしょうか?
淤能碁呂島島に祀られる神。
まず、淤能碁呂島候補のひとつ、沼島の「自凝神社」。
創建年不明で、伊邪那岐命が祀られています。
この自凝は「おのごろ」と呼び、自ずから凝固したことを表すようです。淤能碁呂島のオノゴロでもあります。
近くの海中に「上立神岩(かみたてがみいわ)と呼ばれる巨石が屹立しており、これぞ伊邪那岐命、伊邪那美命が結婚した天の御柱である、と伝えられています。
そう言えば鹿児島県にも立神岩という似た形状の岩が存在していますね。
天の御柱とはされていませんが、こちらも信仰の対象になっています(立神岩関連などに関しては、別件でいろいろ調べたことがありますが、それはまた別の話)。
もうひとつの候補、淡路島には「自凝島神社」があります。
創建年は分かりませんが、伊邪那岐命が祀られており〈国産みの聖地〉とされています。古くから「おのごろ島」として崇敬されていたようです。
伊邪那岐命、伊邪那美命の神々に〈まぐわひ〉を教授したセキレイに纏わる石や、天の橋立関連の石が残っています。
因みにセキレイ石は茨城県つくば市にもあるぞ!
どちらも国産み神話+オノゴロの名称と関係深い神社さんです。
淤能碁呂島を想う。
淤能碁呂島は何処なんだろう。
日本の神話の成り立ちを考えつつ、妄想していくととても楽しいものです。
伊邪那岐命、伊邪那美命が初めて降り立った日本の地で、とても大切な場所に違いありませんから。
ところで、博多湾の能古島。
ここも淤能碁呂島説があると書きました。
能古島、のこのしま、敬称の御をつけて、おのこのしま。古代は「の」が「ろ」になる。だから、おのころしま。オノコロシマ。淤能碁呂島、という理由です。
島の形状は、勾玉に似ている気がします。
いや、ほら、島って大体こんな形ですけれど! 沼島にも似ているし!
でも、なんか気になるんですよね。
ま、形は無関係としても、大切なのは名前の音です。
先ほども書きましたが、淤能碁呂島のオノゴロは音に漢字を当てはめたものです。
また、能古島が淤能碁呂島になった理由は、その名からでした。
ノコノシマ。御をつけて、御能古島。オノコノシマ。更に古代はノがロであったから、オノコロシマ。オノゴロシマ。淤能碁呂島! って話でしたよね?
っていうか、ノがロなら全部をロにしてみないと。
で、オロコロシマ。
あれ、ちょいまち。
古事記だと〈海の中で矛をコオロコオロ(許袁呂 許袁呂 こをろ こをろ)に掻き回して〉淤能碁呂島が出来ます。
コオロコオロ……シマ?
そして能古島の能古の漢字表記は時期で変わっているようです。コレも多分淤能碁呂島の漢字表記と同じ理由で、音に当てはめたものなのでしょう。
改めて書くと「ノコノシマ」は「ロコロシマ」。敬称でオをつけて「オロコロシマ」。
やはりオノゴロに近くなりますね。
また、能古島には白っぽい(!)花崗岩があるとか。
それに周りが海ですからね。塩田での塩作りが確立するまでは別の方法だったのでしょうけれど(万葉時代には塩田での塩作りへ移行しています)、塩作りも盛んだったのではないでしょうか。
古代、近隣に住む人間にとって〈能古島は塩の島〉という印象が多少はあったのかも知れません。それが地域の神話に組み込まれた可能性はあります。
塩が堆積して出来た淤能碁呂島。そして塩の島・能古島。そもそも……。おっと、ここまでにしましょう。
淤能碁呂島への空想を巡らし、想いながらひとまず締め。