blogを書けと言われたので「新たなる未来」の話。
blogを書けと言われたので「新たなる未来」の話。
新たなる未来、とはゼノブレイド3の追加コンテンツのことです。
ゼノブレイド3本編の前日譚にして、ゼノシリーズ全てに繋がる要素を持った、言わば総括的な側面も持ち合わせています。
タイトル通り、新たなる未来へ進むための重要な物語です。
あ。今回は画像なしにします。
何故なら、ネタバレ+クリア後の要素が入ってしまうからです。
うーん。この辺りは難しい問題。
ゲームとしての新たなる未来。
まず語らなくてはいけないのは、ゲームとしてどうだったのか。
個人的に言えば、ゼノブレイド3の延長線上にある操作感+改良されたUIにまず加点。
そしてストーリー構成はゼノファンへのサービスに加え、直近の3及び1と2の補完を多く含んだものになっているので、更に加点です。
ゼノシリーズを3しか遊んだことがないプレイヤーにとっては、少々「?」なポイントも多々あると思いますけれども。
とはいえ、ゼノシリーズが好きだからこそこの追加コンテンツまで遊ぶはずなので、その辺りは余り関係ないはず。
前述したようにゲームシステムやUI周りは更にブラッシュアップされていますが、当然3の前日譚なので、ウロボロス周辺はまだ完成していないという「ストーリーに絡めた」部分もキッチリ織り込んでいるのが流石。
終盤辺りになると「如何に効率よく敵を殲滅するかを思考する楽しさ」も加わってきますし、お楽しみのユニークモンスターチャレンジもあります。ひゅー、コイツはすげぇや。
また音楽の使い方が3より1寄りになっている気がしますし、新曲もグッドです。
ゼノシリーズは音楽も素晴らしいですから、これも加点要素でしょう。
全体的にゼノファンからすると120点以上パターンです。
ストーリーと音楽の話。
そう言えば、1と2に対して3は何だか評価が低いとか。
ゲーム(システム)として面白いが、ストーリーと音楽が……という意見ですね。
この評価に関する理由を考えてみたことがあります。
多分なのですが、1、2、3、はそれぞれ作風が違うからだと思うんですよね。
全てボーイミーツガール+重層的SFストーリーが根底に流れています(2のテーマは「ジュブナイル&ボーイミーツガール」。3は「命」となっています)。
ところがそれぞれの見せ方が変わっていると感じたのです。
1はブレイドシリーズの根幹で、基本的を作った1クールのSFドラマやアニメ。
2はシリーズを拡張した、2クールのSF冒険アニメ(実際の話数ではなく、感覚的に)。
3はシリーズが次の段階へ至った映画作品。
こんなイメージなんです。
特に、音楽の使い方という形で顕著に出ているような気がします。
ほら、3って多数の楽曲を惜しみなくシーン毎に使い分けてますでしょ?
それに劇伴の役割「場面、演出に色を添える」ことに徹しているからこそ、強い印象をあまり残さない、と言いますか。個別に聞くと、ああ、これは凄い音楽だな、と気付くタイプなのではないでしょうか。
3の音楽は、本編ストーリーと同じく「静かで重く、それでいて光を感じさせる」ものだと感じたのです。テーマが命ですからね……。
対する1と2は起承転結を思い切りハッキリさせることで、プレイヤーにカタルシスを与える作りになっていますから、劇伴もそういう楽曲になっています。
3にも起承転結はありますが、意図して大きな起伏を抑え、ところどころにプレイヤーにゆだねる隙間を設けているように見えました。劇伴もそういう使われ方だったように思います。
そこが3の評価が別れた理由なのかな。
凄く練り込まれたストーリーなのですが、簡単に飲み込めないところもありますからね。サブクエストやちょっとした情報を加味しつつ、味わうことになりますし。
逆に言えばそれくらいの密度と物量がある、ということではないでしょうか。
そして高橋ソーカントクならではのニーチェ哲学(アドラー心理学に影響与えたやつっすね)、グノーシス主義etc.に関して、サラッとさらっておくとより3が理解し易い、かも。主人公のノアの位置づけも「哲学者」のように、という話もありましたしね。当然1も2、ソーカントク作品全部そうなんでしょうけれども。物語の意味、意図、テーマに関してより深く味わえる……とかいいつつ、実はそんなもん知らなくったってきちんと作品の中で語られているんですよ。「さあ、これはこういうことですよ」と過剰なほど親切な見せ方ではなく、ごく自然な形で全編にわたり提示されています。もちろんソーカントク作品からニーチェなど興味を持ってもよいのです。そこから違う知識へ繋がっていくのもまた、一興。
あ。そんで様々な賛否両論の否に出てくる部分ですが、多分それは意図的に「そうされている」可能性もあるんですよね。何故ならオリジン含む3の世界が「そうさせている」ように思うからです。この辺りに関して、ソーカントクのインタビューとか読み込んでみるといいかも。
ていうか「理不尽さに対して、あなたたちはどうしますか?」「権威、権力、理不尽に対し、どうすればいいと思いますか?」なんてところまで踏み込んで考えたくなりますわね。
で、新たなる未来の音楽は1と2の中間的使い方です。新規楽曲も素晴らしいですしね。
またストーリーですが、少々駆け足気味なところがありました。特にナエルの描写かな。
これは仕方ないところがありまして……。
追加コンテンツですから、シリーズ本編のような長さにはできません(とは言え、寄り道なしで15時間くらい、寄り道少しして20時間のボリュームあり。私は寄り道しながら25時間くらい。でもサブクエストとかいろいろな部分を多く残してこれです。追加コンテンツの癖に恐ろしいボリュームです。それもシリーズ本編と同じく冗長さ一切なしで)。
恐ろしいのは、何処を切り取っても驚愕のシーン/情報が出てくることです。
ゼノシリーズファンは刮目せよ!
物議を醸すか、ラストシーン。
新たなる未来のラストシーンは、物議を醸しつつ、様々なところで考察されています。
私の考察と言うより、、妄想なのですが……。
ここからネタバレを多く含むので注意して下さい。
マシューが自らの名を口に出してから後、スタッフロールが始まります。
その後、ラストシーンで締められるのですが……。
〈ひとつの惑星が二つに分かたれ、すぐさまひとつに融合。そこへ向かって右方から光点が飛来して大気圏突入していく〉
これをどう捉えるかが肝です。
私は現状こう解釈しました。
〈新たなる未来でマシューたちが選んだ道の先、1000年以上を経た3の時代でノアたちが降した決断により、彼らの世界であるアイオニアン(イオニアン。音階やモードの名前と一緒なんです。音楽用語であることも大事なのかな?)は再び二つの巨神界とアルストへ分裂する。だが、すぐさま二つの世界は融合を果たした。融合した世界は、相転移実験を行っていたクラウスがいたものではない。新たなる未来、新たな世界である。そこは、シュルク、レックス、ノアたちが暮らす平和な世界だ。そこへ、ゴンドウたちシティの人間が帰ってくる。これから後悔することもあるだろうが、それでも人々は手に手を取り合って生きていく。新たなる未来を選ぶために〉
という感じです。ところどころに飛躍した部分があるかと思います。
が、新たなる未来をプレイし終えると、どうしても〈巨神界、アルスト、アイオニアン、移民船団〉を全て盛り込まないといけなくなるんですよ。
一応、このようなバックストーリーを妄想しています。
あ。キーとしてトリニティプロセッサの存在がありますので、一応簡単に。
【トリニティプロセッサ】
研究機関アオイドスが作った合議型人工知性群。
アオイドスは扉(ゲート)と呼ばれるものを研究する機関である。
三つの〈生体素子を採用したプロセッサ集合体〉であるが、それぞれ「プネウマ」「ロゴス」「ウーシア」と名付けられた。
三つのプロセッサは異なる仮想空間(!)で育成し、個性を生み出させた。三つの個性により合議させ、人間らの判断によらない管理運営させることを目的としていた。
クラウスが扉を開けた瞬間、時空転移現象が生じ、ウーシアは閉じられた世界〈巨神/機神界〉へ。残りの二つはクラウスが再生したアルストへ行ってしまう――。
ということから始まっているわけです。
では私の妄想をどうぞ。
〈元々クラウスがいた世界は異星人から襲撃をされており、移民船団を宇宙へ送り出していた。そんな世界を変えるため、クラウスがトリニティプロセッサを使い、新世界を創造しようとしたが失敗。巨神/機神界の世界と、アルストを生み出してしまう。クラウス本人も二つに分かたれ、それぞれの世界で神、或いは神と呼ばれる存在と化す〉
〈トリニティプロセッサのウーシアはアルヴィースとして巨神/機神界の世界へ。シュルクを見守り、その選択を受け入れる。神なき世界である〉
〈トリニティプロセッサ「プネウマ」と「ロゴス」、アルストの世界へ。レックスたちの活躍により、世界は救われた。クラウス=神と呼ばれたものは姿を消す〉
〈シュルクの閉じられた世界は、ケヴェスに。レックスたちの世界はアグヌスとして纏まる。しかしそれぞれの神が失われたことで均衡が崩壊。長い時を経た後、二つの世界が融合、消滅することが判明する。それぞれの女王〈メリア〉と〈ニア〉は未来に希望を託すため、箱船〈オリジン〉の建造を決定する。オリジンは世界/人類の光媒体情報体として記録するものである。よって箱船である〉
〈二つの世界は融合し、アイオニアンが誕生。時が止まったこの世界はウーシアのもと、メビウスが管理する。二つの世界の女王、メリアはメビウスに捕まり、ニアは深い眠りに就く。ケヴェスとアグヌスはそれぞれ命の軛により、10年の寿命しか持たない。それも生きるためにはお互いの命の取り合い、相手から奪った命の火を使う他ない世界だった。常に戦争をしている状態である。また人間はデータから再生される存在であり、生殖行為では増えない〉
〈ウロボロスストーン(或いは似たシステム)により命の軛から解放された人間がシティを作る。命の軛から解放された人間は、生殖行為で子を成す。寿命も10年を越え、老齢まで生きることが可能となった(シティ創設者が新たなる未来のマシューの祖父・ゴンドウである。ゴンドウは重要人物ら二人の子であった)〉
〈シティの人間はメビウスからの解放を望み、メビウスはこの時が止まった世界の継続を望む。しかし、ノアたちの世代により、時は再び動き始め、世界は二つに分かたれた〉
〈ケヴェス、アグヌス、それぞれの世界へ戻ると、ノアとミオはそれぞれ「融合する瞬間の時間軸」まで戻る。子供になったノアは、聞き覚えのある笛の旋律を耳にする〉
〈瞬間、巨神界・ケヴェスとアルスト・アグヌスの世界が再融合。クラウスたちが居た世界に近い「地球」が生成される。が、それは過去とは違う新たな可能性を含む「地球」だった(融合後の地球は、ナエルが望んだ【クラウスたちの記憶世界】にあった軌道エレベーターがない)。この世界で、シュルク、レックス、ノアたちは生きている。もしかすると彼らはすでに何かの形で出会っているのかもしれない――〉
〈地球に船が戻ってくる。それはサマールの民・エルマが率いる移民船の人々だった。BBから肉体を取り戻した彼らはシティの人間である。ここからが、空の向こうにある新たな世界へ――新しい時代の幕開けであった〉
っていう妄想で御座います。
まあ新しい世界での各動向を妄想しました。ぶっちゃけると
〈シュルクは研究職に就いており、家族・仲間達と暮らしている。フィオルン、メリアとも仲良く、子供たちも素直で、親を尊敬しているようだ。彼の師匠もついに結婚している(!)〉
〈レックスは冒険家(サルベージャーでトレジャーハンターとか?)的な活躍をしている。この世界は一夫多妻制も許可されており、ホムラ、ヒカリ、ニアとその子供達――ミオたちや、仲間と暮らす。彼が尊敬する中二病もいるぞ!〉
〈ノアは音楽家として大成。レックスのとこからひとりだちしたミオと二人世界を演奏で回る(ミオは文筆業・作家としても活躍中)。当然、他の四人もそれぞれがそれぞれの関係で暮らしている。一夫多妻制がある世界だが、ノアはミオしか見ていない〉
〈戻ってきたシティの人々は、地球に溶け込んでいく。シュルク、レックス、ノアたちと再び出会い、そして――〉
……こんな妄言を吐きますよ。うははは。
一夫多妻制じゃないと、レックスたちが!
そしてメリアちゃんがあまりに……なんだも! もう負けヒロインなんて言わせないも!
ってことでこうなるといいなぁというね。
まあ、ゼノギアス、ゼノサーガ、ゼノブレイドクロスまでの物語が繋がっているであろう、と新たなる未来で判明したため「どうやったら繋がるか」と考えました。そこから逆算した部分も多々あります。
そもそもシュルクやレックスたちは特殊な存在、ノポンもアイオニアンにとってイレギュラーな存在だった筈なんですよ。と同時に、シティの人たちも。
二つの世界が融合した地球に存在し得ないのがシティの人たちですしね。
じゃあ、彼らは何処へ行き、何処から戻ってくるのか。
あ、クロスの惑星ミラがあるな、あとゼノギアスの移民船も存在するじゃないか! と。
そもそもミラで展開したニューロサンゼルスですが「〈シティ・オブ〉ニューロサンゼルス」だと思っていたりします。なら、ゴンドウたちがミラに居てもいいんじゃないかなぁと。また、クラウスのせいで分裂した世界とは違う次元or外宇宙にいたおかげで別の影響がクロス世界に降りかかった結果、ああいうことになっているのではないか、と。
あと「セントラルライフ」周りの設定って、オリジン及びケヴェス・アグヌスの兵士再生に似てるでしょ?
あと、セントラルライフが破損し、データベースがなくなっているのに……という点も、〈結局オリジンにクロス世界含む全てのデータが残っており、何らかの関係でミラのBBにも影響していた。だからセントラルライフが破損していても、オリジンが存在する限りBBは稼働する。そして、新しくなった世界で多くの人間の肉体が再生。それはアイオニアンのシティの人間達であった。移民船団の人々=BBで地球に戻ってきた彼らは、肉体を取り戻す〉って考える余地があるかなぁと。
まあ穴のある想像ですけどね。
ということで、ゼノブレイドシリーズは全て素晴らしい、ってことで。
後に資料集が出たら、全てが判明すると思うので首を長くして待ちます。
うーん。まだまだ楽しめるぞ!