blogを書けと言われたので「八十禍津日神と大禍津日神」の話。

 

 

 八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)と大禍津日神(オホマガツヒノカミ)なのですが……正直、書くかどうか悩んだんですよね。

 何だか難しい神様なんです。
 とりあえず思いつくままにキーを叩いてみましょう。

 

 

 古事記の表記。

 

 (伊邪那岐大神)於是詔之「上瀬者瀬速、下瀬者瀬弱」而、初於中瀬墮迦豆伎而滌時、所成坐神名、八十禍津日神訓禍云摩賀、下效此。次大禍津日神、此二神者、(伊邪那岐大神)所到其穢繁國之時、因汚垢而所成神之者也。

 (伊邪那岐大神が)ここに詔りたまいしく「上の瀬は速く、下の瀬は弱い」。
 そこで初めて中の瀬に潜ったときに成った神は「八十禍津日」。
 次に成った神は「大禍津日」と言う。
 この二柱の神は、(伊邪那岐大神が)甚だしい穢れの国に至ったときについた汚垢より成ったものである。


 この段は、伊邪那岐大神が伊邪那美命を黄泉国へ迎えに行ったあと、地上へ戻ってからのシーンになります。

 黄泉国での汚穢を落とす際、禊の合間に沢山の神々がお生まれになりますが、その中の「厄災を司る神」として八十禍津日神と大禍津日神が出現するわけです。
 その直後、直毘神(ナホビノカミ)がお生まれになるのですが、この神様は「八十禍津日神と大禍津日神の災禍を直す」神という位置づけです。言わば八十禍津日神と大禍津日神へのカウンターのような立場になります。

 因みに古事記では「神直毘神(カミナホビノカミ)、大直毘神(オホナホビノカミ)と伊豆能売(イズノメ)の三柱の神が成った」とされています。神直毘神、大直毘神は直毘神として理解できますが、女神・伊豆能売は一体どういった性質の神なのか。それはよく分からないのです。一般的に穢れを祓う神とされています。元は神を祀る側・巫女から神へ変化した、とも。そもそも日本書紀ではなく、古事記に出てくる名ですから、何らかの意味はあるのでしょう。

 

 

 ところが。

 

 

〈直毘神と禍津日神は表裏一体の神である〉って説もあるんです。
 直毘神は善事を司り、禍津日神は悪事をいさめる、咎める働きをする、という風に。
 この辺りは古代日本の考え方になるわけですから、当時のことがはっきり分からないとどうしようもなく、未だ決着が付かない問題のようです。

 この辺りが難しい点のひとつなんですよね。

 そしてここから「汚濁、汚穢より生まれ出でしもの、或いは聖ではないものが関係して力を得たものが、善なる者として神や英雄になる」物語は世界中にあることも浮かんできますよね。

 日本なら、力太郎などの「異常誕生譚」が主なものでしょうか。

 ゲルマン神話のジークフリートはドラゴンの血を浴び、傷つかない身体を得ます。

 更にギリシャ神話のアキレウスは冥界(!)の川に流れるステュクスの水に浸けられたことで、不死の身体を得ます。※ジークフリートもアキレウスも「血や水が触れてないところが弱点になる」という点も共通しています。ジークフリートはドラゴンの血を浴びた際、菩提樹の葉が背中に貼り付いていたため、そこだけ傷を負うようになりましたし、アキレウスはアキレス腱の語源にもあるように、川に浸ける際、母親が掴んでいた足首の後ろにある腱部分が水に触れなかったため、そこだけ不死ではなくなっています。しかし血を浴びるも川の水に浸けられるも、そこに若干の禊要素を感じますよね。

 この二つの事例を考えるに「古代の陰陽感」が何となく伝わってきます。
 陰も陽もお互いに必要であり、どちらが悪くも良くもない。二つ揃って全である。
 元来の意味はそんな感じじゃないでしょうか?

 

 

 天照大神の岩戸隠れのとき。

 

 

 思い返してみると、天照大神の岩戸隠れの際も悪神が、というエピソードがありました。
 天照大神が居ない地上は暗くなり、その隙を突くかのように悪神が蠅のようにわいてきた、というものです。

 悪神は闇に乗じて悪事を働き災禍をまき散らす、ってことですね。
 これに関して一般的なモラルを持つ人は「なんてこったい、卑怯な」「世の中が荒れたからって、悪事を働いてよい訳じゃねーぞ!」「天照大神が居ないから、今だ! って災禍をまき散らすってのはどうなの?」って感じるのではないかな、と思いますがどうでしょう?

 この後は神々の知恵と機転で世の中に光が戻ります。
 岩戸より出でし天照大神があまねく天下を照らし、元の世に戻るのです(この部分を〈天照大神がお隠れになり、次代の天照大神へ変わった〉と論ずるパターンも存在します。ここから〈卑弥呼から台与への代替わりを神話に取り入れたものだ〉という説もあるのです)。
 もちろん夜がなくなったわけではないですから、通常の昼夜と、天照大神がいなくなったあとに生じる闇の世界では、それぞれの概念が別物ってことですね。

 で、まあ、世の中が麻のように荒れると、いろいろあるわけです。
 人心は乱れますしね。
 荒れた世に求められ、英雄が現れては世を救います。
 だからこそ、英雄が居ない、求められない世の中こそ真の平和であるとも言われます。
 とはいえ平和になると英雄の存在すら忘れちゃいますからねぇ。英雄がいない世では再び悪が栄え、世が荒れはじめることも多くある訳で……。やんぬるかな。
 

 

 

 禍津日神と神社。

 

 実は禍津日神を祀る神社さんも存在します。
 正しく祀れば御利益がある! ということです。
 調べて見ると福岡県周辺に多く、神神直毘神・大直毘神と合わせて祀られているようです。この辺り、ある種のルールがあるのですね。きっと。
 中には単独で八十禍津日神を祀っているところもございます。

 しかし何故福岡県に多いのか。
 それは神功皇后(息長帯姫大神〈オキナガタラシヒメノミコト〉。お。タラシ)の「三韓征伐(夫である仲哀天皇が没した後、新羅に出兵し、朝鮮半島の広い地域〈三韓〉を服属下においた、という日本における伝承) 」 に際し、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神に関係するからです。そう。福岡県は神功皇后関係の伝承が多い場所。

 警固大神は「八十禍津日神」「神直日神」「大直日神」の三柱の神々を合わせてそう呼びます。
 警固は警(いまし)め、固(かため)るからで、戒めつつ護る、でしょうか。
 外的に対するという意味もあります。この辺りは福岡県の位置も大いに関係するのです。歴史的に外から攻められる可能性が高い場所でしたから。ほら、元寇とか。

 警固大神に八十禍津日神が含まれるのは、やはり〈直毘神と禍津日神は表裏一体の神である〉ことが無関係と言えないのでしょう。
 また「悪を示し、過ちを良い方向へ導く」神が禍津日神であるとも。
 うーん。やはり二面性もありますね。

 因みに御利益には「祓除、疫病除け、招福、縁結び、安産」とか。
 お! なんだか凄いですよ。
 大事なのは「祓除」なんじゃないでしょうか。
 穢れ、災いなどを払い去るという意味ですが、穢れ災いが去ったその後にやってくるのは福なのだろうなぁ、と思います。

 

 

 

 八十禍津日神と大禍津日神の二柱の神も、八百万の神。

 

 八十禍津日神と大禍津日神の二柱の神を、お名前だけで避けるのは得策じゃ御座いません。
 日本の神々、八百万の神としてご挨拶するのが大事なのです。
 物事は捉え方で大きく意味が変わりますからね。
 例えば、西洋だと烏のイメージはよろしくないですが、日本だと神使や瑞兆を運ぶ存在でもあります。それに三本足の烏は八咫烏さんであり、太陽神でしょう?
 見る側・感じる側の心持ちでなんでも変わりますし、それ本来の意味を見逃すこともあります。
 まずは先入観を引っ込めてから、物事に当たるのがベストなのかも知れません。

 ってことで、ひとつ。