blogを書けと言われたので「倭建命」の話

 

 

 倭建命。
 日本神話における英雄神の一柱として有名ですね。
 ヤマトタケルノミコト、ヤマトオグナ、オ(ヲ)ウスノミコト。
 その功績は大帯日子淤斯呂和氣天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト。後の景行天皇。4世紀前期に実在か。考えてみたらタラシとワケ!だ)によるもので、ヲウスは存在しないと言われています。
 確かにそうかもしれません。
 が、やはりヲウスノミコトという人物が、オシロワケノミコトに近しい場所にいたんじゃないかと思うんです。そもそも父・オシロワケノミコトですら実在を危ぶまれているのですけどね。個人的に、どちらも実在していたと考えています。

 このオウスノミコトですが、美少年・美丈夫のイメージがあります。
 少年時代に女装をすれば、美しい女人にしか見えない。
 成人後は弟橘比売命を始めとした様々な姫からトコトン好かれる。
 まさに英雄譚の主人公です。
 当然、創作物に出てくるオウスノミコトは美形に描かれます(和月伸宏先生が描かれた倭建命&神々の姿は凄く格好良いのです。あのデザインで古事記描いて欲しいと切に願っております。んで、映画・日本誕生ではなんと! 三船敏郎氏だ! ……女装姿も出ますよ)。

 そういえば日本の至る所に倭建命ゆかりの地や神社さんがございます。
 お近くで探してみて、足を運んでみては如何でしょうか。

 

 

 ヲウスの二面性

 

 ヲウスノミコトには悉く二面性がついて回ります。
 例によって古事記を範にとって書きますと……。

〈父・オシロワケノミコトの寵妃を奪い逃げた兄・オオウスノミコトの捕縛を命じられる。捕まえた後、兄を押し潰し、両手足をもいでコモに包み、厠の近くに投げ捨てた。この頃はまだ少年であり、風貌も幼かった。オシロワケノミコトはその行動によってオウスノミコトを疎んじるようになる〉

〈兄殺害の後、父より九州の熊襲健兄弟の討伐を命じられる。僅かな従者すら与えられなかったオウスノミコトは、伊勢に住む叔母・倭比売命(ヤマトヒメノミコト・斎王)の元へ赴いた。そこで神剣・天叢雲剣と火打ち石、そして女性の衣装を授けられる〉

〈九州では熊襲健兄弟の邸宅が新たに建てられたことを祝う宴が行われていた。が、隙に乗じて乗り込むには警備が厳しい。そこでオウスノミコトは叔母より託された女性ものの衣装を身に着け、髪を下ろし、女性の姿となった。相手を油断させ内部に入ると、熊襲健を短刀で討ち取る。熊襲健(弟)は死ぬ間際、オウスノミコトに敬意を表し、名を送る。――今日から、倭建命と名乗れ、と。その直後、瓜を割るように斬り殺された〉

 この後、様々な出会いや別れ、オシロワケノミコトとの確執、天叢雲剣が草薙剣の別名を得るエピソード(これについては改めて書く予定)、倭建命が天叢雲剣を身体から離したことで病身となり、ヤマトの地を踏むことなく、お隠れになる……わけです。
 因みに途中で月経にまつわる歌も美しく詠まれます。
 このように英雄譚らしい物語が展開されている中に、ちょいちょい興味深い要素が入ってくるのが特徴と言えましょう。

 さて、二面性について振り返ってみましょう。

・まだ年端もいかない少年が、大胆不敵かつ残虐な行為に至る
・大胆不敵だったはずの少年は、叔母を頼る
・敵は有無を言わせず殺したのに対し、女装などの搦め手を使う


 結構、不安定といいますか。
 美形でありつつ、内面は粗野。
 美形でありつつ、内面は儚げ。
 美形でありつつ、内面は策謀家。
 様々な要素が絡み合っており、様々な性格が入り乱れていますね。
 まるでスサノオノミコトです。
 これをして「倭建命は複数の王族の功績を併せて作り上げた存在」とする向きもありますが、逆を言えば「倭建命は秀でた英雄、傑物、天才、人を超えた存在であったからこそ凡人には計り知れない部分が垣間見えた」とも言えるわけです。
 ※FSSのマキシのイメージソースになったんじゃないかな、倭建命。
  スタント遊星戦からの策謀を匂わせるな死とか、結構重なるところ多いですよ。

 

 

 

 少し脱線

 

 

 倭建命が征討へ向かったのは熊襲(古事記では熊曾)の土地です。
 熊襲は南九州だと言われています。
 確かに南九州には熊襲穴という遺構もありますからね。
 ところが熊襲健は熊本から南九州にかけ支配していた土豪と言われています。
 熊襲の熊は「球磨」で、襲は「曽於」であった、とか。
 球磨曽、と言うわけです。
 後に粗野な印象を与える漢字を当てはめたという説もあります。

 ただし、熊や馬など動物を表す文字は尊称になる説も存在しています。
 倭建命神話でも動物の姿を借りた神が出てきますが、その動物の能力を神性化していたのかもしれません。神獣という言葉もありますから。
 だとすれば、熊襲の文字も少し印象が変わって見えます。
 

 

 

 オウスと巫女

 

 オウスノミコトには様々な姫が寄り添います。
 神に身を捧げてオウスノミコトを助けた弟橘比売命は有名なところですね。
 倭比売命や弟橘比売命のような神性を帯びた姫は、どちらかというと王族であるオウスノミコトにとって巫女のような存在だったように感じます。
 対する他の姫は、オウスノミコトの血を残す存在で、仲哀天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)へ繋いでいく。※弟橘比売命は先代旧事本紀だと9人の子を産んでいる。

 しかしここで少し考えてみたいのですが。
 オウスノミコトそのものが巫女(?)であったように思うんですよ。
 熊襲健討伐までだと、男女の差がない、性差がない存在として描かれています。

 また、叔母・倭比売命から〈天叢雲剣〉や〈女性の衣服〉が手渡されます。
 神剣と共に斎王が渡す服。
 これが普通の女性の衣服だろうかと疑問に思うのです。
 例えば、神降ろしや祭事で使う衣ではなかったか? と。
 だとすれば、オウスノミコトは単なる女装ではなかった。
 だからこそ警備が厳重な熊襲健の宴に入ることができた。何故なら、巫女が来たのですから。招き入れて、何ごとかの神舞を舞って貰える、或いは神降ろしして貰えるかも知れない、と判断したから……なんて妄想してみると辻褄が合う気がします。
 当然、天叢雲剣は持っていけません。
 何故なら十束剣くらいの長さを佩いた女性だと軽快されるからです。
 だからこの場面では短刀なんですね。

 それ以前に、少年時代のオウスノミコトそのものが〈男女の区別ない、超然とした存在〉だとして描かれている、とも言えるかも知れません。

 倭建命について調べていくと、とても面白いのです。
 今回はザックリ「二面性」というテーマで書いてみましたが、いかがでしょうか?
 古事記のオウスノミコト・倭建命のエピソード、是非ご覧頂けたらと思います。

 しかしこの「斎王から授かった神剣と衣」の物語を軸にして、小説や漫画の原作を書いてみたいものです。きっと面白くなりますよね。