世の中が一方向に傾くとき  | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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木曽の清流に映え、心触れ合う躍動都市;愛知県一宮市に活動拠点を置く、尾張エクセルです。保守政権を応援しつつ、経済・社会・軍事防衛まで、地域や国内、海外の気になる出来事や話題を、独断と偏見溢れる一味違った目線でブログ提供します。

三年余り続いた「新型コロナ」禍によって、我々の生活は根底から揺るがされていた。
しかし、「感染症との戦い」は、人類史上未曽有のものではないのだ。コロナ禍が収束
した今こそ、「過去の歴史から教訓を見出そうとする姿勢」が求められているのだ。
例えば「外出自粛」や「集会の禁止」などという、あの時の我々が置かれていた「非常
事態」は、戦前のファシズム体制にも通じるものがあるのかもしれない。
我々が戦前と同じ轍を踏まないようにするために、近現代史から何を学び、どのような
姿勢でコロナ禍に向き合うべきであったことが求められるだろう。
中共発症の「新型コロナウイルスの蔓延」に対しては、世界的な視野を失わないことが
重要だと小生は思う。コロナ禍は決して自然発生でなく、「中共によって仕掛けられた
ウイルス戦」なのであったのだ。いくら中共が強弁しようが紛れもない事実なのである。
その点をまず押さえた上で、あの当時に日本国内や世界で起来ていたことに 新たに目を
向けると、政府による「緊急事態宣言」以降 「ファシズム体制」と同質といってもいい
ような社会システムに日々直面していたという見方もあるようだ。
ところが、今もなお、自分の政治信条に反する動きに「ファシズム」のレッテルを貼る
左翼・リベラル側の傾向は、相変わらずである。野党や一部マスコミも同様である。
小生は、これらの「非常事態」宣言は、「あの当時では やむを得なかった」と振り返る
のであるが、しかし「この体制の持つ窮屈さと 人間性喪失の姿を記憶しておかなければ
ならない」と思う。
 
小生が愛読する日経新聞の6月14日付けの夕刊一面のコラム「あすへの話題」に掲載
された「作家の小池真理子氏の『世の中が一方的に傾くとき』」には、なかなか興味を
ひかれたので、一部加筆の上で紹介する。
医療機関以外の場所で、マスクをつけている人が 格段に少なくなった。仲間うちでも、
めったに新型コロナの話題は出ない。
「何が起こったのか、何が正しくて、何が間違っていたのか」、判然とはしないままに
時が流れた。すべてがうやむやになり、過去のものとして封印されてしまったようにも
感じられる。
私は一度もコロナワクチンを接種していない。がん治療を続けていた夫が力尽きたのは、
コロナパンデミックが起こる直前だったが、「彼の身体に起こったことを つぶさに見て
きたから…」というのが接種を拒否した最大の理由である。
夫は通常の抗がん剤でなく、承認されたばかりの免疫治療薬を使った治療を受けていた。
「免疫細胞に直接働きかけ、自力でがんを縮小していく」いう画期的な新薬である。
即座にすばらしい効果が表れたが、一方では思ってもみなかった多彩な副作用が出現し、
止まらなくなった。「生体に本来、備わっている優れた免疫機能を故意にいじることは
恐ろしい」と、何度か感じた。
今回のワクチンを本能的に遠ざけたのはそのためである。科学的根拠ではない、自分の
直感に従ったまでだ。しかし、周囲の理解は全く得られなかった。親しい人々は真顔で
呆(あき)れ、真剣に忠告してきた。到底、理解できないと言われた。変人扱いされた。
世界大戦が始まる時のように、いきなり世の中が全体主義に傾いてしまったように感じ
られた。強い恐怖を覚えた。
「ファシズムは、私たちの日常の中からこそ芽生える」と、言われている。あの時期に、
私が感じ続けていたのも、まさにそれだった。