経団連が「選択的夫婦別姓」を提言 | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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経団連が「選択的夫婦別姓制度」の早期導入を求める提言を公表した。経団連として
導入を提言するのは初めてのことである。
6月10日の記者会見で、十倉雅和会長が「当事者個人の問題として片付けられず、
企業にとってもビジネス上のリスクになっている」と、政府に一刻も早い改正法案の
提出を求めた。これまで停滞してきた議論が進むとの期待が高まっている。
ビジネスの現場では旧姓を通称使用することが定着してきたが、海外でのトラブルな
ど弊害も多く、女性活躍を阻害する一因になっているという。
民法750条は 【夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する】
と規定されている通り、必ず夫か妻のどちらかの姓を名乗らなければならない。結婚
の際に夫婦のいずれかが改姓して「夫婦同姓」にすることが定められている。
夫婦同姓の原則は1898(明治31)年から変わっていない。「夫の氏」か「妻の
氏」のどちらかを選択しないと、婚姻届が受理されない仕組みである。
現状では改姓した95%が妻側である。煩雑な手続きなどの様々な負担が女性に偏って
おり、ジェンダー平等の観点からも課題が大きいと指摘されてきた。国連の女性差別
撤廃委員会からも「差別的な規定」として、女性が婚姻前の氏を保持できるように、
法改正することを長年勧告されてきた。
夫婦同姓を支持する人からは「家族の一体感」の象徴になっているという意見がある。
子どもが両親と同じ氏を名乗れないことを心配する声も上がる。
別姓を求める立場からは「アイデンティティーの喪失」や、職場で通称使用が選択で
きず、キャリアの断絶に繋がるとの懸念がある。婚姻前の氏を維持するために事実婚
を選択したり、形式上の離婚を繰り返したりする人たちもいる。
ちなみに海外では、夫婦同姓を法律で義務付けている国はない。結婚する際に、夫婦
同姓を法制化して求めているのは日本だけである。だが、世界でも、かつては結婚時
に夫の姓に変えることが一般的だった。
しかし、1979年に採択された国連の女性差別撤廃条約を切っ掛けに、男女平等の
観点から「選択的夫婦別姓」を法制化した国が多い。米国や英国、ドイツなどは夫婦
別姓を選択できる。中共や韓国、フランスは別姓が原則となっている。
そもそも、『選択的夫婦別姓制度』とは、夫婦が望む場合には、結婚後も、それぞれ
の氏を名乗ることを認める制度である。
しかし、民法等の法律において、『姓』や『名字』のことを『氏』と呼んでいるため、
法務省では『選択的夫婦別氏制度』で統一しているという。
これは日本が遅れているという単純な理由ではなく、戸籍制度の存在が関係している
ようである。というのも、「戸籍制度」は世界でも珍しい制度で、日本と台湾にしか
ないからである。
「戸籍制度」自体が明治期に復活したのと同様に、夫婦同姓が民法で規定されたのは
1898(明治31)年である。
「選択的夫婦別姓」は夫婦で同じ姓(氏)にするか、旧姓を名乗るかを選べる制度で
ある。民法改正等が必要となる。日本のジェンダー平等に関する重要な議題だ。女性
の社会進出に伴って、1996(平成8)年に法制審議会が導入を求める答申をした。
しかし、30年近くたっても法制化に至らないのは、国民の合意が得られないからな
のだろう。財界が「急げ」と号令をかける話なのだろうか。
経団連が、「選択的夫婦別姓」の早期実現を求める提言を発表した。十倉雅和会長は
「国会でスピーディーに議論してほしい」と述べたが、拙速に進めては将来に大きな
禍根を残すであろう。
最高裁は、2015(平成27)年と2021(令和3)年に、夫婦別姓を認めない
民法の規定について「合憲」との判断を示した。夫婦同一の姓は社会に定着しており、
家族の呼称として意義があることを認めている。
「選べるならいいじゃないか、別姓を希望しない人には関係ない」と考えるのは 早計
である。専門家からは、姓について家族の呼称から個人の呼称へと大きく変質するこ
とが指摘されている。
同じ戸籍に同じ姓の人を記載する戸籍の編製方法も見直す必要があり、社会全体に関
わってくるであろう。夫婦同姓は、子供も両親と姓を同じくすることで 利益を享受し
やすい意義もある。別姓では子の姓をどうするか。双方の祖父母も絡み、決まらない
混乱も予想される。
 
若い世代を中心に、夫婦別姓への理解は進んでいるようである。とはいえ、今のとこ
ろは法律が別姓にすることを阻んでいるのが現状のようだ。
「何でも海外に合わせればよい」というわけではないだろうが、時代の流れもあるし、
そろそろ見直してもよいのかもしれない。
いずれにせよ、この問題は、さまざまな視点から議論されており、今後も注目される
ことだろう。