「富嶽百景」と… | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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太宰治の短編小説『富岳百景』は、甲州の御坂峠(みさかとうげ)を訪れた「私」が、
富士山という絶対的な存在との対話を通して再生する物語である。
『富嶽百景』は、絶対的な存在=富士山と対話することで、自分を見つめなおして、
再生する旅を描いていた。
太宰治は昭和13年に「天下茶屋」に滞在し、井伏鱒二の媒酌で結婚式も挙げた。
その後、心の平穏(つかの間の平穏だったようだが…)を得て、この『富嶽百景』を
はじめとする力作を書いたのだという。
 
「富士には、月見草が よく似合ふ」。これは、太宰治の「富嶽百景」に出てくる有
名な一節である。
今から86年前、山梨県の山あいの「天下茶屋」にしばらく滞在した作家が、朝な
夕な富士山と向き合った経験が元になっている。
「峠道に、すっくと一輪月見草が咲いていた」。日本一の山と対峙(たいじ)する
けなげさに太宰は打たれたのだった。
だが、取り合わせ次第では辛辣な弁も吐く。河口湖の水面(みなも)に映る山容は
まるで「芝居の書割(かきわり)」だし、東京のアパートの窓越しに見た富士山は、
「苦しい」と。
太宰治は、昭和11年から13年にかけて、東京杉並区の天沼という地区で 転居を
繰り返した。その頃に、自室の窓から見た景色を、短編『富嶽百景』に綴っている。
「東京の、アパートの窓の窓越しに見た冬の富士は「クリスマスの飾り菓子」と。
空気の澄んだ冬は、よく見えたらしい。その描かれ方は、最高峰の偉容にほど遠い。
「左のほうに、肩が傾いて心細く…」。精神的にも、かなり参っていた時期という。
寒々しい暮らしが、富士の姿をゆがめたのかもしれない。
「富嶽百景」は、このように富士山を何かと対比し、そこに作者の心情を投影する。
ならば、「富士と10階建てマンションの取り合わせ」には いったいどんな感想を
持ったことだろう。
「富士百景」の今を物語る問題だろう。東京都国立市の「富士見通り」沿いに建設
された分譲マンションが来月の引き渡しを前に 解体されるという。「景観が損なわ
れる」として 地元住民が計画の見直しを求め、「影響の検討が不十分」と事業者側
が判断したのである。
東京都国立市中2丁目の10階建てマンション;「グランドメゾン 国立富士見通り」
について、7月にも契約者に引き渡されることになっていたが、建設した事業者の
「積水ハウス」は6月4日に、国立市に対して「建物の周辺への 影響に関する検討
が不十分だった」として、事業の中止を届け出た。
「富士山の眺望に影響が出る」と、近隣住民から声が上がったのが 発端であった。
マンションがある富士見通りの先には、その名の通りに、「名峰富士」が鎮座する。
積水ハウスは再検討の末に、事業中止を決めて、引き渡しを前に解体するという。
富士には、よく似合わないものがある-。そんな声が通った、新「富嶽百景」だ。