「鏡花水月(きょうかすいげつ)」とは… | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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「鏡花水月」とは、むなしくはかない幻を表す四字熟語である。「目には見えるが、
手に取ることのできないもの」を指す。また、「感じ取れても 言葉で表現できない
奥深い情趣や味わいのたとえ」としても用いられて、詩歌や文学においても 頻繁に
使われている。
理科系出身の小生がまだ若かりし頃のことだ。「鏡花水月法という表現方法」の…
という話題に付いて行けず、「鏡花水月…って何?」と尋ねたのが 切掛けだった。
そのときには、「その物事をあからさまに説明しないで、しかも その物事の姿を
ありありと 読者に思い浮かばせる表現方法」と軽くいなされて、その時の小生は
ますます混乱したものであった。
 
今回のブログでは 「鏡花水月(きょうかすいげつ)」について綴ってみよう。
「鏡花水月」の定義・解説としては、「はかない幻」のたとえである。詩歌・小説
などの奥深い味わいのたとえである。本来は 「鏡に映った美しい花」と「水に映っ
た美しい月」の意。それらは、目には見えても見るだけで、実際に手に取ることが
できないこと…からいう。
「水月鏡花(すいげつきょうか)」ともいう。「鏡花水月法」はその物事をあから
さまに説明しないで、しかもその物事の姿をありありと読者に思い浮かばせる表現
方法であるという。
中国の言葉で「絵空事、架空なもの」の意であるが、日本でも よく使われるようだ。
小生は浅学にて、この言葉を知らずに、少々恥ずかしい思いをしたので今さらながら
調べてみた。
直接の意味は、「鏡花」が鏡にうつる花で、「水月」が水に映る月である。それらは
共に 目には見えても見るだけで、実際に手に取る事が出来ないことからである。これ
から転じて、「すべて幻(まぼろし)である」ということだという。
さらには、感じ取れても説明できない奥深い趣の例えや、詩歌・小説などの 奥深い味
わいの例えであるという。
漢文では、直接その物事を説明せずに、はっきり その姿を感じとらせる表現法を「鏡
花水月法」というそうである。 
これも、小生は知らなかったが、「仏教説話には 水月をみて勘違いして、月を救おう
として池に落ちて死んでしまう猿の物語」がある由。さもありなん。