「通訳」と「通訳者」 | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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小生が愛読する日経新聞の2月27日付けの夕刊一面のコラム「あすへの話題」に
掲載された「立教大学名誉教授 鳥飼玖美子氏の『通訳と通訳者』」には なかなか
興味をひかれたので、一部加筆の上で紹介する。
大谷翔平選手のメジャーリーグでの活躍に伴い、常に傍で通訳を務める 水原一平
さんについての話題も増えている。そこで気になるのが、彼の肩書である。どの
メディアも「専属通訳」としている。
「通訳する」行為を表す英単語には 「解釈する」という意味もある。通訳をする
人間は「インタープリター」で、日本語では「通訳者」となるはずである。
ちなみに翻訳する人は英語で「トランスレーター」である、日本語では「翻訳者」
「翻訳家」だ。通常 技術的な内容に取り組む人を「翻訳者」と呼び、文学作品の
翻訳を手がける人は「翻訳家」。いずれにしても決して「翻訳」とは呼ばない。
逆に、通訳をする人間が「通訳家」と呼ばれるのを聞いたことはない。法廷では
「通訳士」となるが、文学関連の通訳を行っても「通訳」である。
私見では、文字で書かれた言語を訳す翻訳者とは違い、口頭言語を訳す通訳者は、
話し言葉が低く見られているゆえ 軽視されるのではないか。日本では、政治家が
失言すると簡単に発言を取消すが、話し言葉が軽いと考えられている証左である。
そのような社会的な空気を敏感に察していたのが「アポロ11号月面着陸の 同時
通訳者」として知られる西山千さんだ。「〈通訳〉と呼び捨てにするのは失礼だ。
〈通訳者〉と呼ぶようにして欲しい」と語っておられた。

江戸時代の「オランダ通詞」は、幕府の直轄地である長崎で 地役人として 通訳と
翻訳の両方に携わり、専門家として認知されていたが、AI翻訳が主流になると、
やがて翻訳者も「翻訳」と呼び捨てになるのだろうか。