農山村たたみ論~選択と集中が必要 | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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木曽の清流に映え、心触れ合う躍動都市;愛知県一宮市に活動拠点を置く、尾張エクセルです。保守政権を応援しつつ、経済・社会・軍事防衛まで、地域や国内、海外の気になる出来事や話題を、独断と偏見溢れる一味違った目線でブログ提供します。

山奥にポツンと建つ民家を訪ねるTV番組「ポツンと一軒家」を 小生は好きである。
昔は集落があったが、徐々に減って1軒だけが残ったり、定年後に誰も居なくなった
生家に戻ってきたり…。住人の人生や地域の変遷が垣間見える。
「限界集落」という言葉が登場して久しい。65歳以上の高齢者が住民全体の50%
以上を占める過疎地域の集落を指す。70%を超えると「危機的集落」、1軒だけに
なると「廃村集落」、誰もいなくなれば「消滅集落」などと区分される。
人口減少が進む中、農山村の全ては守れないとして「選択と集中が必要」とする声が
増えてきたという。
明治大学の小田切徳美教授は「あたかも店をたたむように一部の集落を閉じろという
議論であり、『農山村(集落)たたみ論』と呼んでいる」と書いていた。
同種の議論は、過疎化が進み始めた高度成長期以来、何度も登場し、今に至っている。
今回は、政府が取り組んでいる「異次元の少子化対策」の際に言われる 「人口減少は
『静かな有事』」という議論が引き金になって 特に人口減が著しい農山村集落のあり
方として論じられているのであろう。
しかし、この約10年間は、「かつては見られなかった若者を中心とした田園回帰や
関係人口の地域貢献」という現象が顕在化している。また、「デジタル技術による、
遠隔地医療や遠隔地教育、自動運転」などは、農山村の弱点であった「遠隔地性」が
もたらす問題を緩和する可能性があり、今後は異なる局面が生まれようとしている。
そんな時に、同じように繰り返される議論には、時代状況とのちぐはぐ感を覚えざる
を得ない。それに加えて、時代を超えて、このような議論には、より大きな問題点が
ある。これらの議論が、最終的には財政問題を論拠としていることである。
平たく言えば、「財政が厳しい時に、そんなところに住むのは 負担が大きく、社会に
迷惑だから降りてきなさい」ということであり、それは人々の居住範囲を財政の関数
として捉える発想と言える。
こうした中で、求められているのは、元々人口密度が低い農山村で、より低密度での
持続的な暮らしを実現する「持続的低密度居住」の政策構想と実践の積み重ねである。
田園回帰や関係人口の動きもこの中で位置づけることができる。
実際に 一部の議論には、農山村のみならず、地方中枢都市を除く地方部からの撤退が
意識され始めている気配がある。そのため、地方サイドから、国土における「持続的
低密度居住」のあり方を、積極的に語ることが必要であろう。それがなければ、いつ
のまにか「農山村たたみ論」が国政の基調となってしまう可能性さえあろう。
閑話休題。能登半島地震関連のTVニュースを見ていると、被害を受けた過疎の集落
が映る。「住民は戻ってこられるのだろうか?」と。
人口減少に自然の災禍が追い打ちとなり、たたまれる集落が増えるのは辛い。集落の
維持は被災地に限らず、全国的な課題である。
小田切教授は、「持続的低密度居住」の政策構想と実践の積み重ねを求める。
たたまずに済むように、人口減少を食い止める施策の一方で、どんな低密度の地域づ
くりを進めるかも考えていきたいものである。