「四大節と紀元節」考 | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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「四大節(しだいせつ)」とは、「四方拝(節)・紀元節・天長節・明治節」を言う。
 
「四方拝(節)」は、元日における宮廷行事の一つであり、天皇陛下が元旦の早朝に、
天地四方を拝する行事である。現在の「元旦(一月一日)」である。
「紀元節(きげんせつ)」は、誰にでも誕生日があるように、わが日本国の誕生日だ。
日本国の誕生日は、日本書紀による『神武天皇即位の日』として、「辛酉(かのととり)
年に春正月庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)」とあって、旧暦の1月1日であり、新
暦(太陽暦)に換算すると、紀元前660年2月11日である。
「天長節(てんちょうせつ)」とは 現在で言うところの『天皇誕生日』だ。昭和天皇の
誕生日は4月29日であって、上皇の誕生日は12月23日、今上天皇の誕生日は2月
23日である。ちなみに皇后の誕生日を「地久節」とは、「皇后」の誕生日だ。明治の
昭憲皇太后の誕生日は5月9日、昭和の香淳皇后の誕生日は6月25日であり、上皇后
美智子の誕生日は10月20日、今上天皇の皇后雅子の誕生日は12月9日である。
「明治節」は、『明治天皇』誕生日の11月3日を 『明治節』として、1927(昭和
2)年に制定された。だが 戦後に廃止されて、現在では『文化の日』として「文化勲章
の授与」などの行事が行われている。
 
閑話休題。本日は春の陽光が眩しい2月11日である。「建国をしのび 国を愛する心を
養う日」として、1966(昭和41)年に「建国記念の日」に定められた。 『建国記
念の日』としての祝日である。国旗「;日の丸」を掲揚して祝いたいものである。
令和の時代になって五回目の「建国記念の日」を迎えた。これは 初代の「神武天皇」が
即位された日に基づいている。
神武天皇が即位された日を「日本の建国された日」として祝う、「紀元節」は、大東亜
戦争後に占領軍の意向で祝日ではなくなった。
しかし その後には、「紀元節を復活させよう」という動きが高まって、反対する動きを
抑えて、「建国を記念するための祝日」が設けることとなった。その際には、「紀元節」
から「建国記念の日」に改正された。そしに国民の祝日に認められ、翌年から適用された。
だが、「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのには、史実に基づく「建国の日」と
は関係なく、「建国されたという事実そのものを記念する日」であるからだと言う。
小生は よく理解出来ないが、当時の社会党などサヨクが大反対をしたからだという…。
「日本の起源」を祝日にしようという動きは、明治時代に神武天皇(初代天皇)即位の初日
を「日本の紀元(歴史が始まる最初の日)」としたことから始まる。
この日本の紀元の日を「紀元節」という。紀元節は全国の神社で「紀元節祭」と呼ばれ、
祭事が催されていたほかに、庶民の間でも「建国祭」として祭典が行われていたのである。
ところが、戦後になり、「紀元節を認めることにより、天皇を中心とする日本人団結力が
高まり、再び米国の脅威となるのでは?」という「GHQ」の意向で紀元節は廃止された。
しかし、後にTV局が行ったアンケート調査によっては全国民の80%以上が、「建国を
記念する日」を望んでいるということがわかった由。
当然だが、戦勝国の思惑で「歴史」は消せないのである!
 
「建国記念の日」が成立をするまでは、「日本の正確な起源などは わかっていないのに、
建国記念など定められない…」と論じる「識者」による多くの議論があったようである。
「建国記念の日」は、特別行事は特にないので、この休日に 日本の歴史を勉強してみる
ことも面白いかもしれない。と小生は考えるのである。