「産業革命が起こる以前には 『国内総生産(GDP)』の世界一は、おそらく 中国だったのではないか」という説を小生はどこかで聞いたことがある。 |
農業が生産の大部分を占めた時代は当然 肥沃な大地の国が上位にくる。 そういう点では、欧州の一大穀倉地帯;「ウクライナ」も相当なものであろう。 何百年と近隣諸国にちょっかいを出されて、またこの1年は政治的理由は 変われど「親ロシア派武装組織」が暴れ回っている。本格的な戦争状態で あるといってもよかろう。 |
19世紀半ばには 「帝政ロシア」が抵抗運動を警戒して、ウクライナ語での 出版物を制限したこともある。
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それと時を同じくする。1855(安政元)年2月7日、伊豆の下田で「日露通 好条約(日露和親条約ともいう)」が調印された。今年で、ちょうど160年を 迎える。 |
この条約では、両国の国境を択捉島とウルップ島の間に定め、ウルップ島 より北につらなる千島列島はロシア領と定められた。 |
そのときに、「両国の国境は、択捉島とウルップ島の間」と平和裏に定めら れた。「択捉、国後、色丹、歯舞の四島は日本の領土である」ことが、この 条約によってロシアとの間で法的にも確定したのである。当時は、さしたる 利益が北方4島に見えていなかったからだろうが…。 |
「ウクライナも北方領土も 力による現状変更だ」と、岸田外相が先日発言 した。この発言にロシア外務省が噛み付いた。「一般認識の歪曲だ!」と。
ウクライナの人たちもたぶん、一緒にため息をついてくれたことであろう。 |