秋晴れで蒸し暑い 9月13日の早朝から、名古屋の「日本ガイシホール」 にて「平成23年;東海地区秋季実践倫理講演会」に参加した。
主催は、「社団法人実践倫理宏正会普及本部」であり、後援は「愛知県・ 名古屋市」であった。東海地方(愛知・岐阜・三重・静岡)から、約8千人が 参加したそうである。国会議員や知事・市長らの来賓が居ないのに、意外 感を持ったことを付記しておこう。
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自宅を5時過ぎに出て、名古屋;笠寺の「日本ガイシホール」に到着した のは早朝6時半である。読書をしつつ待つこと1時間余り…、8時10分の 「会歌」に続き、8時15分に開会の挨拶、8時20分に上廣榮治(うえひろ えいじ)会長が登壇した。 |
この「会長先生」の講演を拝聴したので、その他の講師の講演にも触れ つつ今回のブログに綴っておこう。なお、小生は、この「実践倫理宏正会」 の会友として依頼され講演会に参加してみたものの 決して熱心な「会員」 ではなく、傍観者的な立場で傍目八目(岡目八目)の見方として綴る。 この会に対しては、特に悪意もないが、見たまま感じたままを綴ってみる。
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まず、この会;「実践倫理宏正会」は今年で創立65周年であり、今年の 5月中旬に東京の武道館において65周年記念式典が行われたという。 |
この式典で「上廣榮治会先生」は、「ご倫話」としてこのように語っておら れた由である。今回のプログラムより引用する。 |
「目覚めたる者」の実践で「共生社会」の実現を |
“私たちの一人ひとりが、より広く、より高く「共生」の理想に向かって最善 を尽くす。より大きな 仕合せを実現する。それが、私たちと縁を結んだ人 たちへの最高の贈り物であります。 |
決して右顧左眄(うこさべん)してはなりません。世間の風潮を 嘆くことも ありません。目覚たる者が率先して自分の実践力に応じて、「共生」という 理想の実現に最善を尽くせばよいのです。ただひたすら 高みを目指せば よいのです。心ある人々は きっとその後に続こうとするに違いありません。 常に希望を持って、理想の実現に最善を尽くせば、その実現は 必ずその まま人間と人間社会につながってまいります。” …このあたりの会長先生の話には、大きな異議を感じないまま、成る程~ と承っておく。 |
今回の講演会で「上廣榮治会長先生」は、「なでしこジャパン」のワールド カップ優勝や「澤 穂希(さわ ほまれ)」選手の大活躍を引き合いに出して、 彼女らの次なる目標は「ロンドン・オリンピックでの金メダル獲得」に留まら ずに、「サッカーを通じ、国際社会の愛和と共生を実現する」ことだと述べて おられた。その理由として「自国の選手を応援する」という自然な身贔屓が、 排他的な感情を生んで、それが移民排斥の「極右主義」に発展する…との、 小生から見れば、「なかなかの飛躍的な論理展開」であった。 |
また、「本当のしあわせの探求」とは、個人的な欲望を他力本願で欲求を 満たすことではなく、他者の犠牲の上に成り立たないというお話には賛同を するものの、「しあわせの王道」として「我も人ものしあわせのために出来る ことの 毎日の実践の達成の上に、更に高次のしあわせが見えてくる…」と 言われても、百年先の人類のしあわせまでは、とても小生の頭では思いも つかないし、創像さえもできない。 |
このあたりや「人類愛」については「敬遠」をしておくが、小生の敬愛する 櫻井よしこ女史は「国益」という言葉をよく口に出される。政治・外交や経済 でも「日本の国益」を考えず「日本人」というアイデンティティを忘れて 「世界 市民」という「夢」を語るのは、「日本国民」という立場を忘れた社会主義者 であり、少なくとも「日の丸」を背に公演されるのであれば、もう少し 「日本・ 日本人」に拘わっていただきたいという感を持つ。 |
「人類の愛和と共生」や「自然との共生社会」の実現を…などと、百年先の 理想を視野にという遠大な話をされた「会長先生」が、万雷の拍手に送られ 8時50分に降壇された。 |
その後に、3つの講演が続いた。 |
・「新たなる一歩は、自分磨き」;山本和子(婦人部) |
・「自他一如の実践に飛び込む」;小夫知子(婦人部講師) |
この二人の女性講師は、言語は明瞭であるが、「会長先生」や「会長先生 の亡父で会の創設者である先師」を賛美するあまり、半ば「神格化」さえして 「個人崇拝」に近いものを小生に感じさせる発言に、小生は「会のあり方」に 疑問さえ感じさせられた。特に二番目の講師が講演途中で、「原稿が分から なくなっちゃって舞台で立ち往生…」という一幕には、些か 呆れるばかりで、 小生も数多くの講演を聴いているが、唖然とした。万全の事前準備や、原稿 なしでも話せるだけの事前の推敲が必要であろう。 |
最後に、「実践、倫理のいのち」松岸孝純(講師)氏の講演は、「先師」やら 「会長先生」との関わりを縷々と述べられるものの、惜しいこと呂律が十分に 回らないのか、小生がメモを片手に一所懸命に講演を聞いていても残念だが 内容が不明瞭であり、聞きづらかった。殊に「会独自の内容や用語」は不明。 「騏驎も老いては駑馬に劣る」という言葉が 浮かんできたのは失礼だろうが、 齢七十を超えておられるようであり、若い講師に席を譲られる勇気も必要で はあるまいか?と感じた次第である。 決して悪気があるわけではなく、簡単な挨拶に留められて、後は壮年講師に 任せないと折角の素晴らしい話の内容が、聴衆の胸に響かない…と、あらぬ 心配をしただけの感想である。 |
全ての講演が終わり午前10時過ぎに、「閉会の挨拶」で講演会は終了した ものの、真夏を思わせる残暑の中を帰宅したのは、もう昼前で、暑かった! |